見出し画像

皮膚トラブル 手湿疹やアトピー脱却までの長い話

科学的根拠はありません。あしからず。特効薬やこれをしたらすぐに改善した、というような話ではありません。ですが、様々なクライアントさんとのやりとりを通して、こういうものをとると改善するのではないか、ということを経験的につづります。また自分自身もひどい手湿疹やアトピーもありましたので、苦しい状態とそこからの脱却の歴史、自分の子供へのアプローチもつづります。実際に悩んでいる方、そしてそういったクライアントさんにどう接するか、ということの参考にしていただければ、という記事です。まずは、皮膚トラブルの遍歴、物理的、一般的な対処法とその結果(石鹸や水洗い、食生活の改善等のトライアル)の変遷、最後に潜在意識へのアプローチによる短期間の修復の話(今まだ案件によってはトライアンドエラーをしています。)をします。

記事は私の経験値をつづるものです。参考にしていただくためのもので、議論するためのものではありません。批判や反論、価値の有無、返金は受け付けておりません。ご自身の判断でご購入ください。

スキンケア、保湿、という概念がまだ社会にないころに幼少期をすごした方、冬場などは足や手が乾燥してかゆく、ぼりぼりとかいた経験はありませんか? 私の肌トラブルの遍歴はそれに加え、関節の内側が特にかゆくて激しくかきむしっていました。あとは霜焼けで指の表面がぐちゃぐちゃになったり(今もうっすら残ってます。)、当時はやっていたリンスとシャンプーが一緒になっているものやCMで金髪の女性が髪をバサっと美しくふる例のあのシャンプー(ティ〇〇)を使っていたのですが頭がかゆくてたまらず頭を一日なんどとなくかきむしっていたのを覚えています。また私の弟は全身にアトピーがあり、皮膚科にいってステロイドをもらい毎晩塗っていました。私も関節のかゆみがひどくなるとその薬を塗ってもらっていました。

高学年になるころ、朝シャンというものも流行りはじめ、かゆみ解消のために私も朝シャンするようになりました。夜洗って、朝洗う。シャワーは1日2回。ですが、かゆみは続きます。その当時、シャンプーやシャワ-とかゆみの因果関係については一切考えていませんでした。むしろ親には朝シャワーに入れといわれていたくらいです。

そして、中学の頃、手を石鹸でよく洗うと水にふやけて一瞬しっとりしてさらにきれいになることを発見しました。他はがさつだけれども手だけは美しくなることにうっとりし、一日何度も手をあらいました。しばらくすると、時々手をしっかり洗うと指の付け根にぽつっと赤いものができて、そこに強いかゆみを感じるようになりました。手を石鹸で何度も洗うとそれが出始めるので、石鹸を使う回数を減らしました。

その後、東京に大学に進学し、区内の女子寮に入りました。そこには地下に大浴場があり、「うわ~。」とテンションがあがったのもつかの間、プールの消毒槽のようなカルキくささにびっくりしました。手桶をみると、うっすら白い線もあり、(やっぱり田舎とは違うわ~。)と感心したのを覚えています。入ってみると肌はよりカサカサになるのに気づきました。また、ずっと肌トラブルで悩んでいたので、親が石鹸シャンプーなるものを送ってくれたのですが、使ってみると髪がひどくゴワゴワになり、しかもなんだか手に接着剤がくっついたようなくちゃっとした質感になりました。それでも肌によいのだからと使い続けたのですが、さすがに見た目を気にする年齢。やめました。

そのころはブランド化粧品の全盛期。東京にきて私も遅れちゃいけないと雑誌をみて、バイトしたお金をもって高級デパートの化粧品を片っ端からトライしました。しかしこれまた合わない。国産のカネ〇〇のシリーズでかゆくなり、某世界的有名ブランドのあこがれの口紅は香りで「オエッ」となり、あこがれのグッ〇の香水の香りが合わずにめまいがし、それでも次はこれ、次はこれっ、とトライし続けました。が、かゆい。化学的なものが肌に合わないのかもしれない、と石鹸ベースのものや自然派化粧品も試しましたが、同じでした。

