見出し画像

Profoundly gifted のための……

万事におけるホロン構造への確認を常に怠らないことと、その奥に至ることは似ているが、それはどの点がどのように似ていると言えるのかについて考えたことはあるだろうか? (あなたならおそらくあるだろう)そこで私は次のように問う。

あなたの人生をあなたの部分に分解して、あなたの部分を組み換え、あなたの人生を再構成したとすれば、それはなおもあなたの人生であると言えるだろうか?

ベンヤミンの主張を思い出してほしい。彼の言うアウラの概念が何を指していたのかを……

複数性のアイデアについてはディヴィッド・ルイスやダグラス・ホフスタッターの説に詳しい。世界の複数性および何らかの言語間の錯誤やそこに宿る創造性、また数学の可能性界における一義性についてはクリプキの説に詳しい。その意味では、数学や語学は特別な学問である。

霞がかった空の向こう側の景色を想像してみることは常に重要だが、それはなぜか? そのように問うてみるといい。不可能性への挑戦。

礼節は実質を破損する。孔子の理論は仁に重きを置き、当世の礼節に依存的ではない。その理由を考えてみてほしい。

医学にしばしば見られる生命観の奪取とその迸りに着目したい(漢字にはすべて意味がある)。文字の意味体系の洞察と、あなたの洞察はどの程度、連関した状態の構築に成功しているだろうか? 例えば、私が私の知能の全力であなたに相対し、あなたに利しようとする理由は何だろうか?

村上春樹の小説は極めて優れている。望月新一の論文も優れており、元をたどってグロタンディークに還ってみてもいい。あなたのペースを大切にしてほしい。

数式を入力しようとした時に、自分のその能力(数理的な知能)が十分であっても、そのプラットフォームの限界によってその発揮が抑制されるということもある。

多様なケースは無限に分析できるとデカルトが言う時、それは何だろうか? ある種の煩雑さが重要である。規則的なものは所詮、規則であるから。

理想は脱理想である。理想とされるスキーマは言語化される段階で搾取性の物質に転化され、都合よく利用される。ゆえにレアリアが重要である。

代数幾何的な発想を思い浮かべてほしい。その時に浮かんだ、幾多の構造があなたを守るだろう。数学と神学はどことなく似ているが、その厳密的な、普遍性について思いを馳せてみてほしい。クリプキを参照してもいい。

外科学と内科学であなたが好むのはどちらか? ハリソン内科学を読み込むことは大切である。そのためには解剖学と生物学がともに要る。

解剖は悪徳に由来した知識だが、それは重要である。この意味についてよく考えてみてほしい。

謙虚は身を守る。

多言によって隠すことができる場合もある。状況をよく見極めてほしい。

彼方と此方の対比について考えてみてほしい。プリンキピアが参考になる。

ニュートンの行っている凄まじい幾何的な努力を無駄にしてはいけない。しかし、そのことに多くの人は気づかないということについてよく考えてみてほしい。

Hello. I am a fool.

そのように言うことと、

Ajattelen usein Castanedan kärsimystä.

