架空メンヘラエッセイ

フィクションです。

子供のころから優しくされなかった私は、自分という物を知らなかったのかもしれない。回りと関わったりどうすればいいのかなどについて私はあまり知らなかった。子供のころから孤独で覆いつくされていた私は子供の頃から怖さを覚えていた。
周りの人が可愛らしい服装を小学校でしていたが、私の父親はそうさせようとしなかった。フォーマルでオタク少女のような服装を着させていた。私がどういう服装をしようが関係がないと言いたいけど、そんな事を言ってしまえば父親は私に敵対し、私を脅したり叩いたりしてきた。
複雑な傷を抱えた私は、私をどん底の何もない暗闇に隠してしまう。そのまま、私は小学校を過ごしていて、3年生から私はいじめられてしまった。私はいじめを受け、酷く傷ついた。そのころから言動や、やることが極端になってきたと思う。インターネットは、私にとって居心地が良かった。似たような人もいたし、楽しいことが多くあった。だけどたまに自殺を極端にほのめかしたり、混乱して家出をしそうにもなった。親はそんな私には無関心で、家出をしても迎えに来なかった。そんなことを繰り返して小学5年生の時、今でも覚えてる悲しい出来事があった。親は私に愛想を切らして、私を置いて行って東京に出て行ってしまったのだ。
「ごめんなさい。あなたのことが嫌いになったわけではないの。でもしばらくあなたとは合えません」
そんなものが机に置いてあった。
私は本当に私を愛してくれる普通であるはずの存在を失ってしまったのだ。
私の心はぽっかりと穴が開いてしまい、ひざまずいてしまった。
その後、私は親を失い、外を徘徊(目的もなく、うろうろと外を歩くこと)していたところ警察に捕まってしまった。
その警察のお兄さんは、警察だったのに私にきやすく話しかけてきて、
「かわいいね。」
や、
「エッチなことするの?」
などと聞いてきた。
そんなことを聞かれたものだから、それから警察を心から信用できなくなった。
そのあと、私はそんな卑猥な事について、相談できるはずもなく、そのまま保護施設に入れられていた。
だけど私は眼鏡をかけたオタクな少女だったからその中でもいじめられてしまった。
そして、私が小6年生のころ、ちょうど親が戻ったとの連絡が入り、家に帰らされた。
私の母親は電車に転落し死亡していた。私は何も感じなかった。
沢山の男の人とやりたい放題やった後、薬でおかしくなった勢いで電車に飛び込んだのだ。
母親の腕には沢山の注射跡があったのだろう。
父親は私を世話するようになった。食事も作るようになった。
だけど私の心はぽっかりとした穴が開いていて、そんなものでは満たされなかった。
私は、その時から思春期が始まっていた。
生理について何も知らなかったか時、混乱していた所を保健の先生に助けてもらったことがある。
保健の先生は親身になって聞いてくれて、私が混乱していても、ちゃんとした性知識を授けてくれて、助かった。
そんな優しい先生とも、なかなか話せず、学業も落ち込み、家で父親は元のように暴れるようになった。父親が家で暴れるものだから、家出を繰り返せば、補導されることが多くなって、友達を連れて、ゲームセンターなどに入り浸ることになった。
警察に「家族は?」と聞かれることが辛かった。だから私はいつも警察を避けるように動いた。先輩も警察から逃げる方法や捕まらない方法を教えてくれた。
私は中学2年生になると精神的に混乱し頭の中が悲しみでいっぱいになるようになった。
頭の中が悲しい事ばかりでいっぱいになるものだから、死にたいとか消えたいとか、そういう感情が常に積もるもので、Twitterでそんなツイートを沢山していた。そんなに沢山ツイートするものだから、優良な生徒は私に声をかけに来てくれたけど、正確の悪い私はその子たちを
「何もしらないでしょ。いい加減にしてよ。」とか、
「嫌いだからそういうの」とか、
そんなことを言って遠ざけた。
先生に相談しても、素面を切って、保健の先生も入れ替わってしまい、
「あんたは責任感がないのよ。」
とか言われる始末。
私はそんなことをされ続けたせいで、リスカットなどの自傷行為にも手を染めて、Twitterに自傷行為の後の画像を投稿したりした。
そして、中学3年生の時、後輩の男の子とセッ**をした時から、私はセッ**も繰り返すようになって、その時には5人くらいの男子と行為していた。
そのうち、心の中は希死念慮で覆いつくされて、心も体もボロボロになった。
Twitterで、市販薬をたくさん飲めば幸せになると書かれていた。
だから私も、市販薬をたくさん飲んだ。
多幸感が溢れて、その時は幸せになると思って沢山の薬物を使用してしまった。
結果的に、私はODしてしまい、そのまま道端で動けない状態になってしまった。
そこを警察3人組に見つかり、保護された。
その時、警察はかなり切迫した表情で私に問いかけた。
あなたは、「****さんですか?」
と聞かれた。
私は、「はい。」
と答えた。
そのあと、私は訳が分からないまま逮捕され、
少年刑務所に入れられて、沢山のことを覚えた。
そして、そのまま塀の外に出れた。
どうやら、今になって知ったが、私の友達は強姦殺人を行っていて死刑が言い渡されたらしい。
それを知ったのは大人になってからだった。
そんなときの私は精神的にも身体的にも未熟で、何もわからなかった。
仕事もお金もないから、とりあえずお金を稼ごうとした。
私は古い知り合いにあった。
そして封筒を渡すだけの仕事を言い渡され、お金がもらえると思い、行おうとした。
しかし、そのあと、封筒を手渡された瞬間警察に捕まった。
私は覚せい剤取締法違反で逮捕された。
しかし、その時も何も知らず、覚せい剤が何かも知らなかった。
その結果、刑務所で過ごしながら私は社会に溶け込むための訓練を受けることになった。
そのまま、私は2038年。出所した。
今は、沢山の警察と協力しながら、服を作る工場で働いている。
今でもわからないことだらけだが、私がどういう自分で、どういう世界で生きているのか。
私にはまだあまりわからないままなのである。

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