その頃、石鹸すら使わないで肌トラブルを治す、という内容の本を発見。皮膚科の先生が執筆されたものでしたが、内容に賛同し、一切の化粧品を使うことをやめてみました。朝は、水で一回バシャッと洗う。その後何もつけない。夜も同じ。これを1~2か月続ける、というものでした。本に書いてあった通り、最初は乾燥し、かゆくなり、湿疹やら吹き出物がでて、ひどい状態になりました。脂ぎっているのか乾燥しているのかわからないようなぐしゃぐしゃな感じです。ですが、その後、だんだん肌自体が整い始め、なにも使わなくても肌自体に適度な油分がでてきて潤っている感じです。

当時、私の大学の友人が発した、「化粧をしないとコンビニにも恥ずかしくていけない。」という言葉を聞いて、そんなに自分を貶める精神構造にしてしまう化粧はまずいかも、、、と思い(その発言にハッとする自分はやはり主流の考え方ではなかった、ということですね。)このトライアルをしようと決意したきっかけになったと思います。女子大だったし、男の子が周りにいなかったのもよかったですね。バイトにいくのでポイントメイクだけはしましたが。

そんなこんなで、若さもあり、冬場の乾燥も乗り切りました。現在の夫と出会った時には、化粧をすると偽りの自分を好きになってもらってるのかもしれない、とアイライナーとマスカラをするのも後ろめたい気持ちでした。(それだけしかしてなかったのですが。)

顔で成功したので、ボディーソープを使うのもやめ、(ひどい時には使います。)今度は髪を洗うのもやめようかと思いましたが整髪料を付けるために髪はあらっていました。就職した先がオーガニックの会社だったのもあって、先進的なオーガニックのシャンプーやリンスを使ったものの、かゆみは続いていました。おさまってきたのは、石鹸であっても強い洗浄力のものはやめて、完全オーガニックのものに変え、さらに回数を減らしてから、です。今でも毎日髪はあらっていません。3日に1回です。整髪料は保湿のヘアーウォーターとオイルだけです。

この経験から、最初の娘が生まれたとき、ヴェルダのベビーソープやミルクを最初は使ったものの、1か月すぎてからは、体を石鹸で洗うのをやめました。髪もお湯だけにして、だんだん皮脂の分泌が活発になってきたころにオーガニックシャンプーを使うようにしました。リンスはしませんでした。そのためか、はたまた夫の強い遺伝子のせいか(笑)、彼女は皮膚トラブルは無縁でした。ですが、中学に入り、雑誌やCM、お友達の影響でおしゃれなシャンプー&リンスを使いはじめてから「頭がかゆい」といい始めました。ここ1~2年です。今は、朝シャンはやめるように伝え、オーガニックのものを使うようにさせました。結果、かゆみはおさまったようです。

続いて長男も皮膚トラブルはありませんでした。オーガニックの会社での経験もあり、化学調味料はほとんど使わずに、お菓子なども毎日食べるという習慣はありませんでした。

ですが、次女誕生の頃、ちょうど長女、長男ともに駄菓子ブーム。お風呂には入浴剤ブーム。長女のおしゃれなシャンプーブーム。食後にアイスを食べたりするのに小さいころからつきあってきた次女に肌トラブルがではじめました。夜、かゆくてかきむしることが何度かあり、観察していると、パンやケーキなどをメインに食べたときには顕著でした。私の母はパンが大好きでパンをメインにする日は一週間に1度は必ずありました。私もその習慣をひきつぎ、それに加えてうどんや時にはらーめんを食べにいったりしていました。そのため、パンをやめてみました。折しも私の友人の夫が大のうどん好きで、一週間のほとんどをうどんばかり食べていたのですが、いつも痩せていて胃腸トラブルが多く、そのくせ大量に食していました。結婚を機に彼はその食生活を改めさせられ、米食ベースになりました。すると体重が適度にふえはじめ、胃腸トラブルもなくなりました。

私も自分を観察するとパンやナンを食べると体が重くなり、気分が落ち気味になるのがわかりました。だるい、という感じです。娘のこともあり、パン食の機会をほぼゼロにしています。かゆがる機会もへりました。あと入浴剤は追い炊き機能のお風呂に変わったので使っていません。乾燥でかゆくなっているときには、生活の木のシアバターが入っているピンクのボトルの保湿液を使っています。(フェイシャル用です。)柑橘系の香りのするボディミルクはかゆみを感じるようで、だめでした。次女は、基本水洗い(お湯あらい。)で、二日に一片、オーガニックでもなんでもないすみっこぐらしのデザインの普通の子供用シャンプーを使っています。

