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【議事録】第7回真山ゼミ 『葬儀を終えて』読書会

今回のゼミのテーマ

前回の真山ゼミにて、真山先生の新刊『"正しい"を疑え!』の読書会を行いました。本書の中で、「疑う力を養うためには、ミステリを読むのが最適だ」「そこで、アガサ・クリスティーをお奨めする」とありました。そこで、今回のゼミでは真山仁先生とともに、アガサ・クリスティー著『葬儀を終えて』の読書会を開催しました。
真山先生からの三つの質問に参加者が答える形でゼミを始めました。その後、真山先生からの解説を聞き、次いで質疑応答をして議論を深めました。

導入

日本人は肯定的に発言を捉え、疑う批判力が弱い。ちなみに、普段の真山ゼミは読書会ではなく、今回は珍しいパターンです。

クリスティーは、ある程度の高い水準に達した作品が多い。読みやすい、(疑いにくい)嘘を効果的に使っている。小説は能動的に読んでおり、読んでいくうちに入ってしまう。ドラマだと違う。

どちらかといえば私(真山先生)が講義していく形になるので、最初に自己紹介がてら質問に答えてほしい。200ページまでに犯人が分かったか。

レッドへリング(情報を出して回収されない)ということもある。必ずしも「伏線回収」されるとは限らないので、伏線回収されなくても騒がないでほしい。そもそも回収されない情報は伏線とは言わない。

社会人向けに講義を行った時にレジュメを作ってある。

クリスティーは元薬剤師。親が小学校から行かせていない。そのため高校生くらいの語彙の英語を書いていて、読みやすい。

真山先生からの三つの質問

  1. 途中で真相が分かった人がいた場合、どこで、なぜ分かったか

  2. 冒頭のコーラの言葉を除いて誰のどんなウソに騙されたか

  3. 読んでいて、真山に尋ねてみたいこと

参加者の回答

参加者A

  1. モードが怪しいと感じた。モード・アバネシー。メタ的に、1ページ目から疑ったので、ランズコムとモードが結託していると考えた。

  2. みんなアリバイがあったのに全員が違った。

  3. グレゴリー・バンクスは精神異常と片づけていいのか。

参加者B

1.2. 惨敗。ミステリは読んできたが、推理をしたのは初めて。どれが疑わしいのか、を考えると無限の可能性が考えられて絞れなかった。
3. 聞きたいこと:小説を読んでいるのは、あくまで文字を読んでいるだけ。現実での疑う力とどう関連するのか

参加者C

情報量に押し流されないように一生懸命読んでいた。p.44の五の全体がコーラの話だと思っていたが、ギルクリストと考えても辻褄が合う。この時点で騙されていた。

参加者D

1.2. 良く分からなかった。
3. 現実のコミュニケーションでは非言語的なものを重視している。小説だと全て文字。想像の中で補おうとすると逆に引っ張られる。どう騙されないようにしたらいいか。

参加者E

  1. 全く分からない。

  2. 一気に、そこまで全部嘘なんかい!余力があれば疑うことにリソースを使えたのでは。

  3. 余力を持って文章を読むにはどうしたらいいか

参加者F

1.2. アガサクリスティーはどう嘘をつくのか、とメタ的な視点で読んでた。コーラは嘘をつく。スーザンは善人、犯人が一番面白い。結局、赤川次郎みたいじゃん。
3. ほとんど嘘をついていると思っているので、本当のことをむしろ炙り出すにはどうしたらいいか

参加者G

  1. 結論から言うと分からなかった。

  2. リチャードは生きていたのでは、と思っていた。ずっとそれで確信していた。ギルクリストだけが、階級社会の中で完全な召使いになっていない関係性、この関係性が何か関わっているのではないかと勘づいていた。(具体的なところまではいかなかったが)

  3. セリフがキーになるときと、セリフ以外の描写がキーになることがある。どうしたらいいか。喋りが多い人には嘘が多い。ギルクリストは結構しゃべっていていてボロが出ていると後から思った。文化的社会的背景をより多く知っておくのが見抜きやすいのでは。

