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だれかの夢を、叶えたい。 #同じテーマで小説を書こう

この街は、静かだった。
ひっそりと、ただ連綿と言葉が紡がれてゆく、この街。
時折聞こえるのは、カタカタ...という、柔らかく乾いた音。
それは、街の中心の広場にある、さながら井戸のような、底の見えない、深い深い穴の奥のほうから聞こえてきた。

この街の住人はみんな、その音が好きだった。
なぜならそれこそが、ぼくらの拠りどころであって、つながる理由であって、ぼくらがここにいる意味である「言葉」を、だれかが必死に生み出している音だったから。
音は深い深い穴の奥から空へと舞い上がり、街全体を包みこむように、ぼくらの上に柔らかく降り注いだ。
心地よいその音は、だれかが言葉を紡ぐ音。
みんなが、好きな音。
この街は、静かだった。



ある日、だれかが言っていた。
街の中心の、あの井戸のような深い深い穴から、最近人の声が聴こえると。
カタカタ...という、だれかが言葉を紡ぐ音に紛れて、かすかに人の声が聴こえることがある、と。

理解できなかった。
ここは、言葉を紡ぐ街。
言葉を、カタカタと文字にして、その言葉にのせた思いを、みんなで伝えあう街。
だれかが言葉を紡ぐ音。
それ以外には、聴こえるものなどないはずだったから。





言葉が出ない。
思いが形にならない。
ただ空を見上げては、ふわり漂う言葉の切れ端を掴みたくて、手を伸ばした。
空を切った、手のひらを見る。
思いを、形に。
ときにそれはとても困難を極めることで、街が静寂のうちに眠ってしまうのではないかと思うこともあった。
カタ...と、だれかが言葉を紡いでは、音が止まる。
カタ、カタ...カタ。
空気の流れが止まってしまったような、そんな日だった。
気づけばぼくは、街の中心の、さながら井戸のような、底の見えない、深い深い穴のある広場で、茫然と立ち尽くしていた。



そのとき。

それは突然、聴こえた。



ちいさなちいさな声だった。
カタ、カタ...と、だれかが必死に紡ぐ言葉の音に紛れて、その声はかすかに、ぼくの耳に届いていた。
全身に、すぅ、と沁みこむような、瑞々しさと慈しみをあわせ持ったような、優しい優しい声だった。
ソプラノとアルトの間のような、しなやかで芯のある、美しい声だった。
耳を澄ませて、その声を感じようとする。
その声を、全身で味わおうとする。

ちいさかったその声は、徐々にその輪郭をあらわにした。
全身に、すぅ、と沁みこむようなその声は、しなやかで芯のある、美しいその声は、まぎれもなく、言葉を紡いでいた。
だれかの思いをのせた言葉に、ひとひらの彩りと、温度を添えて。
その声は、言葉を紡いでいた。

それは、物語であり、夢だった。

その声はやがて、街全体を包みこむように、ぼくらの上に降り注いだ。
沁みこむような、しなやかな、美しい声。
ぼくは、目を閉じた。
まぶたの裏に、その声にのせられただれかの思いを、物語を、しっとりと映しこもうとした。

だれかの夢を、叶えたい。
そう願っているような、優しい、優しい、声だった。
物語は、夢は。
その声にのって、街全体を、包みこんだ。





ここは、言葉を紡ぐ街。
言葉を、カタカタと文字にして、その言葉にのせた思いを、みんなで伝えあう街。
そんな街には、今。
カタカタ...という、だれかが言葉を紡ぐ音とともに、瑞々しさと慈しみをあわせ持ったような、しなやかで美しいその声が、時折柔らかく降り注いでいる。






あきらとさんの企画に参加させていただきました。

みんなの「声」。
今日、この街にたくさん降り注ぎますように。








いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。