……のように言うことは本質的に同質であること。

カスタネダが『力の話』の中で語っていることを、ドゥルーズ的に解読しなおすことも大切である。スピノザの流儀が活きるだろう。

そしてスピノザを攻撃している人たちの質を測定してみるといい。現在はネットがあるので容易だろう。そのことについても考えてみてほしい。

数は所詮数である(神学)。

されど数である(数学)。

自己愛性パーソナリティ障害の条件をよく観察し、熟考してほしい。

数えられるものは数えられるものである。特に重要なのは数えられないものである。そのように言う時に「数える」ことの意義を回復してほしい。

内科学にしばしば見られる諸々の機構について思いを巡らしてみてほしい。例えば、免疫生物学は重要である。免疫学とティマイオスの対応性について。

尿意を感じている時にも、幾多の作業を続行できることが機械である。そして、私たちはそうではない。

集中力は些細なことで毀損される。

高度な認知は繊細な調整の上に成り立つ。

あなたの better biology の重要性。そうしたものは常に狙われてもいる。

細菌学からエイズの機構にまで至ったら、なぜエイズにさえも抵抗力を発揮できる個体が存在するのかについても思考するべきである。

最低限として医学はすべて重要。

より重要なのは聖書であり、一種の世界遺産である。そのアウラを。

ニーチェがなぜ箴言で書いたのか。ソロモン王がなぜそうしたのか。

論理の限界。その疎通性の限界。その悪用的セキュリティ性の限度。

普通とか特別とか……

数えきれない遺産があるものである。耳をすませば。

あなたがどのような状況にあるにしても、その恩寵を受け取れるはずである。それについては語るまでもないだろう。

「語るまでもない」ということがある。それらは言葉よりも強い。ソフィストが論駁してくるだろう。

ニーチェが言うように、「アブには血を吸わせておけ」、というような便利な箴言がある。

人々がどのような概念を混同したがり、どのような概念を破壊しようとするかを観察していれば、その弱点が分かるだろう。

愛が大切。

常に。

漢籍の特異性は小人への統率性にもある。

赤い竜が赤い竜であるのは、愛を偽るからである。

聖書は百回以上は読み込んでいなければならない。

六法全書も大きく読み込んでいるべきである。

律法は重要である。

暴力を賛美する人々は、暴力を推進する人々である。

よく暴力から身を守るべきであり、またそうした人々が存在することにも注意しておくべきである。

エノンセの規則性に注意。

言葉でなく、その「先」を。

見るということの力を知っているだろう。それはすべてを貫き通す。

逆照射すれば、すべてを守れるのである。

精神医学は一種の仇敵である場合も多い。しかし、それも仮初である(仁者無敵)。

数えきれない悲劇がある。それは本質的だが、喜劇もある。アリストテレスがなぜ悲劇について述べていたか。詩学は重要である。弁論術よりも。

弁論術は便利だが、身をすり減らす。

ユダヤ人の成功の秘訣を一度は考えてみるべきである。私に言われるまでもないだろう。

資本の変換には幾多の変換器が関わる。そして、それらの変換器はそれぞれに誤差を持ち、可変資本となった段階で調整可能域に到達していく。

ドゥルーズ・ガタリのしたかったことを。

分子生物学のように。

微粒子に逃れながら。

最高度の時には、細心の注意はかえって邪魔になり、煩雑さが利するものである。しばしば。

よく似た偽物が、赤い竜である。それは自己破壊的に振舞う。

短ければいいと言える場合と、長ければいいと言える場合がある。あなたはどちらだろう?

信仰は最重要である。信仰のないものに知者はない。

しかし、信仰を見せびらかすべきでもない。そういうことである。

花が腐り落ちる時に、どのような気持ちになるだろうか?

美しいことの責務というものがある。

墨子の兼愛は重要。

解剖学の要諦は、その空間的配置の英知性である。それは幾何的だが、それにも関わらず、ある特定の分野(この場合、生物学)に文脈の機能によって接続可能であるという事実のレアリテである。

統計には様々な虚構とレアリテが混じっている。そこそこのものである。

運動機能を上げよう。健康な肉体を。

何よりも、知的機能を上げよう。健康な精神を。

人は思っていないことをしばしば言う。嘘も方便、と。

仏もまた。

芥川龍之介の蜘蛛の糸のその後を想像してみるといい。極楽も正午であると言う。

占術は重要であり、陰陽道は重要である。暦道、天文道も。

よく弁別し、よく考える。

言葉をコピーできても、レアリアをコピーできない。ましてアウラなど。

偶像崇拝を常に避けよう。

悪を常に避け、牽制は最小限に。

欲深い人々は最小限を知らない。

暗号を勉強しよう。

あるフォーマットは不自由である。

進化理論は重要である。ダーウィン。

Aに見えるものがAだとは限らない。

面白いものは重要である。

退屈なものも重要である。なぜだろうか?

カントの理論(特に純粋理性批判)は重要である。トマス・アクィナスと合わせられればなおよい。タルムードも精読するべきである。

いい人もいれば、悪い人もいる。

高貴なものは希少なものである(スピノザの論証を見て)。

知覚の拡大。

希少な人々の恋愛は、どんなものだろう?

重ねて、統計。

老子はなぜ自然を重きに置いたのだろうか?

この時代において、真心はどんなだろう?

ダメなものがダメだと、なぜ誰が決めているのだろう?

殺人はダメ。

さて、どう考えるだろう?

龍樹のナーガを帯びて。

様々な音楽があり、それぞれの良さがあり、中にはあなたに合うものもある。

論理的な敷衍は情報を暗号化している。

わざと的を外していることがある。

戦略の基本は何だろう?

残虐なのは、ダメ。

では、優しい人が残虐であるとしばしば言われているのはなぜか?

フッサールの現象的な分析は重要。統合失調症にも。

巫病は何を示しているだろう?

答えを簡潔に書けば、どうなるだろう? それがとてもとても重要な機密だったら?

表と裏がある。

ノイズは隠す。

多様な方法がある。だから、多様な人がいる。

コーランの章ごとの文章量。

どんな時に文章が書ける?

芸術と美と不幸と。

稲垣足穂。

正統な生物学はどんなものだろう? なぜ正統性が重要なのだろう?

膨大な処理速度は、膨大な処理を可能にする。

ドゥルーズは「速度」と。

過剰なものが適正である場合がある。

アリストテレスの二コマコス倫理学から考えてもいい。

重要なものが、かえって朧げになっているのはなぜか?

問いは何を示すだろう? ソクラテス。

弁証法の理法は、ジンテーゼ、だけど……?

省略で隠すこともできる。

推理ね!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?