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ここに至るまでの話~小休止を取るまで~5

物理的に動けなくなってみて、休んでみて、たくさん自分と向き合った。

①例えば、自分の範囲を超えて責任を感じてしまう自分、に目を向けてみた。上司の承認がなかなか降りなかったり、情報が回ってこなかった為に、自分の仕事が進まないことがある。そしてそれが元で他の部署にまで迷惑をかけてしまう。それが申し訳なく思えてしまう。自分にはどうしようもないことに対して責任を感じても、自分が辛くなるだけなのにね。そういう自分がいる、ということを認めて一旦、受け入れてみた。

②例えば、「自分なりに頑張っているはずなのに認められない」という満たされなさ。自分で考えて工夫した物事に対して、それは評価できないと言われた。評価シート上は対象にならないのは仕方ない、と1度は受け止めたのに、後になってみるとやっぱり悔しい。なぜなら、自分がした工夫自体を見てもらえなかったというしこりが残ったから。自分がやった工夫に対して「むしろそれが普通、そうなってるべきなのに、そうなってなかったのがよくない」と独り言のように言われて。でも、私は、上司のいう「普通の状態になっていなかったもの」を改善したのだ。公には評価できないことなのかもしれない、小さすぎる改善なのかもしれない。でもそれでも、やったことに対する受け止めがされなければ、改善しようとか工夫しようという、「気力」が湧くわけない。部下の気力や、やる気を削ぐための面談ですか?評価シートですか?

③「上司に否定され続けている」と感じてしまう今の環境について。面談では、軽い調子で「仕事がないって言うけどさ、ミスが多いから仕事任せられないんだよな…」と言われて。そして実際に新しく仕事を任せてもらえない現状に直面した時、あぁ本当に信頼されていないんだ、必要とされていないんだと思ったし、思ってしまった。すると余計に、気力もやる気も湧いてこなくなる。それなのに、人員が減ったら、あの発言は何事もなかったように新しい仕事を任された。それ自体は、まだ見捨てられてなかったんだ、と安堵した。けれど、信頼されていないという気持ちはどこかに残ったまま。相手に信頼されていると思えなければ、相手を信頼できない。何を言われても、自分が信頼されてないからそう言われるのだ、と受け取れてしまう。不信感の悪循環。

もちろん、コロナのストレス、遊びにいけない消化不良な休日、慣れない在宅勤務など…。他にも色々重なったのだとは、思うけど。

この休みの間に出た今の時点の結論としては、辞めよう、とはならなかった。まだもう少し頑張ってみたいと思えた。なぜなら、今の仕事は、得意とは言わないまでも、合わないとまでは思っていないこと。手順を自分なりにまとめて自分なりの工夫をする余地があること。ある程度、自分の仕事をコントロールできること。1つ1つの仕事をこなして、やることリストが消化されていく達成感。誰かの役に立っていると思える瞬間があること。そして上司の上司から「辞めるなんて言わないで、改善していくから」という言葉が聞けたこと。

少しでも信頼されていると思えれば、続けていける。信頼に応えたいと思う。仕事をして欲しいと思うなら、仕事をしたいと思えなくなったり、気力を奪ったりする言葉ではなく、仕事をしたい、と思える言葉掛けを…。

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