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知性がアイへと変わる時

久しぶりにnoteを開いて、びっくりしてしまった。何故って、いつも愛読しているエッセイスト(noter?)のエムコさんの記事が、私のツボど真ん中をまた突いてきたからだった。

『「良心の呵責」という難しい言葉を日常的に使うタケイの賢さに心を奪われてしまったのだ。』これこそまさに、である。「サピオロマンティック」という言葉を知った時の、あの腹落ちを思い出す。

人の知性に惹かれてしまうのだ…。学校の勉強やテストの点というよりも。言葉遣いなどから教養を感じる人と話すと、惹かれてしまう。

(※念のため申し添えますが、賢さというのは定量的なものでも客観的なものでもないと思っています。単に「私が相手の言動に賢さを感じた」人が好きになるだけで、学歴で人を判断しているというわけではありません。学歴は分かりやすく「勉学の履歴」を表すけども、私が想定している賢さとイコール、ではない…。)

自分自身、頭がいいほうではないし、エムコさんと同じで数学や算数は壊滅的で(笑)一度なぞ、¥3,000と¥30,000を間違えて伝票を書いて、危うく会社の金庫から実際より10倍の現金を出金しようとしたこともある。

頭のどこかおかしいんちゃうか〜、数的な感覚がバグっているというか…。(ちなみに、この件は上司が気がついてくれて事なきを得た。)

自分は普通はしないようなミスをするという前提で、常に自分を疑うようにしている。それでも思い込みとは怖いもので、あの時の自分、何でこんなことやらかしたん…?と首を傾げることしきりである。

そんな自分は棚にあげて、哲学的な話をしたり、頭の中で言葉を捏ねくり回したり、文章を書いたり、ザ文系人間の面目躍如な場面では、急にイキイキし始める。

例えば「いわば私たちは戦略的互恵関係だね」と口を突いて出てきた時に、我ながら感心してしまったり、ただのしりとりをしているだけなのに、サラっと国連の創設者の名前が出てきた相手の教養力(?)に対して、心の底から快哉を叫んだり。

若者言葉的にはこういうのをこそ、性癖と呼んだりするのだろうか…。

エムコさんのすぐ人を好きになるところも含めて、同意しかない…。
例えば、ドラマ「恋せぬふたり」の主人公咲子の人との距離感に共感を覚えてツイートしようとツイッターを見ると、目に入ったのは「咲子の人との距離感、近すぎて苦手」…そんな距離感バグり女が私である。
最近ハマっているピン芸人の「九月」さんの『ベトベトン』という人間の持つ粘着質性についてのコントに、共感を覚える私である。

これは思わず長文綴るしかないよ…😂

(とはいえ、文中に出てくるタケイには一発お見舞いしたいところだが…。全員了解の上で隠さずオープンに関係を構築してるならまだ誠実、相手がそういう人ならば、ポリアモラスな関係性の知識がある今の私には、受け入れる余地がある。けど、何となく気を持たせておいて、はいかん…。「これは妹のだ」と言う等々…確信犯だと思われるし、控えめに言ってク〇馬〇野郎)


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