学校嫌い
子供の頃から学校が嫌いだったなぁ。
暖かく優しい時間が過ぎる家の中でずっと過ごしていたかった。
だけど、学校へ行くといつの間にか目の前の出来事に心奪われて、そのことに一生懸命になっている自分がいる。
はみ出し者の未来
子供の頃は何もかもが小さ過ぎて、世界が学校と家族だけで構成されていて、そこからはみ出してしまえば世界の全てが終わってしまうように感じていた。
私は「いじめ」に疎かったせいで、自分がいじめられていることに気づかないという驚きの方法でいじめられることから免れた⁉️
ある日突然「無視してごめんね」と言われてからやっと気づいたくらい、友達を信じて疑わない超変わった子供だったみたいだ。
だけど、周りにはクラス中から除け者にされている女の子もいて、そうなるととんでもなく生き苦しい(息苦しい)世界になることは分かっていた。※正義感正しい私はクラス会議をして、クラス全員にいじめを謝らせるということもやった。
他には、何やっても嫌われる男の子に関しては、私も嫌いだったので味方することはなかったし、なんなら戦っていた側かもしれないけれど、「こんなはみ出し者は将来がやばいな」とどこかで感じていた。
とにかく、子供の頃はみ出して目立つ人物は私の中では要注意人物だった。
学校は嫌いだけど、みんなと馴染めなかったら私が要注意人物になってしまう。それはいけない!みんなと馴染まなければ!そう思えば思うほど、学校は好きになれなかった。
はみ出し者はその頃の私にとって、未来は明るくないと信じていた。
登校拒否する息子
私が仕事で独立を果たすために家にはほとんど帰らずに、パパに育児も家事も任せておいた頃、娘も息子も登校拒否をしていたようだ。
私の母はそれを嘆き、毎朝引きずってでも学校へ通わせた。かつての私を学校へ連れていったように。
私の心はとても傷んだ。私が子育てしていたら、学校になんか行かせないのに。休みたいだけ休めばいい。字の読み書きと、足し算引き算掛け算までできれば充分だ!
だけど育児に参加していない私にそれを言う権利は全くなかった。
私に似たんだな。
そう思ったし、子供の頃感じたはみ出し者が要注意人物だとはすでにもう思ってもいなかったから、無理矢理学校へ行かされている子供の気持ちを思いやると少し辛かった。
マイノリティとマジョリティ
世の中は少数派と多数派に分かれている。
※数十年後全ての人がマイノリティになるかもしれないけど。まだ現在は多数派と言われる人たちがいる。
多数派の中にいつも身を置き続けなければならない面倒くささ、窮屈さ、つまらなさ、自己否定感、は日増しに募るけれど、安全や安心を幻想でもいいから手放したくないと思う執着もあった。
はみ出し者は確実に少数派だ。
はみ出し者は自由そうだ。楽しそうだ。当然「おかしな奴」というバッシングをくらっているけれど、それと引き換えに得たものは自分らしさという、実は誰もが一番欲しくて欲しくてたまらないものを手にしているように見える。
自分の人生を謳歌していそうだ。
良くも悪くも人の注目を集める。
それは、長く生きれば生きるほど、顕著に差をつけて、人生の輪郭を浮き彫りにする。
そのスタート地点は、学校から始まっているように思う。
今の学校は常にマジョリティが勝っている仕組みだ。
それを人生の正解だと勘違いさせてしまう場所だ。
だけど、世の中に出てみればわかる。
成功者は全てマイノリティだ。
学校嫌いはもしかしたら良いことなんじゃないかなと、信じて止まない今日この頃。
学校嫌い、最高!
そう言って過去の自分を励ましてもいるww
今の自分にも感謝している。
おかしな母親でごめんね!
けど、ママの人生は最高だよ。
毎日頑張ってる人を応援します📣世の中にはステキな人がたくさんいる😍