【議事録】第8回真山ゼミ 「"正しい"を疑え!」実践編
今回のゼミのテーマ
前々回の真山ゼミにて、真山先生の新刊『"正しい"を疑え!』の読書会を行いました。今回のゼミではその実践編として、参加する学生に、社会の中で正しいとされているもので、実際にはそうではないものを発表してもらいました。その後、学生間で質疑応答をしたり、真山先生からコメントを頂いたりしました。
各学生の発表を、政治、市民経済社会、文化・価値観の3つのテーマに分けました。各テーマディスカッションも含めて30分、学生一人当たりの発表3分を目安に進行していきました。各学生の発表は
社会一般に「正しい」と思われていること、
1. のどこが間違っていると考えるか、
その根拠
の3点を含み、この順に展開していきます。
政治
臨床検査
(臨床検査を含む)医療的な検査は、行った方がよいとされている。cf. 健康診断
コロナ感染が拡大し始めた頃に、もっと大規模に臨床検査を行うべきだった
すべての妊婦が出生前診断を受けられるようになった
むやみに検査をおこなえばよいわけではない
偽陰性・偽陽性の可能性は常に存在
検査件数・項目数を多くすればよいわけではない:検査をすれば医療崩壊が起きていたvs.検査をしてコロナを抑え込むべきだった
コロナや出生前診断は偽陰性、偽陽性のリスクが大きい(仮に陽性になったとしても、正常に生まれ育つ場合もある)
若者の投票は無意味?
人口が少ない・投票に行かない・都市に人口が集中→若者の意見は反映されない
「若者の支持を掴んでいる党」というブランド/若者の支持は固定化されていない→党勢を拡大するインセンティブが働く/若者の居住地→激戦区
民主主義国家
日本は「完全な民主主義国家」ではないかもしれない ※世界的な指数に従えばそう定義されている
男性・年配の政治家が社会を動かしている現状では、「自分事」として他の年代・性別の人々の意見を捉えられる人は相当に少ないはずであり、社会の在り方としては歪ではないか。9.7%の女性政治家が、50%を占める日本の女性人口を代弁するのは難しいはず。
議論
臨床検査について
出生前診断がすべての人にアクセス可能なものであるとき、検査を受けない選択は難しいのでは。個人としてどのように判断すればよい?
人間は根本的に「知りたい」という思いを持っている。自分が手に入れることができる情報は手に入れておきたい、と思う。しかし、自分が知らない方がよいこともあるのではないか。
不安にならなくてよい、専門家は、必ずしも知ることが正しいと受け取られないよう、本当に知るという選択をしてよいのか、と伝えなければならない。
民主主義国家
Q. 体裁としては民主主義国家の形が整っており、制度としては女性政治家を選ぶことも可能な状態である。その中での現状の女性比率である。では、どこに問題があるのか?選ぶことができるのに選べていない、という制度上の問題なのか、国民側に選ぶ気がないということなのか、それとも男性政治家が多い現状が女性進出を阻んでいるのか。
