清濁(「光る君へ」第25回)*65

越前の国守となった藤原為時は、民から税として納められた一部で歴代の国守が私服をこやしていることを知ります。自分は私服を肥やすつもりはないので、多く納めなくてよい、と民のことを思い言ったのですが、すぐに交代してしまう国守様にはわからないだろうが、今のままでうまく行っているのでやり方を変えないでほしいとお願いされます。その言葉から、すべてを察した為時が家に帰り、まひろに嘆く場面でのことばです。

わしは世の中が見えておらぬ。
宣孝殿は清も濁も併せのむことができるゆえ
太宰府でもうまくやっておったのであろう。
(中略:宣孝殿が、まひろに恋文を熱心に送ってきている話が続きます。)
ただこれだけは心しておけ。
宣孝殿には、妻もおるし、妾も何人もおる。
お前をいつくしむであろうが、他の女子もいつくしむであろう。
お前は潔癖ゆえ、そのことで傷つかぬよう心構えはしておけよ。

「光る君へ」第25回

まひろ(紫式部)の父、藤原為時が賢くありながらも、長い間官職につけず、苦労してきた所以がわかる場面でした。まひろも、藤原道長と別れたのは、父に似て、このようなところがあったからでしょう。つい、今だったら…と考えてしまいます。
時は人をまるくしてくれるものなのでしょうか。

※宣孝殿は、為時の親友(学友)であり、まひろとは長年交流のある方で、まひろに妻になれと最近求婚しています。


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