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小さい頃に憧れていたものを思い出したら、今の仕事にたどり着いた

小さい頃の憧れについて書いた。

現在、憧れているという人は?と聞かれると、特にいなくっていつも困っていた。憧れるということがなかったのに加えて、憧れるが「あくがる」という語源から来ていて(よかったら調べてみてね)、あまりその状態を好きだなと思えなくなったのもあり、憧れるのはなくなった。一方で、好きだなって思う人たちはたくさんいて、毎日、人のもつユニークさにワクワクしている

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で、小さい頃の憧れについて書き始めたら、案の定なくって。時々に、人前でそんな話をしたことを思い出しながら書いていたら、小学校のときにはテニスがしたくって松岡修造といってみたり、中学校の頃はアーティストが好きになっていて松岡充が好きだと思っていたり、高校の卒業式の挨拶のときには父を尊敬していると話していた。など、好きだなとか合理的にこんなところを目指しているなんてときに使うだけで、本質的には憧れていなかったのではなんて思ってしまう

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が、出てきたものがあった。漫画の主人公たちだ。るろうに剣心の緋村や、封神演義の太公望、ラフの大和なんかがそうだ。この漫画が好きというのもあるけれど、やっぱり主人公のあり方が好きというか憧れだったのかもしれないなとこれなら言える。どの主人公も大事にしていることが自分の中にあり、自己犠牲を仲間のためには惜しまない部分があり、それをできるように努力をしている。だけれども、どれもその部分を表には出さずに行っていく。漫画なので、周りの誰かがその優しさや行動に気づき感謝していく。ときには誤解を得ながらも文句を言わずに「自分がしたいからやった」という感じだ

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こういったのが好きなのは、ついつい自分がやったことアピールをしてしまうことや、本当はどこかで気づいて褒めて欲しいなんて思っているからかもしれないが笑、でもそういう黒子のような役が好きなのは、そこからきているのかもしれない。そう思えば、ファシリテーションの役割は、自分にぴったりだなんて落ちになった

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