コンビニの違いに気がついたのが、はじまりだったのかもしれない

 わたしはコンビニの違いを知らなかった。今思えば、知らなくてよかったのかもしれない。コンビニで買うものは、いつもおにぎり、水、タバコと決まっていたため、わたしはコンビニを店名で把握していなかった。たまにコンビニ支払いを利用するときに店名を心得ている必要があるため、家から1番近くのコンビニだけは店名を把握していた。ほかのコンビニの違いなんて気にもしていなかった。コンビニに行こうと思ってコンビニに入店する。いつもの品を購入する。なんて名前の店で買ったかなど気にもならなかった。
 それに気がついたのは親しい友人であった。その人の指摘ではじめてわたしはコンビニにはそれぞれの店名があり、わたしはどの場所にどの種類のコンビニがあるのかを把握していないことを認識した。世の中の人はコンビニを細やかなディテールで捉えていることを知り、なんとなく、これはすごい発見だぞ、とわたしの世界が広がる予感に妙に興奮を覚えた。

 それから、店名を意識してコンビニに訪れてみると、なるほどこの店はお弁当の品揃えが良いとか、この店はお気に入りのおにぎりが売っているとか、コンビニによっての特徴が見えてきた。その友人はホットスナックの存在も教えてくれた。わたしも高校生の頃は部活終わりにホットスナックのチキンを買っていたのだが、それを"部活終わりに買うチキン"と認識していたため、大学生になってから買うという発想がなかった。おかしな話のように聞こえるかもしれないが、わたしの中ではそういうことになっていたのだから仕方ない。
 さらに友人はコンビニでアイスが買えることも教えてくれた。わたしも学生の頃はコンビニでいつも決まったアイスを買っていたのだが、それを"学生時代に買う決まったアイス"と認識していた。友人に連れられてコンビニの冷凍庫の中を覗いてみると、クリームブリュレとか大学芋とか、わたしが知らない冬季限定のアイスがたくさん並んでいた。ここにあるすべての商品を買う自由がわたしにあるのか、と思うと何かすごい力を手に入れたような気がした。
 それから別の友人とファミレスに行くと、今度はパフェを食べようと言われた。ファミレスはご飯とポテトフライとドリンクバーの店だと思っていたわたしは衝撃を受けた。まさか、大好きなパフェを自分のお金で、しかもファミレスで食べるなんて想像もしていなかった。わたしは、わたしの中にある認識が次々と変わっていくことに快感を覚えた。今思うとこれらの経験は、わたしの内界に現実が侵食するきっかけにもなっていたのである。

 最近、夢や想像力についてよく考えている。夢とは想像力によってもたらされる自分の内界であり、想像力とは世界を侵食するほど強いイマジネーションの力のことである。自分の内界、すなわち自分の内面の真実と、現実とを結び合わせることが可能なほど本気の想像力。それによって、わたしが夢と呼んでいる自分の内界は維持されている、というのが現時点での見解である。
 つまり、わたしがコンビニの店名も知らなかったこともファミレスでパフェを食べなかったことも、夢がもたらす作用だったのではないだろうか。しかし、認識はわたしの内界に現実をもたらした。そこからわたしは進んで現実に歩み寄り、認識の更新を楽しんだ。それはコンビニでアイスが買える等の楽しいものばかりではなかったのに。これもすべて、コンビニの違いに気がついたのが、はじまりだったのかもしれない。

Aさんへ(一部抜粋)

 最近、身の回りのことがどんどん複雑になってきていて、それも表だと思ったら裏だったとか、白だと思ったら黒だったみたいな単純な話じゃなくて。形だけでも三次元的に複雑なのに、色に至ってはグラデーションで光のあたりかたによっても見え方が変わる。そんな物体を脳内でこねくりまわしている気分です。
 現実がわたしの内界に侵食することを、お酒を飲んで食い止めています。本も読みます。酔いの合間を縫って本を読みます。酔いすぎて文字が追えなくなったら音楽を聴きます。ベッドの上にどんどん積み重なっていく本が、わたしの夢を守る唯一の砦です。今日は新しいシャンプーを試すので楽しみです。

わたしより

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