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エンディング後の霧慧トァン(1) 『ハーモニー読解』/伊藤計劃研究

(※本稿は来年への課題、つまり「明らかに面倒だけどここまで公開する以上は後に引けねえ」なメモとして書いているものです。荒削りな側面がある旨ご了承下さい)

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『虐殺器官』と『ハーモニー』の大仕掛けには、共通する点がある。
 大きな背景が存在するなか、書き手が行動する。
 丁寧に読み解けば、背景の影響(の有無)を確定することが出来る。そして、たとえ自由意志に基づいていても、いい結果をもたらすとは限らない。

『虐殺器官』に関しては 8月公開分の原稿で完了 した。
 クラヴィス・シェパードの行動原理に、もはや疑問の余地はない。
 では、『ハーモニー』の場合はどうか。
 まずは問いを立ててみよう。

『ハーモニー』本文を書いた霧慧トァンは、完全にWatchMeの影響下にあったのか?

 この場合の「完全にWatchMeの影響下」とは、「WatchMeにより調和されている」ことを指す。単にWatchMeをインストールしているだけでは、調和されたとは言い切れないからだ。

 たとえば、スマホは便利な機械であり人類に影響を与えてはいる。では、人類は全てをスマホにコントロールされているのか。完全なコントロール下だ、と述べればそれは言い過ぎだろう。

 作中のWatcMeとは現代のスマホのようなもの、そう捉えても良いかも知れない。
 データ通信、免疫補助、あるいは痛覚制御。
 名前に反して、WatchMeの役割は監視だけではない。
 ちょうどiPhoneの機能が、もはや電話にとどまらないように。

(作家はMacユーザーであり初期iPhoneも契約していたようだが、ここでは置く)

 WatchMeのカバー範囲は万能ではない とは既に触れた。そして霧慧トァンが、抜け道を使える立場にあった のも。
 ゆえに先程の問い――「『ハーモニー』本文を書いた霧慧トァンは、完全にWatchMeの影響下にあったのか?」は、こう言い換えることが出来る。

 ・霧慧トァンは”自らの意志で”WatchMeの調和を受け入れたのか?

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