真山先生の解説

ミステリの中での本書の位置づけ。
ギルクリストはメインの人でない。一般に犯人は最初に登場しなければならない。cf.ノックスの10戒(ex.犯人は最初に登場していなければならない、双子はダメ、など)

ミステリでは前提を疑うべき。コーラの一言がみんなを混乱に陥れる。

1950年代で執事はやや古い。本人も老いぼれ。
1ページ目から騙される、と言った参加者がいるが最初の登場人物の印象に読者はどうしても引っ張られる。一番の印象を執事にしたのがうまい。コーラには25年会っておらず、誰も判断できない。執事は絶対に見た目から誰か分かる。この設定で既に100点満点。その次に弁護士という客観的な人物を入れたのがうまい。これで人物像を固めてしまった。

カメラよりも重要なのは内面を映すカメラ。視点を変えないと、騙すのはものすごく手法が必要になる。しかし、次々に視点が変わると見抜くのは難しくなる。自分の彼女が他の男と会っていると「違う顔をしている」と嫉妬する。人はそれくらいそれぞれの顔を持つ。

コーラだけはいつも一緒の顔。人は歳をとると兄弟に会いたくなる。コーラは過去にどんなことを言ったか、まで出てくる。
p.31
ここでコーラに振り回され過ぎている、と気付かないといけなかった。

p.44と45
一言もコーラという言葉が出てこず、「女」としてか出てこない。それ以外は、視点を決める時に必ず名前を出している。フェアに書いている。他のやり方はいくらでもあるのに、この書き方をしているのはアガサクリスティーは相当自信があったのだろう。p.44でコーラじゃないかも、と気付かないと泥沼から抜け出せない。

p.55
モートン警部の「~らしい」という先入観。こんなところで警部がいきなり犯人を除外するかよ!アガサクリスティーは自信満々だったためこのように書いている。

小説の中で五感はすごく重要
スーザンの「違和感」
絵具の匂いがする、何十年も前に描かれた油絵で匂いがするか?
言語化されていないものの中でヒントがさりげなく出てくる。これがうまいミステリ。
「本人がそう言うんだから」というのが騙されやすい。

次から次へと一族が嘘をついているのが分かる。全ての犯人に動機とチャンスがある。最終的に、チャンスがあったのが唯一で犯人が絞られる。夫婦のどちらかが問題がある。

男女の話で、優秀な人ほどダメな人を応援したくなる。次から次へと嘘が出てくると、その度にひっかきまわされる。猜疑心が止まらなくなる。

情報を正しく取るのに一番邪魔なのは自分の先入観。情報をニュートラルに取る。若い記者が情報を取ってくると、上は「誰が言ってるんだ」と疑う。情報は出てくるルールがある、それを逸脱してくるのは怪しい。

小説の中で一番重要なのは誰が言ったのか。自分で強く主張しているときには疑わないといけない。アリバイの作り方。アリバイが無い人に対して、「良い人」が公園ですれ違いましたよね、と救いの手を差し伸べる。しかし、「救いの神」なんて一番怪しい。

動機が無い「ギルクリスト」。財産分与が無いのだから。しかし、フェルメールという動機があった。

美術家が来たのがヤバかった。なんでここだけ匂い、音が出るのか、(固有名詞ではなく)「女」なのか。とミステリオタクは勘付く。

総括としてはこの辺りまで。

質疑応答

ミステリーが出来たからといって(疑う力が)育つのか?
これは読み方次第。
当てうちや、ジェットコースターのように翻弄された読み方では全然身につかない。もう一回読んでみてください。細かい嘘がはっきり分かる。なぜここで信じてしまったのだろう、と気付く。

