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終戦の日に

子どものころは、戦争の番組はなんだか怖くて嫌だった。自分がしたことでもないのに今不自由なく暮らしていることを「感謝しなさい」と父に言われるのが納得がいかなかった。

父は今年66歳なので戦争を直接体験したわけではないが、戦後の貧しい時代に五人兄弟を育て上げた働き者の祖母のことを本当に大切に思っているようだった。ただ、子どもの頃の私はそんなことは知らないので、ことあるごとに「おなか一杯食べれるって幸せなんだよ」「世の中にはご飯食べられない子がたくさんいるんだよ」といわれる度、説教されているようですごく居心地が悪かった。

今日はテレビをつける度、戦争についての特番をやっていたが、りゅうちぇるさんが沖縄戦について取材をする番組で思わず泣いてしまった。

りゅうちぇるさんのおばあさまは沖縄戦で各地のガマを転々とする中で子どもを亡くし、知らない人に集団自決に誘われたが怖くなって逃げ、生き延びたそうだ。その話をするりゅうちぇるさんが、「子どもを亡くしたんですよね。自分だったら、(あきらめて)自決を選ぶかもしれない。でも、祖母が生きてくれたおかげで自分が存在すると思うと…」と言葉を紡いでいて、本当にそうだ、自分よりなにより生き延びてほしい子供の命を奪われても、生き抜く気力があるだろうか、と思い膝の上の娘を思わず抱きしめた。

最近戦争を体験した方の手記や、インタビュー記事で目にするのが、「どうして自分は生き残ってしまったのか」「非国民と後ろ指をさされた」というような、辛い辛い言葉だ。奪われた家族や仲間の命を背負い、厳しい環境を死に物狂いで生き抜いてきた方々のおかげで今の自分がいて、この社会があると思うと、「家族でご飯をおなかいっぱい食べられる」幸せは本当に尊い。

そしてふと、父が口にした言葉は私への説教などではなく、父の心の底から湧いてきた、父自身に対する言葉だったのだと気が付いた。

反抗的だった子ども時代の私とは裏腹に、まだ3歳の娘は口癖のように、「みんなで食べるとおいしいねー」とにっこりする。私と二人きりの食事でも、「一緒に食べるとおいしいねー」と言ってくれる。特に自分の境遇がどうこうとかではなく、この言葉がみんなをにっこりさせるのが分かっていて、うれしくて繰り返しているのだと思うが、素直にまっすぐきちんと幸せが見えている娘が誇らしいし、まぶしい。

満ち足りた平和な日常が誰の下にも平等に訪れますように。ずっとずっと続きますように。

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