合格体験記(とその他備忘録)
2024 7/5
久しぶりにnoteを開いたらこんな記事の下書きがあった。今更清書するのもあれなのでこのまま出す。すさまじく尻切れトンボだけど。
春から大学院生に進学する。
仕事を辞めるというそれなりに大きい決断をし、経済的にも色々不利を抱えてまでした選択だけど(当然親にも迷惑をかけている)、自分の今までを考えると、時間的な余裕のある生活に溺れて惰性で2年を終わらせる可能性が少なからずあると思う。ので、ここに戒めとして仕事を辞めてから大学院合格を達成するまでの諸々を書き残しておく。初心忘れるべからずと言うけれど、まあ具体的に書き残してないと普通に忘れるよなということにも最近まで気づいていなかった。
基本時系列順で、思い出しながら書いていく。
~9月
.退職した。
就職してから、このままでいいのかみたいな葛藤はずっとあった。
まとめると、
・なんか企画職か営業かよく分からない部署で、専門職同士、自社とクライアントの連絡係みたいなことをずっとやってて、自分自身には何も経験値が溜まらない状態。
・小規模ベンチャーなので、自分が数年頑張ったらこの人みたいなポジションになるんだろうな~みたいな役職の仕事も大体分かるのだが、全然ピンとこないというか、こうなりたいと全然思えなかった。
・転職するにしても実績アピールになるような仕事を全然やっていない。
みたいな感じ。
先行きが見えなかくてしんどかったとかいうことではなく、むしろその逆で、何年も先までクリアに見通しが立っているのに、その内容がクソつまらなかった。
で、最終の引き金になったのは、惰性でこなしてた仕事で初歩的かつ重大なミスをやらかしたことだったと思う。人に迷惑かけたし怒られもして、それ自体結構しんどかった。けど一番きつかったのは、この先この会社でどんなに頑張っても、特に何かのスペシャリストになれるとかではなくて、こういうミスが少なくなっていくだけだなということを実感したことだと思う。
で、まあ、7月くらいにやめたいですって上司に言って、9月末に退職した。
最終出社日が9月上旬だったのだけど、discordのログを辿ってみたらそのタイミングで友達が家に来てピザを食べたりしてた。ユニバにいったりとかね。タイムラグゼロでニート堪能にシフトしてるけど、院試勉強は?
大例会にも普通に行ったんだった。行きのバスの車内で某にM3用ティザー動画の相談に乗ってもらったりした。なんかDJもやった気がする。新曲お披露目も兼ねて。
で、飲み会で泥酔するまで飲んだ。某先輩がありえないくらいにいいタイミングで宴会場から俺を連れ出してくれ、どこかの部屋に入った瞬間にトイレで吐いた。院試を控えている身で満喫しすぎ。
10月
院の説明会みたいなものは行ったんだけど、普通にM3にかかりきりだった。ティザー動画の素材集めに南海線で海沿いの動画を撮った。オフシーズンの海水浴場とか、滅びかけの港町みたいな素敵な場所がたくさんあった。機会があったら人を連れて歩きに行きたいと思う。
結果オーライだったけど、普通に地図を見て計画を立てた方が良いと思う。本当にノリで降りた駅でたまたまいい素材がいっぱい集まっただけ。こんなに運任せで事を運んだ意味が分からなすぎる、今思うと。
M3当日。
人の助けもあり、自分で想像してたよりずっといいものができたし、そこそこ買ってもらえた。あきらかにジャケットの魅力でブーストされていて、本当に感謝。憧れのwavfireさんとかに挨拶できたし。即売会ってこんなに楽しいのかと思った記憶がある。
前日に中野ブロードウェイに行ったけど、かなり楽しかった。ああいう雑多な文化的空間みたいなものへのあこがれが強い。
11月
M3が終わったのだが、京都には戻らず星宮ととのライブに行った。このライブにいつもの全身ユニクロ人間で行くのがはばかられ、なんかファッション挑戦してみるか、という気持ちになった。確かかなり直近に、ゲームさんぽのファッションの回を見ており、服を買うことにかなり前向きになっていたのも大きいと思う。
浦和のアジアンな婦人服みたいなところに行き、生まれて初めて(オタクの誇張表現ではなく、本当に初めて)ユニクロ以外の場所で自分の意志で服を買った。どうして初めからアジアンテイストに狙いを定めていたのかは今となっては思い出せないけど、初手からかなり納得のいく方向性になった。
で、京都に戻ってきてからようやく試験勉強を始めた。とはいえ、過去問を見て、「あれ?思ったより英語解けないな~」とかアホみたいなことを考えていただけの気がする。
某に「まあ院生に勉強の仕方聞けば?」みたいなことを言われ、「そりゃそうか」となってた。
で、院の先輩(世代で言うと同期や後輩だけど)にアドバイスなどをもらい、中旬くらいに本を読み始めた。三回生くらいから、卒論だけ勘で書き上げればいいやーくらいの気持ちでろくに勉強もしておらず、自分の行きたい専修についてもろくに知識が無かったので、本当に基礎的な本から。
このあたりから、某がやってるデイリースクラムに参加し始めた。仲間との相互監視、マジ大事。あきらかに能率が上がり始めた。
12月
このころまで、「まあ今年度の試験で受かるのはむずいかな~」みたいな気持ちでいた気がする。アンビエント京都に行く道中そんな話を友達としてたから、12月くらいまではそんな気分だったはず。
けどどこかのタイミングで、いや普通に今年受かるように全力を尽くすべきでは?という気持ちが不意に湧いてきた。なんかM3くらいからぼんやり目をそらしてへらへらしてたのに、何故か急に現実にピントが合ったからやばいくらい冷汗がでた記憶がある。
このあたりは、マジでただがむしゃらに本を読んでた。運に助けられた部分も大きいけど、なんとなくメディア学の系譜やテンションが分かり、論述もそこそこ書けるやつは書ける感じになってきた。
結構人と遊んでる、この時期。
1月
英作文が全然できるようにならないことから全力で目をそらしつつ、サウンドスタディーズやゲーム研究、音響メディア史などの本を読んでいた。
要するにメディア考古学の感じで研究すれば、俺が卒論段階で見て見ぬふりしてた部分にちゃんと向き合えるじゃんという気づきがあった。研究したいことがかなり定まった。口頭試問の準備もかなり人に助けられつつ進めた。
2月
受験本番に向けて、ちゃんと早寝早起きをしてたと思う。
隣人がうるさくて寝れなかったので最後の一週間は実家に帰って勉強のみに集中した。
で、なんとか一次突破。英語ちゃんとやって差をつけようと思ってたのに、英語が明らかに例年より簡単だったので焦った。ところで、論述もそこそこ書けたし流石に通ってるだろ、そうであってくれという感じだった。
二次試験も突破。
振り返ってみると、11月中旬くらいから始めて良くここまで持ってこれたな
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