A. そもそも女性候補者が少ない。
各党がメンター制度や育児支援に取り組み始めている。
議員の平均年齢が高い=新人が当選しにくい
女性の新人政治家が新たに選挙に出ることに対する男性年配政治家の反発があるのではないか。
Q. 自分のこれまでの投票態度はどうだったか?
A. 政治におけるジェンダーギャップを知った後は、当選しそうだと判断した女性政治家を意識的に選択して投票した。
Q. 政治は男性がやるもの、という意識が女性側にあることに加えて、構造的に女性への支援が整っていない状態では女性が政界に進出しようとは思わないのでは。制度は今後変わっていくとしても、女性自身の意識をあげていくにはどうすればよいのか。
A. 女性が政治に参加したくないと思う理由を分解すると、社会規範(政治は男性がやるもの)に晒されて気概があったのにそれが削がれることもあるのでは。
まず制度を整えて、変えたいと思っている女性が社会に出てくる土壌を作り、その後に女性も政治に参加するものであるという土台ができたら人が出てこれるのでは。
真山先生から
「正しいを疑う」ということ
前提として、「正しいを疑う」ためには、例えば検査であれば「検査はこういう目的で行う」という定義づけをしなくてはならない。
検査について:日本はそもそも準備をしていなかった。中国はSARSなどがあったために準備をしていた。
出生前診断:優生思想に繋がる。この技術は人間の領域を超えている。健康とは何か、ということを問う問いになる。
中絶を立法化する、と約束した民主党が健闘した(2022年アメリカ中間選挙)
アメリカは「中絶は神への冒涜である」というカトリック教徒が根強く残っている
日本では絶対にそういった議論は起きない:政治への無関心により、倫理観や宗教に関わる出生前診断に関する法律がするっと通ってしまう。
人間は、調べられるならば調べる
検査は儲けが大きい:がめつい病院であれば、一度で済む検査を何度も行う
当事者、ステークホルダーの声を聞かないと分からない。
発表へのアドバイス:両方問題ではあったけれど、何がより問題か、を絞ったらよかった。
共産党:政党として初めてブラック企業を叩き、地方で躍進した(小選挙区制ではないため)
※共産党によるプロモーションビデオが海外でバズっている(国内では見向きもされていない)年齢=投票率、と言われている。また、高齢者はどこに入れるかを決めている。したがって、野党は自民党からいかに票を取るかではなく、若者をターゲットにしなくてはいけない。
都議でも自民党以外が複数人出ることが大切。
若者の票を集めても意味がないわけではなく、投票に行かない若者を投票に連れ出していかに票を獲得するかが問題。それを一番やっているのが自民党。
投票に行かない理由は、若者に響く政策がないことと、若い候補者が少ないこと。
おばちゃんに受けるイケメンと、おじちゃんに受ける若い候補者ばかり
政治は数→積み上げるためには、地方から崩していく
民主主義とは何か、を定義する:民主主義とは多数決であり、マジョリティのためにある。
ジェンダーは残念ながらマイノリティ。
ほとんどの政党では、見た目が良い・人気がある若い女性を立てる。NPOを率いている人や、ちゃんと頑張っている政治家はいるが、そういう人たちは「ちゃんと考えていない女性政治家には出てきてほしくない」という。企業でも同じ。絶対数が少ないのに女性の数を無理やりあげることは問題がある。
男女比率が平等になる=平等が実現された、ということには問題がある。
女性が政治に出ていくことによって、社会がより良い方向に変わる、ということが明確に打ち出されない限り、「女性だから」という理由で女性を出していくのは難しい。
「女性は政治家が嫌い」は本当に正しいのか、という形であれば絞って議論できる。
都議に既になっている(ちゃんと政策を作っている)女性政治家たちを国政に持ち上げられるか。
男か女かではなく、その人が政治家としてちゃんと機能するかを見る
「クラブ」には女性が入れないイギリスでさえ、1970年代にサッチャーが首相になった。世界的には男尊女卑が今よりさらに深刻だった中で彼女が首相になれたのは、彼女がスゴイ政治家だったため。
女性が政治に関心がないか、差別されているからだ、というところから議論を始めるべき。
市民経済社会
弱者と労働者
労働者<会社、という力関係があると指摘されることが多い(会社側に非がある事例はもちろんある)
しかし、労働者は弱者ではないのでは。
企業側ではなく、雇用者側に非があるケースも散見される
しかし、企業はそうしたケースを公にできない
法的には労働者は手厚く保護されている
日本の民主化の要因
高度成長は団塊世代の働きが良かったために起こった(=今の若者の働きはその当時の人たちに劣っているのでは?)
