見出し画像

わたしにできること

動画を見ていないし、あまり見たい気もしないのにとやかく言うのはどうかと思うが。DaiGoさんの『ホームレスなんていない方がいい』という趣旨の発言にとてもモヤモヤした気持ちになったので、気持ちの整理のために書いている。

大学生の頃、あるNGOの海外ツアーに参加したのだが、今でも心にとげのように刺さって抜けない光景が2つある。

ひとつはモロッコ。とても怖かった。なにがって、手がないおばさんとか、顔がただれた子供とかがたくさん物乞いをしているのが。キリがないから構うな、と連れに言われ、目を合わせないようそそくさと通りすぎた。

後に映画スラムドッグ$ミリオネア を見たとき、こういう物乞いのバックにはやくざみたいな組織があって、わざと子供を失明させたり、手や足を切り落とすこともある、という描写を見たとき、本当に、食事ができなくなるくらいショックで吐き気がした。

2つ目は、ペルーでマチュ・ピチュを見るツアーに参加したとき、町でほんの5,6歳くらいの子どもたちが、たくさん詰め寄ってきたこと。『ウンペソ、ウンペソ(30円くらい)トレス、ワンダラー(3個で1ドル)』と押し付けてきた土産物の中から、ちいさなちいさなカメのぬいぐるみを買った。

同じ世界に生まれてきて、私は学生の身分で、親に借りたお金で呑気に海外旅行している。モロッコの物乞いの親子や、ペルーでカメの人形を売っていたきっと一生飛行機に乗ることも、世界を旅することもないだろう。生まれてきた環境で、こんなに世界が違うなんて。どうしてだろう、私は何者なんだろう。自分があっちじゃなくてよかった、とはどうしても思えないのだ。あんな環境の人がいなくなる、みんなが幸せになる社会はどうやったら実現するのだろう。

就職してから、プランジャパンというNGOを知り、ペルーの子供のマンスリーサポーターをしている。文通をするのだが、そういえば最近手紙を書いていない。

あの光景を見てから、せかいにふその問いは頭にこびりついて離れなかったのに、今も日常で小さな一歩が踏み出せない自分をもどかしく思う。

『ビッグイシュー』を売る人を見るたび、買おうと思うのに、売っているホームレスさんにどうしても話しかけられない。

地下鉄で通勤していた頃、会社の最寄り駅のすぐそばで横になっているホームレスさんのおじいさんを毎日横目に見ていたがなにもしなかった。

ある寒い冬の週明け、おじさんのいつもいる場所に花束が置かれていたのをみて、『あぁ』と、やるせない気持ちになったのを、今もそこを通ると思い出す。

DaiGoさんを責める気にはならない。いくらそういう弱い立場の人を見て心を痛めていたって、私だって何も行動はしていないのだから。

でも、この騒ぎでまた心のトゲがちくちくしている。大したことはできなくても、世界を変えられなくても、今度こそ目の前で困ってる人に手を差し出せるようになりたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?