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気配りが壊滅的にできない

いつまでたっても、社会的なコミュニケーションに、過剰なストレスを感じる。

簡単なことだと周囲の人は言う。簡単に出来る人は当たり前のことが何故できないのかと問い詰める。
彼らには悪意はないし、諫言はむしろ良かれと思って放たれる。それが、身を案じてくれている言葉だと気がつくことにすら時間がかかった。

思うに、私のそこまで長くはない人生の中で、特に多感な時期に浴びせられた「アドバイス」は、実際のところ機嫌による不満のはけ口だったことが多かった。
中学生の頃の担任は不機嫌な人だった。当時は、母も大変な時期で機嫌の高低差が激しかった。

何をしても何をしなくても些細な落ち度を見つけられて責められる日々。同じ行為で褒められたり貶されたりする日々。なにをもって怒鳴られるのか、褒められるのか、原因がわからない。回避しようのない他人からの攻撃と賞賛。自己判断の基準はどんどんあいまいになって、社会性の判断軸が壊れていった。
そのうちに、自分が悪いからだ、という使い勝手のいい結論を見つけた。そう、自分が悪いから怒られるのだ。そう思い込まなければ、自分の存在価値そのものが「世界」から否定されてしまう。

未だに、あの頃の原因がわからない悪意は、減点評価されるとよみがえることがある。

それに加えて、私は高校時代から大学に進学する5年間ほど、病気のためほとんど社会と関わらなかった。
さらに、病気に対する偏見は私自身の評価と結びついた。あいつはやる気のない、怠惰で、プレッシャーに負けた人間だ。どうせ逃げているんだろう。調子が悪いと嘘をついているんだろう。私の人格とは関係ない悪評が、自分自身のせいで引き起こされているのだという絶望を味わった。

中学の時に芽生えた自己否定の種は、ここで大きく花を咲かせた。原因が私になくとも、間違いがあれば全て自分のせいだと思うようになった。私に原因があると考えなければ、社会における自分自身の存在価値をかろうじて留めておくことができなくなった。生きていても良いという安心を得ることができなくなった。

療養・浪人時代は完全な引きこもりというほど断絶されていたわけではなく、気心の知れない人とは常に会っていたし、夏期・冬期は特別講習にも通っていたが、社会性、コミュニケーション能力が必要とされる局面はまるでなく、人見知りと対人恐怖症は加速する一方だった。

加えて、闘病期は社会というものへの不信が重なっていった時期だった。
高校の単位制度に始まり、大学の出席を重視する成績評価、積極的に弱者を排除するための制度なのではないかと思うシステム、民放の病気をネタにした感動ポルノ、病弱者を馬鹿にしたような態度や、かわいそうがることで善人ぶられるわりに何の手助けもしない人たち、一方的な善意をおしつけておいてそれを受け取らなければ悪態をつく人たち、根性論でなんでも解決できると思考停止して健康な人の基準を押し付けてくる人たちなど、世間の些細な「当たり前」に晒されるたびに、不信はしっかりと確実に増えていった。この時期が一番、社会というイメージに対して憎しみを抱いていたと思う。

他人と「まともな」コミュニケーションが取れないという自信のなさと社会に対する漠然とした憎しみは、私から人として「当たり前」にできるはずの行為や態度を身につける機会を奪っていったように思う。
いや、奪われたというか、避けてしまっていたというか。

他人とのコミュニケーションは、大学に入って無理やり慣らすまで、本当に苦痛だった。
慣れるまでは、些細な自分の言動が、正しい振る舞いだったか眠りにつく前にぐちゃぐちゃと悩み、誰も気にしないような失敗の記憶でいっぱいいっぱいになった。成人したいい大人が、まるで自意識過剰な思春期だ。

自分のことを社会的弱者として、ハンデの大きい爆弾を抱えた存在だと思っていた私にとって、社会でどうにか生きていくことは大きな不安だった。
まともなレールに乗って生きること自体は物心ついたときからするつもりはあまりなかったが、最低限、自立しなければならないという思いがあった。

すっかり弱者は社会のゴミだという自覚が植えつけられていた。私自体は他者にそれをおしつけないし、そんな考え方はクソだと思っているけれど、そういう人たちが多いのでしかたないと半ば諦観していた。これは今でも若干残っていて、積極的に迷惑をかけて生きるくらいなら死んだ方がマシくらいに思っているフシがある。

運がいいのか悪いのか、能力を認められる機会は多かった。
学生と言う名の身分は、少し秀でているだけの特殊能力があれば褒めそやされる、社会不適合の免罪符だった。

大人であってもだらしないことが許されてしまうレアケースもあることには、ある。
大きな結果だと多くの人が認めるような、いわゆる賞のような、権威的なものからの認可であったり、または大衆ウケする影響力を持つことであったり。でも、こう言う人たちは「ふつう」を痛いくらいに理解している。ふるまえないかもしれないけど、理解しているから、真逆のことができるのだ。

ただの人が、学生という肩書きを失ったら。
社会人でいる以上は、起業でもしてルールを作る側にならない限り、何だか定義のわからない暗黙で共有されている「当たり前のこと」と言われることがそれなりに不可欠なのである。体育会系部活動的な態度、気配り、茶番などと呼ばれる能力を身につけなければ、損はすれども得はなく、生きにくいことこの上ないのである。

普通の人として、当たり前のことができるようになること。「正常」な社会的コミュニケーションが取れること。
大人になるというのは、結局のところ、それができるようになることなのだろうか。大人ってむずかしい。

というわけで、今後は私が外面的に人見知りを克服してきた方法や、今も身につけることをがんばっている、要領のいいらしいふるまいをぼちぼちメモしていこうと思う。

性暴力サバイバー、裁判は高裁で敗北的和解。Xジェンダー。四方により性自認を愚弄され、諸々のショックからPTSDに。その後、うつ病発症。