海外で通用する日本人の〇〇
前回、前々回、たくさんの方に有料noteを見ていただきました。
ありがとうございました。
よく考えたら、初めてトレーナーらしい記事をアップしたかな…と(笑)
今回は私が人として、トレーナーとして、最も大事にしている仕事に対する姿勢についてお話しします。
日本では当たり前が当たり前じゃない
例えば、10分・5分前行動。
例えば、ゴミをゴミ箱に捨てる。
例えば、モノを大切にする。
私たち日本人からしたら当たり前の行動ですよね?
実はこれ、海外に出たら当たり前じゃないんです。
そして何より当たり前じゃないのは、「周りへの配慮」です。
いわゆる「気が利く」って事です。
気が利くだけで得をする??
ビクトル・バルデスと仕事をしていた時に彼から言われた印象的な会話があります。
「先週末の試合はMayaがいなかったから、何も準備されてなかったよ〜」
私はその試合、発熱でダウンしていました。
なぜ彼がこう言ったかと言うと、誰も「それ」をしないといけない感覚がなかったのです。
私は試合前に必ずロッカールームのセッティングをします。
ホワイトボードをきれいにして、ボトルを準備して、ビブスをコート掛けに出して、使うマーカーを色毎に分けて…、それからテーピングを巻いたり、ケアをしたり、本来のトレーナー業務をします。
「それ」とは「雑務」の事です。
日本ではおそらく下級生やマネージャーがやりますよね。
スペインでもホペイロがいるチームは彼らが準備しますが、基本的には「誰か」がやるか、「誰かからの指示」を待ちます。
本来ならトレーナーの仕事ではないですが、チームが純粋に試合に向かえるように調整する事は、コンディショニングにも繋がると思います。
スタッフまでもが見落としている「雑務」。
日本人の神経を多方向に広げられる能力は、きっと世界から認められる「才能」です。
そしてビクトルからの一言。
「Eres una máquina, mi amiga!!」
裏方スタッフとして、最高の褒め言葉です。
ビクトルとのエピソード記事↓↓
https://note.com/yudaihesaka/n/n3446d0cf0f70
https://note.com/mayanote/n/n22770b45569a
「誰でもできる」がチャンスに繋がる
私が初めてスペインのチームに帯同した時、初めての行動は「ゴミ拾い」でした。
???ですよね。
グラウンドがきれいならみんな気持ちいいし、落ちてるゴミが原因で怪我をされても困る、その考えで行なっていました。
その行動を見ていた他のスタッフや選手達から声をかけて貰えるようになりました。
スペイン人からしたら仕事じゃない限りゴミを拾うなんてあり得なかったらしく、珍しかったそうです。
その行動が段々本業に繋がり、怪我の相談をして貰えるように。
一見、繋がりがない様に見えても、その行動は必ず自分に返ってきます。
私1人じゃできません
育成カテゴリーで切っても切れない関係にあるのが保護者の存在です。
何人かの選手の応急処置やリハビリを保護者がいる中でしました。
こちらとしては少しやりにくいですが…笑
保護者(親)はその選手(子供)の事を1番見ています。
そしてその逆も言えて、選手(子供)は保護者(親)を1番に頼っています。
選手が怪我した時、なるべく保護者とも関係をもつようにしています。
選手に寄り添うように保護者にも寄り添う。
自分の子供が怪我をして心配しない親っていませんよね?
その心配を取り除く事で、怪我をした選手のサポートを一緒にして貰う。
その結果、トレーナーが1番やりやすい環境をつくれます。
チーム内スタッフに留まらず、その周りの環境に目を向けて、そして言葉悪いですが自分を謙る。
それって日本社会で当たり前にある事だと思うんですよね。
「お願いします」、「ありがとうございます」、そこに一礼する。
相手を一歩上げて、自分を一歩下げて協力を頼む。
そこからフラットな人間関係をつくっていく事もできると思います。
結局「人×人」の仕事
トレーナーって正直、できる事が限られるんですよね。
チームで行動する時に直接一人ひとりの選手と関われる時間は少ないです。
選手の動きを見ながら、表情を見ながら、気になる選手をピックアップしていく。
そしてちょっとした瞬間に声をかける。
大体の選手が「仕事や勉強で疲れていて…」とか、「彼女と喧嘩して…」とか、直接サッカーに関係ないことが多いんです。
でも気持ちが沈んでる事がコンディションを下げるなら、手の空いているスタッフが話を聞いたらいいと思うんです。
チームが出したアンケートにある選手が私に対してこう答えてくれました。
「彼女は私を助け、選手達をとても気遣っている。常にサポートをして最善を尽くせるよう準備してくれる。彼女の仕事は間違いなく必要だ。」
嬉しい〜〜〜〜〜〜〜と思うと同時に、気付いてくれたんだと思いました。
どこにいても見てる人は見てるんだなと。
私がしている事は決して特別な事ではありません。
でも、自分だけがしていたら特別になります。
それは絶対に世界で通用する、そんなエピソードでした。
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