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世界というものは自分以外の他者すべてであるとして

世界と自分。
自分と世界。

このふたつの間には、なんとなく「境界線」があるような気がする。

自分というものは「自分」でしかなくて、世界というものは自分以外の他者すべてのことであると考えると、なんだかしっくり来るような気がする。
この場合の他者とは他の人間という意味ではなくて、人間以外の存在すべてをも含有している。

世界と自分は基本的には切り離されたものであり、自分というものは本来孤独なものであり、世界と繋がることで自分という存在はようやく孤独から解放されるのだろう。

写真を撮る。歌をうたう。SNSに投稿する。こんな風に文章を書く。
繋がりの太さには差があるかもしれないけれど、世界と繋がる手段は、現代であれば無数にある。

この間、カフェを訪れた。
注文した食べ物を運んでくれた時に通常は提供されるのであろうタバスコを出しながら「いらないと思うけど一応」と添えられた一言。

私が辛いものが苦手だということが脳内にインプットされていて、飲食店の店員さんとしては100点満点でさすがだなと思った。

「うん、使わない」とタバスコを返した。

何気ないやりとりだけれども、添えられた気遣いが私の中には嬉しい記憶として残ったし、彼の中に私の存在が僅かにでもあることが知れた一幕だった。

他者と交わる。世界と繋がる。
誰かに覚えていてもらえているから、自分は世界から孤独にならずにいられるのだろう。

誰かの中に私が居て、私の中に誰かが居て。
だから私も彼らも、世界と繋がっていると言える。孤独じゃないんだと認識せねばなと思わされる。

ちなみに私はミートソースのスパゲティにはタバスコをかけるし、今日の晩ご飯は中辛のカレーです。
おしまい。

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