⇔単に人口ボーナスを享受した結果ではないか。また、軍需により働き口が多く確保されていた。つまり、環境が主要因
民主主義はすべて戦後に形作られたものである。
⇔明治以降の積み上げの元に戦後の民主主義が構築された。
累進課税
所得が高いからと言って高い税率を課すのは合理的ではないのでは。
起業家はリスクを取って起業するため、リスクプレミアムが乗る方が合理的、という見方もある。
日本は労働者が手厚く保護されがち。
議論
日本の民主化の要因
Q. 戦前にも民主化が進んでいた点には合意できるが、戦前と戦後では大きく体制が変わっているのも確かではないか。どういうところで連続していると考えるのか?
A. 具体例:明治憲法から日本国憲法に変わる際に、形式的には「明治憲法の修正」という形で日本国憲法が作られている。(アメリカのマッカーサーによる論稿を下敷きにしているとはいえ、当時の帝国議会に議論を経ているのでは。議会の形としては整えられていた)
Q. 日本国憲法については、あくまでも形式的に議会を通っただけではないか。戦中にも衆議院選挙は開催されている。そこで当選した大政翼賛会以外の議員が戦後に活躍したという例がある。そちらの方がむしろ連続性として適切なのでは。
Q. 民主主義について議論するとしたら、江戸時代の社会の安定性やリテラシーの部分での連続性についても触れたほうがよいのではないか。
寺子屋では3歳くらいから『司馬光』を読んでいた。
徳川幕府が安定した時代を作ったおかげで、発展したインフラやリテラシーの向上が実現した。長州藩・薩摩藩の人たちが私財をなげうって立ち上げたのが明治期の議会制度・憲法
A. リテラシーに関しては、江戸時代の寺子屋で教育を受けられたのは、階級社会の中での限られた富裕層だけではないか。そういう意味では、全国民にリテラシーの向上が享受されたのは明治期に入ってからではないか。
農村の富裕層ではいたかもしれないが、農村部・都市部の貧しい人たちは教育を受けられなかった可能性が高い。
累進課税
目の前の仕事をこなすだけ、で何が悪いのか?そういう労働者が政治的に不利益を被ってもよいということ?
A.経済は、価値の源泉があり、それが外貨獲得・経済成長に繋がっていく。その価値の源泉を稼ぐのが起業家で、労働者は労働力が必要とされる場所で働く。しかし、日本では労働者はくびにできないため、いつまでも働けてしまう。世の中的には怠惰になってしまう。
Q. 労働者の実質賃金はここ何十年も変わっていない。
A. 価値の源泉を作っている人たちのおかげで経済が回っている。経営者や資本家が有利という立場を利用して搾取しているかもしれないという可能性はあるが。
Q. 労働者が悪いというよりも、産業構造が悪いのではないか。
A. 商慣習が悪いという点は確かにあるかもしれない。
Q. なぜ日本はこんなに労働者を守っているのか。
A. 明治時代などの資本家が労働者から搾取されていた時代に制定されたものが原型になっているため、労働者を守る
真山先生から
累進課税はそもそも高給取りから搾取するために作られたのか?
世界の中で、累進課税を採り入れていないのは共産主義国家、独裁国家だけ。
労働者を解雇できるかどうか
日本は最も成功した社会主義国家:くびにしないし、治安がよく、コロナでは自粛する国民性
「労働者は搾取して良い」「働かない人はくびにしてよい」という人は経営者としては続かないはず。
累進課税は善か
noblesse oblige が日本の思想の中には残っていない→一般社会に還元しない起業家は尊敬されにくい
税金を払うことが嫌だという企業は日本から出ていってもらうしかない
人の数が増える→誰が人の上に立って統治するか→暴力:軍事政権(日本では幕府)
日本は政治は三流で経済は一流と言われているが、実は日本の政治は一流。一度もクーデターが起きたことがない。
平和な時のリーダーが必要→寺子屋・藩校
→暴力ではない別の方法で統治するための新たな政治システムが必要
→封建国家をやめ、身分制度を廃止
薩摩や長州が強かったのは、江戸から遠かったからというのもある。貿易で栄える中で、政治システムが熟成していった。
民主主義では「国民」とあるべきものが明治憲法では「臣民」(アメリカが憲法を変えさせたのは戦争を起こさせたくなかったから)
土壌としては連続しているが、「国民が主人公である」という意識の転換は急激に起こった。
しかし、日本の民意は「主人公である」という意識には育っていない。あくまでも与えられたものとして捉えている。