今現在、基本は水(お湯)だけで洗うということが大切だと二つの出来事によりさらなる確信をえています。

一つ目は、夫の実家、山岳地帯での経験です。夫はトレッキングルートにもなっていない観光客も行かないヒマラヤの少数民族の村出身なのですが、政府にも冷遇されているため、環境が近代化していませんし、今後あるとしても自発的なものかとてもスローに起こっていくでしょう。電気は電池式のものかたま~にやっとできた水力発電からの送電が少し。それも頻繁にこわれて、現在こわれっぱなしです。基本、冷水洗い。乾燥もしているので、冬場は頭を洗うのは頭を洗いたいな、と思ったときです。私もいくと一週間は洗わなくても平気です。すこしかゆみがでてきたら洗うのですが、冷たい水でホースで洗うので苦痛です。(日本のお友達をつれていくときはお湯をわかして袋式のシャワーを使えるようにしてあります。)ですが、村からでて、カトマンズに帰り、ホテルでシャワーをあびながら久しぶりにシャンプーとリンスを使った後、髪の毛の輝きかた、艶の出方にいつも驚きます。考えてみれば、出産や紫外線の影響で髪がバラバラになってもおかしくないのに、義姉はみな髪の毛がキレイです。回数をへらすのは大事なのだと思います。ただし日本は多湿なので、さすがに夏場は毎日洗わないと日によっては気持ち悪いですし冬場も一週間も洗わないということはできないので様子をみて洗うが大切です。感覚をあけると毎日洗う、という行為自体に違和感をかんじるようになるでしょう。

また、アトピーに苦しんだ弟ですが、大人になってからですがボディーソープで洗うのをやめ、水洗いにかえました。そして、サプリメントをとりながら体のバランスを整えて克服しています。彼がいうには、ボディーソープで毎日体を洗う習慣をなくしたら、体が疲れなくなったともいっていました。私も洗髪を毎日するのをやめてみると、体が保護されている感覚や、洗った後のすっきり感とともに疲労感が少しあるのを感じます。それは洗髪することにかけた労力や時間のせいかもしれませんが、保護されている感覚が少しなくなったかのような感覚が数時間続くのがわかります。

手湿疹に関しては、肌や頭へのアプローチができずに苦労をしました。なぜなら食器洗いやらなにやらで手を酷使するからです。手洗いですでに手湿疹が起きているベースに、毎日二回の食器洗い、さらに夜のシャンプーリンスはつらいです。ゴム手袋をしてもかゆいものはかゆい。自分の汗とゴム手袋内のパウダーのようなものがすでにかゆみを促進しますから。ハンドクリームはだめ、ワセリンもだめ。ワセリンはかゆみの上にぬるのでかゆくなるとかいてしまい、ワセリンの上に体液だけがむなしく噴き出す、、、という地獄絵図ですからね。地獄のかゆみのなか、ステロイド塗る、が一番功をなします。それを繰り返す、ということになりますが。

現在はコロナ渦。そうでなくてもこれをおすすめするのは衛生観念の欠如と感じられて不快に思われる方もいらっしゃると思います。ですので、読みたくない方は読まないでください。そしてこれは克服するための一時的なものとしてとらえてくれたらと思います。

あまりにもひどいかゆみだったので、私が行ったのは、水にぬれる回数を極力減らしました。じゃあおトイレは、、?ということになりますよね。手がかゆくて気が狂いそうになることが頻発していたので、極力へらしました。つまり手洗いを減らしたのです。手を酷使するのをやめたのです。ぬれなくても酷使してますからね。道具を使って、キッチンバサミを酷使してやればいけます。シャンプーをやらなくちゃいけないときですら、お風呂にはいるときですら、ぬれる回数をへらしました。そのときだけビニールの手袋をしました。ゴム手袋はかゆいので、毛染めのときについてくるようなあんな感じのぶっかぶかのです。なかに粉がついていたりするのはそれが無理でした。ですが、やむをえず洗ってかゆみが、、、というときにはステロイドをすこしだけぬって、あとは刺激をあたえないようにしていました。大変のようにみえますが、かゆくなる機会をへらしていることになるので、それはそれで楽でした。慣れてきますし。これは科学的根拠はありませんが、手の常在菌をいったん死滅させてますので、それを増やす必要があったのかな、と思います。数か月たったときには手湿疹はほとんどおこらなくなり、今現在では、普通に手袋せずに界面活性剤入りの食器洗い洗剤やシャンプーで頭をあらってもへっちゃらです。乾燥をしたらハンドクリームを普通にぬれます。

