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映画 マリーゴールドホテルで会いましょう

人生の転機についておすすめしたい映画といえば、「マリーゴールドホテルで会いましょう」を一番にあげるかもしれない。

老齢期を迎えた7人の男女が、本国イギリスで生活を続けるのに行き詰まり、インドのジャイプールのマリーゴールドホテルに移る。そして、エキゾチックですべてが違う生活の中で、自分自身にもう一度生きる意味を取り戻していく、という映画だ。

本国イギリスからのスムーズに行かない往路、騒音と喧騒のジャイプールの街、いろいろなものが混じった匂い、人の熱気。距離のない感情のやりとり。

登場人物の一人、元高等裁判所の判事で若いころにインドで生活をしたことのあるグレアム。彼がここでの生活に心底辟易していたジーンにこの国のよいところをきかれたときに

「生を当たり前のように受け取らず、恩恵として受け取っているところ」

と答えるシーンがある。

私たちは、同じことが繰り返されるレールの敷かれた生活の中で、少しの我慢と少しの忍耐を続けていけば、この「快適」な生活の中で「快適」な生が保証される。もしかすると、ささやかな「夢」すらかなうだろう、という幻想をいだいて生き続けている。

だが、ついぞそれが手に入れられなかったり、裏切られた場合に、どこで間違っていたのか自身を呪い、反省し、はてはどれだけ傷ついたかをみないふりをし正常なふりをして生き続け、それができなければ被害者として恨みを訴え続ける。

私自身においては、10代後半から20代の早いうちにすでに社会の中で限界を感じ、破綻を感じていた。酸素を求めて泳ぎ回る魚のようにあちこちの国を放浪し、自分自身の自信のなさや自分の価値を見出せない絶望感から、早々とレールをおりようとしていた。だが、国際結婚をし、生きるために片足でレールにのりながら今までやってきた。苦労はたぶん、通常の結婚生活の二倍三倍以上あるが、人にとって当たり前のことができたとき、それを「恩恵」だと、そして普通の人と同じレベルで物事をなせた自分への「報奨」だと感じたものだ。

出産一時金やら子育て支援のための給付金すら。そして、現在、中古を改造した一軒家とか。深刻な状態の中で差し出された知恵やその人にとっては些細な助力まで。

自分自身に価値を見出せない私は、いつでも人生は岐路に立っていて、たくさんの選択と決定と、その決定にともなう責任をなんとか果たしてこようと努力した。果たそうとして努力しても努力しても自分を責め続ける毎日は続き、ノーといえない私は、請け負う物事が山のように増えていった。

正直、「なんで私が、、、」と思うことは山ほどあったし、放棄しないと死んでしまうかもしれない、と思うような案件も抱えていた。だが、理不尽で暗闇が多い中で時折やってくる「恩恵」が、私をここまで連れてきてくれたのだと思う。

その一方で、片足で乗り続けてきた普通のレールからは、生をはぎとられてしまうのではないか、という恐怖からいつまでの降りれずにいた。

でも、それもやめにしよう。と何度も思い、何度も荷下ろしをし、方向修正をしてきた。

私は私ですすもう、と思ったときに観たくなるのが、この「マリーゴールドホテルで会いましょう」だ。私の人生の最初の折り返し地点となった場所の香りと記憶をよびもどしてくれるという理由もある。それよりも、かっこわるく、不器用でも自分の思いとともに進むしかなかった私への賛同のメッセージのように思えるから。

20代では気づかなかった、私にとってどうやってもできないこと、苦しいだけのこと、そして意味がなくても好きなもの、人生で大切な意味をもつもの、をちゃんと取り出してみるだけの人生の経験ができた今だから、生きなおすということと真剣に向き合うことができる。

20代のときには押しつぶされそうな不安を払うようにして訪れた場所。そこではなにも求められず、ただの自分でいられた場所。すべての時間が自分に帰属し、吹き抜ける風も、陽光も、あるがまま感じることができた場所。

そこにまた立ち返ろうと思う今、この映画を見ずにはいられない。

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