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「わたしたち」の範囲

ふと気になることがある。その「わたしたち」のなかには、わたしが含まれているのかどうか。
何もべつに、まったく知らない人の輪に入れてくれという話ではない。わたしを構ってくれなんて思っていない。むしろ放っておいてほしい。ただ、邪魔をしないでほしい。頼むから不安にさせないでほしい。不快に、させないでほしい。





とあるレストランでのこと。
だれが見ても、ウイルス対策は万全。清掃の行き届いた店の入り口には、東京都が発行している「感染防止徹底宣言」と書かれた虹色のステッカー。クリアで清潔感のあるアルコール消毒用のスプレーボトル、手際のよい体温チェック。スタッフの案内に従い消毒と検温を済ませ、マスクを着用してはじめて、店内へ入ることが許される。当然、入り口にはその旨が明記されている。
テーブルに着き、マスクを外す。広々としたスペースの、4名掛けのテーブル。こんなに広い席でいいのかなと思ったけれど、これも対策の一環で、定員の半分の人数にしかつかわないのだそうだ。テーブルの上にも、ちいさな注意書きがある。ウイルス感染防止の観点から、大声での会話はご遠慮ください、お手洗いなどの離席時にはマスク着用のご協力をお願いいたします、など。徹底されている。

食事を進めながら、それとなく店内の様子を見ていた。マスク着用でサービスを行うホールスタッフ。客もしっかり、店の方針に従っている。離席時はマスク着用。客の安全に気を配る店と、要請された協力への十分な理解をもった客。そこにいるすべての人が、まさに力をあわせてスマートで美しい空気を演出しているかのようだった。

と、店の入り口付近がやけに騒々しくなった。トラブルか、何か。

そこまでしなくていいだろう、気にしないからそういうのは、わたしたち

聞こえた、低くてよく通る、恰幅のいい男性の声。
マスク着用の拒否。これから食事をするのになぜマスクかと、不満を並べていた。
どうしても、引っかかってしまった。
「わたしたち」。
料理とともに安心を提供しようとしている店と、それを信じて協力し、委ねているほかの客の姿。それが、彼らには目に入らない。
結局さいごは店側の重ねての協力要請に従って(店は譲るわけにはいかない)、彼らはしぶしぶマスクを着用した。面倒くさいだのやりすぎだの、さんざん悪態をついたあとで。
でももう、遅いんだ。
彼らは「わたしたち」を、引き戻してしまった。
目の前のひと皿に詰まったしあわせ、夢。そんな非日常の世界から、このつまらない現実に。
彼らが席に着く。おもむろに、マスクを外す。
まだ、言っている。こんなことして何の意味がある、と。
やるせなくなる。
「わたしたち」が味わい切れなかった非日常の世界をこれから堪能するのは、呪いのような言葉と飛沫を飛ばしつづける彼らなのだ。


「わたしたち」の範囲はいったいどこまでを指すのだろう。時と場合、親密さや利害関係によって異なるのはわかっているけれど。知りたくなる、そこにいるすべての人にとっての「わたしたち」の範囲を。
せめてこのときは、彼らにもこちらの「わたしたち」の一部になってほしかった。店との協力の上に夢を見ている、こちらの「わたしたち」の一部に。

「わたしたち」の範囲を考えるということは、「ものごとをどれだけ自分ごととして見るか」と同じようなことだと思う。客ひとりふたり、マスクをはずして歩いたところで換気のいい店内での感染リスクなど心配には及ばない。でも、これはマスクにかぎった話じゃないし、大切なのはそこじゃないんだ。

「わたしたち」の範囲を見誤ることが、他人を不幸にする。不快にする。「自分ごと」として考えられなかったことに、失望される。
「わたしたち」は、試されている。
マナー、エチケット、センス、振る舞い、価値観...どんな言葉でこれを表せばいいだろう。もとから存在していた、けれどあまりはっきり見えなかったもの。ウイルスが、浮き彫りにしたもの。一人ひとり、それぞれにとっての「わたしたち」。

くり返す。
「わたしたち」は、試されている。
どれだけのものごとを、自分ごととして見ることができるか。いつもいい顔をしていろ、人の顔色を窺っていろ、妥協していろと言っているわけではない。今そこで規定した「わたしたち」の範囲に、理由があればいい。配慮があればいい。「わたしたち」が貫く正義にたいして、覚悟をもっていればいい。偉そうに書いたけれど、もちろんこれは、自戒を込めて、だ。


つまらないnoteを書いた気がする。
でも、つまらないからどうでもいいというわけではないことを、知っているから書いている。





これは、最近のぼくの実体験を元にして、それを必要な程度に脚色して書いています。ここではウイルス対策の是非や飲食店の対応の良し悪し、ここでの主観を述べている人物(ぼくです)や客の振る舞いについての「~べき」のようなご意見は求めていません。建設的なご意見は歓迎します。一歩間違うと荒れる内容を含んだ文章だと思いますので、念のため書き添えておきます。お読みいただきありがとうございます。







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