このコロナ渦、あちこちで消毒液が常備されていますが、みるたびに、これを繰り返していたら手湿疹出る人増えるだろうな、と少し恐ろしく感じます。ですが、社会的にはタブーな発言。それに消毒しないことによる弊害のほうが大きいということもわかります。ですが、手湿疹で苦しんだ人は、その相当な苦しみも経験しているのです。どちらも考慮すべき大事なことです。夜中に苦しくてもがく経験を何度となくしてみたらその意味がわかるでしょう。

ここまで私がしてきた物理的な対処法をお伝えしました。多くの方と少し違うのは、国内で有数の厳しいオーガニックの会社でかなり商品知識も蓄積していたということがあります。あらゆるものを試しましたし、顧客の方々も皮膚疾患など相当数の方がいらしゃってその対応をみてきた経験もあります。それをへての変遷です。

次に精神的なアプローチについてふれます。これについても「そんなもので」というような不快な感覚がする方は読むのをおやめください。また、提示された方法をトライしてみて成果がだせなくても責任はとりません。ご自身の選択と責任において行ってください。

私自身は、主に潜在意識にアプローチした手法をとりながらクライアントさんが自分の力で自分の環境を整え、周囲と調和して生きるための手助けをしています。人間そのものはこのように構成されているだろうという予測をベースとしてアプローチしているのですが、直接的な因果関係が証明されていなくても体感として成果をだしていると思います。そのため、いろいろトライしてみた結果、なかなか成果がだせないけれども、トライしてみる価値があるのかも、と思っている方にとって一つの参考としてお読みいただければと思います。

私のところでは、クライアントさん自身の内面に焦点をあてて、実際にしていること、本当はこうありたいというありかた、と内面(意識)のずれを修正することで日常に調和をもたらし、クライアントさんがハッピーに軽やかに生きられるよう具体的なアプローチを伝え、指導することで成果をあげています。生き方そのものの質が向上していきます。大抵、日常の様々な悩みや苦しみがあるために訪れる方が多いのですが、その悩みや苦しみの中に体調や皮膚疾患を抱えた人もいます。

その方々の意識に焦点をあててみると、例えば皮膚疾患の症状に「かゆみ」がある場合、そしてまさにそれによって苦しんでいる最中は、「このかゆみは治らない。」と思っています。治っている状態、かゆみのある状態以外のシチュエーション以外は思い浮かべることができない状態です。そこだけクローズアップされていて、しっかりと定着しているのです。かゆくないときが存在していないほど。「私はかゆい」と決めています。もちろんかゆいので、当たり前といえば当たり前ですよね。ですが、この当たり前の思いが、ゴールを決めているのです。

そういう場合には、「かゆみ」をゴールとしています。「絶対に治すぞ」と決めていても、「かゆみは治らない」と同居していることはよくあります。本当に思っていることは、「かゆみは治らない」だったりすることはよくあることです。この「かゆみ」をゴールに決めていると、あらゆるアプローチをしても、かゆみを少し感じたとたん、「やっぱりきかなかったのだ」とあらゆるトライアルを放棄してしまいます。いろいろ対処法をすると、ここにはきいたけど、ここにはきかなかった、というものがあるはずです。ですが、「かゆみは治らない」と思っているとあらゆる感覚データをかゆみとつなげるために、それ以外のなおるにつながる感覚データに対して愚鈍になったり、無視したりするのです。

