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無駄や過剰な苦労は精神疾患になるだけ

アドラーの本を読んだ事がないけど、YouTubeでアドラー心理学をわかりやすく解説してる動画を見た。(中田敦彦ではない)

その中でアドラーの考え方が大きく2つあり
①過去や未来でなく今にフォーカス
➁自分と他人の課題の分離


最近トラウマについて思う事があり考えてもいた

トラウマには大小あり決して一概には言えないし、自分が望んでないのに呪縛の様に苦しむ事も理解出来る。
実際私もそういう面があるので。


しかも苦しむ事で成長するみたいな考えが過去の私にはあった。
紐解くとスピリチュアルや宗教もそういう考えをしており、そういう考え方だと苦しみを自ら選ぶようになるらしく、それはまるで副作用のある応急処置の薬でありそれらにすがるビジネスモデルになっていると。


アドラーに話を戻そう。
アドラーは過去と未来でなく今だと。
今ここを見ると過去に何があったからという理由が消え、今を少しでも良くする事で今の連続である未来も良くなるという様な考えだった。

本をまだ読んでもないので大雑把な理解だけど解説動画を30分程聞いた上では、これから私が生きる上での指針となる内容だった。
こういう考え方の方が希望があると。
過去に囚われないのはその過去に良い、悪いのジャッジを付けないという事にもなるから。


現に悪い環境だったとか酷い扱いだったと深刻で病的になる事で、被害者意識から人を弱くする面もある。
だからこそ同じ様な環境でも前を向いて今を必死に楽しくしようと生きる事で強くなるんだろうか。


勿論ある期間においては恨もうが塞ぎ込もうがいいと思うけど、ずっとそれに囚われるのが本当の不幸かもしれない

あるいは心のどこかでその現状でいる事でのメリットがあるからこそ嘆いていながら変わらない場合もある。
負だけの側面って無いから。

勿論、生きて行く上で上手く行かない事や生きづらさが幼少期の家庭環境にある場合も多く、だからこう考えるのか…とか出来ない事等を知るのはとても大切。
それが時には悲しみにくれ長い年月をかけて癒す必要もあるのかもしれないけれど、それがずっとじゃない方がいい。
ずっとじゃない方が得だし人生が楽しいから。
ずっと人生が苦しいって何かがおかしいと思うよ。


悲しみや苦しみを糧とし自分の傾向と対策を知り、少しでも心朗らかに今ここから生きて行くのが一番いいんだろうし、それが健康的な生き方だと思う。


脳は現状維持をしたがるから、目標の為にこうしたいと思っても実際その為の行動をするのは8%程の人だと聞いた。
数字の違いはあれど圧倒的に少ないのは何となく分かる。 

◯◯しようと思ってるんだけど…と口では何とでも言えるから。


➁の課題の分離

これも何でも抱え込みがちだったりする私には必要な事。
自分の問題なのかどうなのか。
そう考えると無闇に謝ったり自分が悪いのでは?と思う事も減る。


過去や未来に囚われている人間だからこそ、今ここを大切に生きる事が最善なんだろう

過去のトラウマで鬱になり塞ぎ込んでいたとしても今だけを見たら、人間不信で動かないだけの人。
その背景にある理由は免罪符にもなる一方で自分を毒々しくまたは弱虫にもさせる。
自分を正当化させようとし、出来ない理由を作るのは脳が現状維持をしたがるから。


感情に浸り悲しみにくれ無気力になり希望すらなく思えるのも分かる。
だけど、自分でジャッジしてるだけの過去は一旦置いておき、
これ以上悪くならないように思いを変える事が必要なんじゃないか?私よ。

まず意識を変える
脳の設定をアップデートする

人の脳を模して作られたパソコンがアップデートや更新で何時間かかかるように、休み塞ぎ込む時期はアップデートには必須なんだろう。

だからネガティブや暗い気持ちになるのは自然の摂理であり排除し忌み嫌う事でもなく
当たり前の事だと思う。
一つ解決してもすぐにまた別の問題を作り出す脳になってるのは、あるものを当たり前だと思い感謝が足りないのがある。

最近以前より凄くそう思うようになった。

結局は生きづらさにも理由があるだろうし、そこから目を背けたり誤魔化さずに、だからなんだなぁ…と、傷付きまくるけどそれこそが根本解決だと思う。
自分の何かに蓋をするとその蓋を開けて傷付けてやろうとする人がいたり、そこが隙になり騙されやすくもなる。
自分が見ない様にしてるから意識がそこまで回らない。


もしも明日1000万やるから死んでと言われたら死にますか?相続とかなしで

死にたくないと思ったなら日々の1日はお金の価値にしたら大金です。
その1日1日を過去や未来を嘆いて暮らすなんて勿体ない。
変えられるものは変えながらマゾヒストみたいに無駄な苦しみや苦労なんてせず楽しく生きた方がいいと私は思う。
目標や資格取得や学校に合格する為にとかの苦労や忍耐は別で。


人生は苦しむ修行ではない

苦しんでばかりでは成長等せず、精神疾患になるかクソみたいな性格になるだけだと。


世の中には金とコネ、容姿や生まれた環境が良かったという運だけで苦労もせず楽しく暮らしている人達も普通にいる理不尽な世界。
お金があれば立派な学歴も付けられ、容姿も普通に整形して変えてる人も多い。歯の矯正も整形。


だからこそ、努力すれば報われるや中身さえ良ければは違う。真面目になり過ぎて常に頑張るも違う。
それらは全部綺麗ごと。世の中は嘘や綺麗事に溢れているから素直な人は真に受けギャップに苦しむ。
少し位、悪の要素を持たないといけない事も往々にある。
だからこそ人や物に執着せず変えられるものは変え、去る者は追わずがいいかな。


変えられるものばかりだと思う。
実際私は少しだけ整形してるけどして良かった。鼻プロテーゼは取ったけどまたいつか入れるのもありかな位で、化粧すれば今は気にならない。
芥川龍之介の「鼻」読んだなぁ。
したら分かる、人の扱いの違いが。
人間なんてそんなもんなんだと思った。


そんな世の中だからこそ、
自分が腐ったらおしまいで生きながらの地獄とは自分が腐る事ではないかな


私は結構、多くの人と違う経験をしており苦しんだ方かもしれない、子供の頃から。だからこその人間不信だけど善人であまり賢くない私にはその位がちょうどいい。

でもね、無駄な苦労はまっぴらごめん。
そんな生き方はもういらないよ、私。
問題を作り悩むだけで改善しないのはマゾでしかなく、転んでもタダでは起きないが如く糧にするかそれを使って出来る事を考えた方がいい程に人生は短い。


人生は楽しむもの

人生は楽しんだもん勝ち。
昔カウンセラーから聞いた言葉が実際そうだよなと刺さる。
楽しむの内容は人によって違い、今の私は子供の成長が楽しみ、子供の喜ぶ顔が楽しみ。
それを思い出せ。
楽しむと言っても子供を悲しませる破滅的な楽しみではないからね。


色即是空とでも言うのかな、
人生に意味を付けてるのは妄想や各々の願いであって、本来人生に意味はないと私は思うからこそ、無駄な苦労や苦しみは不要で楽しく生きるのが全てだと今は感じる。


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