作家の傲慢だ、と言った学生がいるが…
自分は疑う力をミステリーで身に着けた。才能は鍛えないと伸びない。努力しても超えられない点が天才。

小説は小説。構図を探す。
小説は専門書と違って感情移入して読んでいる。日本の小説だと視点が少ないことが多い。他人の人生でも、感情移入すると自分のものとして捉えられる。
いつでも本を閉じてよく、戻って読み直せる。コントロールできることは小説のアドバンテージ。色んな人に登場してもらって、色んな人を理解、体験できるのが良い。
日本ではどうしても社会で均一性、真ん中へ真ん中へと吸い寄せられるため、気を付けないと他人の視点がなかなか出てこない

嘘ばっかりの人は全て嘘を言っていると捉えた方がいい。むしろ、本当のことを一つ言ったときに怖い。嘘をつかない人が嘘をつく人ときにはものすごいヒントがある。

あなたたちなら20本を2回読めば違和感を持てるはず。

距離感を持って接するのが重要。

断定する人は力強く見える、好まれる。断定している人が断定しない、断定しない人が断定する時は重要。本当に交渉上手な人はわざと癖を見せて騙そうとする。「すごいこと聞いちゃった」という時には思惑があるんじゃないかと疑った方がいい。
文章を発信している人の性格、シチュエーションなど、基本的な構造は小説と現実とで同じ。古い新しいなどはあるが。

本当のことを見極めるのはさすがに難しい。若い人がやった方がいいのは、信じ込まないこと。「嘘をつく人が悪だ」というのもやめてほしい。「やむなく嘘をつく」「本人が嘘だと思っていない」場合もある。

物事を見極める時に、背景はとても大切。
イギリスでは厳然たる階級社会、という特異性。
小説では書き手のルールで書ける。戦争が終わって10年足らずのイギリスの雰囲気が出ている。1953年と調べると雰囲気が分かるのではないか。

嘘を本当だと思っている人が山のようにいる。自分が自分に嘘をついているか、を判断するのは難しい。人に聞きましょう。

自分の嫁が犯人かも、自分の嫁に切られるかも、ということで自分から罪を被る場合がある。

どうやったら嘘をうまくつけるか。99%本当のことを言う。1%嘘をつく、とばれない

嘘を後ろめたいと思わない人がいる。小説での欠点は嘘をついているドキドキ感が出てこない。アガサクリスティーがうまいのは嘘がつかれている側の視点に立っている。

若い人はやむを得ない事情がある場合、なかなか本音を出さない。大人の嘘は嘘をつこうとして嘘をついている。相手が自分の秘密を知っている、と思うと油断する。嘘は追い詰められて嘘をつくとバレやすい。

結局この小説では主人公がいない。探偵のポアロも途中から登場し、謎も解決せずだらしない。名探偵、本当に名探偵なら一人も殺すな。これがミステリーの最大のジレンマ。

先生と参加者のコメント

小説は今まで単に読むものだったためこの読み方をして良かった

東大生というのもあって、情報を素直に取るという受動的な訓練をしてきた。授業で少しでも取りこぼすと不安になることもあったが、一歩引いて聞けるようになりたい。

「意見より知見を」
意見を持つには基礎的な事実をまず取った方がいい。

コーラの絵が積みあがっていて、なぜか匂いがする、というのが気付けなかった。

p.44,45小説の構造上、誰かの視点があり、「コーラ」の視点になっているのにやられた。惨殺にも意味がある。コーラとの差を見せないための犯行。

小説と新書の読み方は違うな、ストーリーとして読むとすらすら読めてしまう。できるだけ立ち止まって読もうとした。新書は立ち止まって読むが、小説でも同じような姿勢が大事だと思った。

なぜ来たか?若い人が何を考えているか知りたい

日本の小説は予定調和的な小さな世界で描いている人が多い。リアリティが無い。海外の小説でないと、大人が読む面白い本は少ないように感じる。

日本にはスパイ小説が無いが、海外だとそういう小説で国際情勢を知ったりする。アニメや漫画は素晴らしいのに、ドラマは残念…。

東大の人にはもう少ししたたかになってほしいな。いずれ何かを背負う人になるので、ナイーブでなくなってほしい。「こういう社会もあるんだ」という中で正論を貫けるのは強い。



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