実際に、私のしている講座の中で、蚊に刺された時のかゆみの観察を行うのですが、かゆみをただ観察していると、「かゆい」がだんだん様々な感覚に分解されはじめ、表面上の「かゆみ」という感覚と一つ深い感覚の「じんじんする」という感覚にわかれていくことを体感していきます。そして表面上のかゆみが観察しおわると消え始め、じんじんだけが残り、それも観察がおこると消えていきます。さらに観察すると赤身もだんだんなくなっていきます。蚊にさされるのは大抵一か所、多くて数か所なので、これは落ち着いてできます。手湿疹の場合だと手全体に及んだりしますので、このように簡単にはいかないでしょう。ですが、トライアルの最中に、かゆみとは違うデータも存在しているのです。ですので、二段階にわけてアプローチするのをすすめています。

一つ目は、かゆみの最中に発生している思い、「もう無理。」「気がくるってしまう。」「私はなにもできない。」「これは終わらない」「かゆい」「苦しい」というものをがあるでしょう。そして実際にかゆい、という感覚です。それをよく観察してもらいます。観察というのは、発生している思いや、感覚をただ眺める、ということです。本当にかゆい~と感じているんだな、と感じるということです。それと同時にそのかゆさに紐づけされている上にあげたような思いも発生していることがわかるでしょう。それらを一つずつしっかりと観察するのです。観察しきると消えていきます。かゆいときにはかゆいという感覚とそれに付随するものに自分が圧倒されていて、他のことは全くわからなくなってしまうんですね。これを一つずつみていくことによって終わらせて圧倒されてしまう状態から移行するのです。

それら発生していることの観察がおわると別のことが見えてきます。ああ、熱をもっているな。とか肌の内側がはれているんだな。とか、肌の内側がはれて反応してそれがひどいと湿疹みたいになっているんだな。というような感じです。かゆみに圧倒されている状態から少し落ち着いた状態です。すると「ではおさまるまで刺激をあたえないようにしてみよう。」とか「熱をもっているから冷やしてみよう」というものが浮かんできます。手の状態を確認しながら、だんだんひいていく過程をしっかりみられるようになれば、意識の中で、「これは治るかもしれない。」「こうしていってみよう」という自分で感じ取ったデータを利用しながら別の方向への展開がまっています。

ほとんどの方は、これを試したけどだめだった、とやめてしまいますが、自分の感覚というものをしっかりとみていくことが大切です。「治らない」と思いながら使って、「治らない」という結果に終わるということです。よく1%のひらめきと99%の努力といいますが、この1%にあたるようなものは1%ではなくて、どうあるか、という土台を決めています。「治らない」という土台に発生することは、すべて「治らない」に帰着するのです。そのため、今回提示したのは「治らない」というデータを観察しつくし、同時に発生している別の土台のデータをみていく、という方法です。なんらかの方法を試すということは、圧倒的に「治らない」という中でも「状況を変えたい」という土台が少しあるということです。そのため、最初のデータを終わらせ、次の土台をひっぱりだしてくることを目指しています。

例えば、ステロイドを使うのも、結局何度も使ってしまって皮膚をうすくするし、よくない。というのは、「治らない」という土台の上に、「良くない」「効かない」ものとして登場するために、効果的につかえていないということです。「治らない」土台の上で治らないための毎日の生活習慣をつづけて使うものだったら、目指している「治らない」に到達しますよね。しっかりと観察をして、自分の皮膚でなにが起こっているのかを確認しつつ、ステロイドを効果的なタイミングで使いながら、いったんよくなったところで皮膚の炎症が起こらないように刺激を少なくする、例えば私みたいに水でぬらすのをすくなくして刺激を与えない機会をふやして、手の回復のための時間をつくって回復させる、という連携プレーができたら、ステロイドが功をそうした、といことにもなります。

苦しみの中で観察する、というのはかゆみに限らず、結構大変なことです。かゆみにおぼれて、治らないとしたほうが気持ち的に楽だったりしますし、「治そう」という気持ちが強すぎると、「治らない」要因となっているものを期待で無視してしまい、結果が変わらないということも発生しますから、根気も必要だったりします。トライ&エラーですから。なので、絶対によくなるのだ、という感覚を少しずつ強めていくのも大切です。苦しみなどは、現状を変えるためのよい動機にもなりえます。今回は、脱出するための大まかな変遷を説明しました。第二回目は、「治らない」土台はなにでできていることが多いかという具体例と、実際にリカバリーした人の取組みの変遷を伝えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?