見出し画像

生きかえりの鏡 第3話

 第3話

「夜ってこんなに明るいのか……」
 街路灯一つ無い世界で想像していた夜道は漆黒の闇だ。
 だが、空を見上げれば星ぼしが砂糖をぶちまけたみたいに光るし、大きな月は影ができるくらいに明るく輝いている。
「蘇生……生きかえりって意味だよな」
 この前美津代って女に襲われた時の事を思い出す。あの女は俺を殺すことで夫が生き返るとか言っていた。
 もしも、もしも本当に人を生き返らせる事が出来るのなら……。
 そこまで考え、俺は頭を振った。
「……確かめる必要はあるよな。俺は寺社奉行の息子って事になっているんだ」
 気合を入れるために布で隠した刀の柄を握り、俺はポータルのある小山の上の神社に向かった。

 神社は小山の上にある。麓からは頂上までは400を超える石段があり、剣道をしていた頃は数え切れないくらい往復していた事を思い出す。
 その石段を登る人がこの夜中に何人も見えた。
 昇っている人は老若男女様々、中には老どころか干物じみた爺さんまでいて、一段登るごとに体を折っては繰り返し息を吐いていた。
「大丈夫か?」
 ひっくり返りそうになった爺さんの背中を押さえて問いかける。
「なんの、ヨネのためじゃ。邪魔するな。わしゃ蘇生人になるんじゃ」
 体は驚くほど軽いが、案外元気そうで安心する。手を離すと爺さんはまた亀みたいにゆっくりと石段を登り始めた。
「ここで間違いないようだな」
 風が麓から頂上に向かって拭き上げ、目にゴミが入る。
 いて、と目をこすって開くと、石段の途中に毛皮を羽織った山賊みたいな男が立っている。いつの間に? と驚く俺の脇を男はずかずかと通り過ぎる。
 刺すような気配を感じて思わず左手を柄に添えたその時。
「このような童子わらしまでもが……。末法の世とはよく言ったものよ」
 ぼそりと蔑むようなつぶやきが聞こえた。
 一体何の事だ? と振り向くが、男の姿は消えていた。石段を降りた形跡も藪に飛び込んだ気配もない。
「また幽霊とか言わないよな?」
 そのうちドッペルゲンガーとかまで出て来ないだろうな? と俺は眉間にシワを寄せる。
 また頂上に向かって生暖かい風が吹き、俺は思わず口を抑えた。
 石段を登りきり参拝路にある鳥居をくぐる。無意識に一礼するのは剣道をやっていた頃の名残だろう。
 石畳の先には朱塗りの柱も銅板の屋根もまだ眩しいくらいに新しく立派な、見慣れているけど見慣れてない宝来神社があった。
 バカ正直と自分でも思うが手水で手を清めて先に進むと、境内の前に十人くらいがいて石畳の上に正座して座り、それぞれ勝手に色々な作法で手を合わせていた。
 社の中に明かりが見え、ゆっくりと動く影がある。
 ──人がいる。
 俺はまばらに座り込む人々の間を抜け、社に近づいた。
「あんた、勝手に近づいちゃだめだよ。神子様は……」
 ふと初老の男が俺に声をかけてきたが、そこまで言って息を呑む。
「あんた……まぶしいなぁ」
「何だって?」
「そうかぁ。あんたみたいな人なら……。あんたみたいなお方だからこそ、出来るのかもなぁ。ああ、あやかりてぇなぁ。あyかりてぇなぁ……かかぁよお……」
 男は一人でつぶやき一人で納得し、ダンゴムシのように背中を丸めて俺を拝みだした。
 拝まれるという事が意外に不気味で、俺は逃げるように社に近づく。
 階段の前にたどり着き、中を覗き込もうとするとまた背中からぬるっとした風が吹き、その風はなぜか社の中に吸い込まれていった。
 さっきから風を受けるたびに脂汗が出る気分だ。
 俺は頭を振り、勢いをつけて階段を登ろうとした。
 その時。
「草履をお脱ぎなさい。ここは神聖な場所ですよ」
 社の中、格子戸の奥から女性の声が響いた。
 頭の上から浴びせられるような声に一瞬心臓が高鳴り、俺はまるで抵抗する気が起きず慌てて草履を脱ぐ。
「さぁ、おいでください」
 まるで来ることが分かっていたような呼びかけだった。俺は二回深呼吸し、唇を結んで階段を登る。階段はわずか十一段なのに、一歩登るごとに空気が薄くなるような気がして額に汗が滲んだ。
 階段を登りきると眼の前に格子戸がある。
「どうぞ中へ」
 格子戸だから中は丸見えのはずなのに、見えるのは光のゆらぎばかりだった。
 ゲームなら絶対ボス戦だ、と恐怖を紛らわせつつ俺は格子戸を開く。
「ようこそいらっしゃいました。蘇生教総本山へようこそ」
 中にいたのは真っ白な装束を纏い、絹のような黒い長髪を蝋燭の光で艷やかに輝かせた女性だった。
「蘇生の力は三世を超える軌跡の力。あなたが来ることは分かっていました」
 真ん中に座る女性の後ろには台の上に質素ながらも恭しく飾られた銅鏡があった。
 部屋の四方に飾られた和ろうそくの揺らぐ輝きが銅鏡に反射し、部屋中に波間のような揺らいだ光を反射している。