外国では市民が自分が投票した議員を見ているが、日本ではそこまで責任を取っていない。
高度経済成長:団塊の世代
戦後の復興で一番頑張ったのは、明治・大正生まれの戦争から帰ってきて焼け野原から帰って来た人たち。
高度経済成長は60年代に止まり始めている。団塊の世代の人たちは当時20歳代、人数が多かっただけ。
労働問題
企業が最も力が強いのは確か。
しかし、今文句を言っている人たちはモンスターペアレンツと一緒。「ハラスメント」という言葉ができたことで、「酒飲みに行こう」と上司から声を掛けにくくなっている。
無関心が良い、という人が増えていることの方が問題ではないか。
一見すると声が大きい人たち
SDGs
日本は未だに成長しようとしている
日本はそろそろ成長をやめるべき。成長せず維持できるだけでも大金星なのに、成長を求めて無理をする。
社会貢献をどうするか、良いことをすると株価が上がる、というウソばっかり言っていると感じる
ヨーロッパは上手なだけ、という側面もある
新興国は次々に工場を作る⇔先進国が、それを地球温暖化のためにやめて、という
持続可能性の定義も分からないSDGs
なぜ成長に行こうとするのか、「成長は善か」というのが本当の問い
生き残るために切り捨てればよい。何も潰さない、何も改めない状態では新しいものは何も出てこない。この状態が続くことが一番心配。
累進課税
日本人に「税」という感覚をちゃんと分からせるべき。
米軍がいなければ日本の安全保障は成立しない。
この国を維持するためにはお金が必要だということをちゃんと分かるように説明しないから皆が怒る。ここまで頑張っていて、これだけ足りないから、お金がある人は出してくれませんか、という議論ができるかどうか。
本当に税は足りていないのか、誰から税をとるか、という議論をした方がよい。
経済成長をせずに税金を上げることは難しいのでは?
これほど税金を取っていない国は珍しい。
国債を発行したら円の信用は落ちる
ギリシャやベネズエラのように
成長=数字、成熟=無駄なところは切り捨てる、ということ。
賃金は上がっている、ベンチャーの業績は伸びている、無駄な企業が減っている、という意味でGDPは減るけれど、という状態
文化・価値観
多様性
多様性のある社会と無い社会では多様性の無い社会の方がよいのでは。
合意が取れる社会(=民主主義が成立する社会)が良い社会と定義する
均質性の高い社会、寛容で器が大きい人たちが多い社会が良いのでは。
多様性を認めることは重要だが、多様性は無くてもよいのではないか。
電車内での通話
そもそも電車内での通話が禁止になったのはペースメーカーのため。
しかし、このルールの下で育ってきた自分はやはり電車内で通話をするのは抵抗がある。
海外だと運転中でも電話をする場合もある。
現代社会に対するテーゼ
現代社会では、「多様性を認める」=「気にしない」(否定形、無関心)
それは未熟な態度ではないか。気にしない、攻撃をしない、という態度だと、社会に適合せず困っている人たちに対して「危害を加えていないから私は寛容だ、偏見を持っていない」と述べるに留まってしまう。
杉田水脈氏の論文「LGBTは生産性がない」
人口という観点では確かに貢献はしない。彼女の方が寧ろ誠実ではないか。生産性を持たない人たちに対して、夫婦と同じ権利を認めてよいのか、という問題提起をすることは重要。
無関心であることを「多様性を認める」ということにすり替えて思考停止している現状は問題ではないか。
議論
多様性
多様性がない場合に競争が激化する場合もある。多様性があれば、社会の中の資源を効率的に配分できるかもしれない。
一方で、多様性があることによって意見の対立が生じる場合はある。意見が異なる場合に対立に発展すると問題になる。
どうして、自分と相手が違うことに対して対立するのか
→無関心なので「怖い」が勝ってしまう。相手を知らない状態
→議論をして、相手を知ることによって対立を避けることができるのではないか。器の大きい人・寛容な人について
器の大きい人・寛容な人を具現化すると、気持ちと知性が大切ではないか。
気持ち:分かりたい、という好奇心・知的な謙虚さ
知性:理解する力
Aを言ってBを言ってA、というのが議論の正しい方向性では。
Aを言ってBを言ってC、となっている気がする
多様性の科学
多様性によってイノベーションが促進される
9.11はFBIが白人男性多数の組織だったために防げなかった(??)
