人魚は刺身になるしかないのか

 私には嫌いな人魚がいる。私の家がある浜辺に住み着いているその人魚は、泳ぎが下手だから遠目からでもすぐにそいつだと分かる。夕暮れ時に波打ち際で散歩をしている私にとってあまりにも耐え難いのが、その耳障りで舌足らずな歌声だった。
 人魚はぎこちなく海辺の岩にあがり、猫背で岩肌に腰掛ける。夕日に浮かぶその姿だけでも滑稽なのに、そいつはやたらと大きな声で品の悪い歌を歌い始めるのだ。嫌でも耳に入ってくるその歌は、私を惨めで恥ずかしい気持ちにさせる。
 幼いようでいて破廉恥な、自分の露悪さを包み隠しもしないのに変なところで嘘をつく、その歌が大嫌いだった。そいつの無様さを凝縮したような歌だった。

 しかし、同時に私は人魚のことを憐れんでもいた。いつもの赤裸々な歌から垣間見える人となりもあったのだが、それ以上の私が知らないはずのことまでも、不思議と私は人魚のことを把握していた。そうして変な情のようなものが湧いてしまった私は、せめてそいつに歌を教えてやろうと思った。けれど、人魚は耳が悪いから私の声は届かない。あいつの歌は聴こえてきても、私の言葉は虚しく波間に散るばかりなのだ。
 それでも、私は人魚を助けてやらなければならなかった。実のところ、そいつのことが可愛くて可愛くて仕方なかったのだ。下品な歌声の取り繕いかたを教えて、さえずりの美しい人魚にしてやりたかった。

 もし、海底に悪い魔女がいれば、悲しい呪いを受けて王子に会いに行けたのに。現実に生まれてしまった人魚は、自分の意思で己の卑しさと向き合わなければならない。なのにあいつは頭も悪いから、自分の歌声で耳をおかしくしてしまった。当の本人はこの歌を聞かずに済んで、ケロッとしていることにも腹が立つ。
 そんなどうしようもなく哀れな奴なのに、海の魚たちは人魚のことが好きだった。歌声は海中まで届かないのか。魚たちはそんなこと気にも留めていないのか。受け入れて仲良くしているのか。分からない。しかも、私までもが人魚のことが好きなのだから理解に苦しむ。

 だからこそ、人魚の欠点を治してやりたい。美しい人魚としてもっと広い海へ連れて行って、会わせてやりたい人がいる。今の人魚ではまだ会わせられない。このままじゃ手遅れになってしまう。人魚はその人に会わなければならない。
 もう打つ手がないのなら、いっそこいつを刺身にするしかないのだろうか。こいつのすらりとした尾を捌き、半透明の鱗で飾り立てれば、手っ取り早く美しくなれる。下品で卑しく惨めなおまえも、透き通る新鮮な食物としてあの人の一部になることができるのだ。

 でも、それでいいのか。人魚は刺身になるしかないのか。私が人魚にしてやれることが何かあるはずだ。美しい人魚にしてやるために……。

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