 部屋の中はまるで炎の海の中のようだった。
「……過去、現在、未来。三世ってのは仏教の言葉じゃないのか?」
 正直恐る恐るの気分で問うと女性はおや、と目を丸くし、そしてくすくす、と楽しそうに袖で口を隠して笑った。
「かつての大飢饉でこの地の多くの民が上に苦しみ、死にました。それを弔い、神に平穏を願うために建てられた神社にございます。無礼なことを仰るとばちが当たりましょうぞ」
「とぼけないでくれ」
「ふふ。寺社奉行の息子が神罰を恐れぬとは、あなたは本当に矢馳様の御子息なのですか?」
「な……!」
 一瞬頭に血がのぼり無礼な、と言いかけ、思いの外今の時代に染まりかけていた自分に驚く。
「あなたには、想い人がおられましたね。……かつては」
 今度こそ心臓が飛び出しそうだった。
愛別離苦あいべつりく万古不易ばんこふえきの摂理。ですが、それでいいのでしょうか?」
「いいも何も……」
「若い命の愛の育みが不条理によって断ち切られるなどあってはならぬこと。蘇生教はその悲しみを癒やし、やり直す教えです」
「やり直す……?」
「愛は全てに勝ります。愛は全てを許します。そして愛は全てに許されるのです」
「愛……」
 頭の中に頭痛のような痛みと光が走っていた。
「私は蘇生教の教祖、尾九野秋房が妻、晶恵。我が願いは夫の蘇生」
「生きかえり……? でも、そんなこと……
「出来るのです」
 晶恵の背中の銅鏡がサーチライトのようにまばゆく輝いた。
 蘇生の力を授かれば、愛する者の命を蘇らせる事ができます。その者に近しい存在の命を捧げれば、愛するものは蘇るのです!」
 晶恵の髪が逆立つ。瞳は金色に輝いていた。
「そんなことで、人が生き返るもんか!」
「いいえ、生き返る。事実、我が娘は黄泉の縁から舞い戻った」
「……なっ?!」
「魂が足りず、未だ魂のみの存在ではある。だが我が娘佳乃は蘇った! ならば夫も蘇らせることが出来る! 出来るのだ!」
 銅鏡が反射する光が炎のようにゆらぐ。触れた輝きはそれこそ炎のように熱く、おもわず手で払う。
 俺はめまいのせいでおもわず片膝を付いてしまった。
「お前も絶望したのでしょう? 愛するものは何の落ち度もないのに不条理にも命を落としたのですよ」
「それは……」
「理不尽でしょう? あなたの愛するものは死んだ。だれも助けてはくれなかった。そんな者共の命、何の価値がありましょう?」
 そんなことはない。そう言いたいのに喉の奥が潰されたみたいに動かなかった。
「わが夫秋房は人々のためにあれだけ祈ったのに流行り病の元凶扱いされ死んだ。我が娘も死んだ。なぜ私は生き残ったのか? それは愛する秋房を、佳乃を蘇らせるため!」
 呆然とする俺に晶恵は般若のように微笑む。
「この世に神も仏もおりはせぬ。己の力だけがすべて。利用できるものはすべて利用し、そして二人を我が手に取り戻すのだ」
「そんなの……」
「勘違いするでない。その力をあなたにも与えようと言っているのです」
「俺に……力を……? 美菜を……」
「そう、ただし、それは長い輪廻の後でしょうね」
「何?」
「まずは、その生命を私のために捧げるのです」
 晶恵の手にはいつの間にか俺が差していた刀が握られている。
「命を、献上するのです」
 刀を振り上げたその姿は、あの時自分を襲った男に重なった影と同じだった。
 死ぬ。
 俺は目を瞑った。
 だが、振り下ろされた刃が甲高い音とともに止まる。
 驚いて目を開けると、そこには見覚えのある幽霊が晶恵と刀を合わせていた。
「志水?」
「逃げろ。長くは持たない」
「でも!」
「急げ! 外の連中も来るぞ」
 はっとして格子戸を見ると、なにかに取り憑かれたような表情で外の連中がなだれ込もうとしていた。
 俺は空いていた窓から逃げ出す。
 外に居た連中が追いかけてくる。
「そうだ! ポータル!」
 俺は藪に飛び込み、必死に草木をかき分けて境内社を探す。
 だが、境内社があるはずの場所に近づいた時、焦げ臭い匂いがするのに気づく。
 冗談だろ?
 まさか、と思いつつ藪を抜けた俺が見たのは、すっかり焼け落ちた社だった。
「嘘だろ?!」
 黒焦げになった柱はまだ熱を持っていた。
 焼け落ちた屋根の隙間から奥を覗くと、そこには割れて粉々になった銅鏡があった。
「……こんなん、どうするんだよ」
 もう駄目だ、と俺は座り込む。
 遠くから松明を持った人々の叫び声が近づいてくる。
「ゲームオーバーかよ」
 すとん、と緊張感が抜け落ち、肩の力が抜けた。
「母さん……ごめんな。あと、こっちの姉上も、最期まで放埒者ほうらつものでごめんな」
 銅鏡のかけらを眺めながら空を見上げたその時。
「あんた、そんな簡単に諦める奴だったっけ?」
 忘れようがない声がどこかから響いた。