仮定がそもそも現代社会とはそぐわないものであった
真山先生から
多様性
やたらと多様性を主張するのは欺瞞だが、日本では多様性がよく理解されていない
日本では宗教の話をあまりしないが、キリスト教の中で中絶を認めない、中絶は当然という宗派があり、イスラム教が加わるとさらに違う。しかも、イスラム教の中でも色々な宗派がある。
最終的に、均一に進めようとするので対立が起きる。
ラーメンが好きな人、寿司が好きな人…と色々な好みの人がいるときに、4番目を言う・好きなものを食べてから集合する、というのが知恵であって、「いや、ステーキを食べる!」というのは暴力である。
性格の一致はあり得ない:プラマイ一つか、どれか一つでも合致するものがあれば一致。
日本は本来、均一な社会である。しかし「均一ではダメでしょ」と言われて慌てて取り入れた概念が日本の多様性。外国に気を遣っているだけだからダメ。
「多様性」の概念
学生の話を、それは違う、と言いたくても言わないのは、聞くからこそ相手の考え方が分かるため。
「そういうものもある」というのが寛容。器を広くすること(器が大きい、はない)。懐が深いとも言う。
自分の信念を持ちながらも他人の意見を聞き、落としどころを探るのが寛容。「この人はここを曲げないんだ」というところを見極める。
腹が立つことを我慢することは「我慢」
聞くことによって、「自分は勘違いしていた」ということもあれば「この人はこう考えるんだ、自分は違う」ということもある。
否定をする人は食わず嫌い。「試して」と言って試してもらって、それで「やっぱり違う」と言われたら認め合うしかない(布教活動をしているわけではない)。
聞くときは聞く、引くときは引く、という態度は「軟弱」ではないと思う。
選択するときの決定は一つではないため、30個くらいある選択肢の中でどこは認めさせて、どこは妥協して、どこは殺して合意するのかというのが現実的
スポンジとしての寛容性があることが特に若い時には大切。色々な人がいる、ということが分かっているかどうかでは、得るものと失うものの差が大きい。
絶対に正しいこともないし、絶対にできないこともない。
という先生の言葉に対して、人生の経験の長さが違う人が言うんだから聞いておこう、という態度を持つこと。
日本の多様性は外国に気を遣っているだけ?
海外は、もともと民族が異なる人たちが集まっている国が多いため多様にならざるを得なかっただけで、寧ろ日本より「多様性を認めていない・拒絶している」のではないか。
グローバル社会の中でどうあるべきか
企業の与えられた命題は、どうやってきれいごとを切り抜けてビジネスをするか。
日本はゲームメーカーになれず、ルールが作れないため、「均一性で行きます」と言えない。
日本は交渉事が苦手:成功者が「その通りだろうが」と言えば「その通りですね」となってしまう国。
日本は物流以外では鎖国が続いていた
誇るのが下手。一番になった時に「誰も文句は言わせないから」と言えず「まぐれでトップになっちゃいました」と言うがために、米中にルールを持っていかれる。
イノベーションと多様性には相関がある、という記事は多い。
ゼロイチはあり得ない
白と黒しかなかった世界に色が入ると何が起こるかは楽しみなところ
アフリカやアジアに優秀な研究者が居ても、日本は白人は入れて彼らは絶対に入れない。自分たちの方が優れた人種だと思っている。
潰れるべきところを上手に潰して、どうやってフロンティアを作るか。
合理的で正しいことを議論していても、受け入れている人は少ない。どうすれば打開できるか?
言い続けること。
「癖」は簡単にはやめられない。20年間の癖は20年かけて直すしかない。
しかし、そんなまどろっこしいことはしていられない。世代が変われば変わる。
政治を若者へ→足元から、田舎から始める ⇔そもそも都会から、と考えるのは年配政治家の術中にはまっている。
10人が集まって(経済的に破綻している)北海道(夕張)から始めれば変わるはず。一か八かなので人生をそこに掛けられるかどうか。
なぜ分かっている答えを実行に移せないのか
組織、立場、自分の幸せが優先になってきて、「おかしい」と思っていたことを忘れていく
おかしい、と思っている人たちがどうやって集まって接点を持っていくか。
参加者の感想
(感傷的になるが)社会課題に関心を持ち続けることが大切。色々な現実が振ってくるとウーンと思うこともあるが、社会の中で現役世代が関心を持っていくことが重要、と思った。
伝えたいメッセージに対して、何が一番言いたかったかが分からないことがあった。伝えたいメッセージをどうやって伝えるか、伝え方を変えると議論が絞られて進んでいくのではないか。
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