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あの叙述トリックは失敗だったのか?(2)自己参照式フィクション/『虐殺器官』読解

   (第1回から続く)

『虐殺器官』はキャラクター優先で書かれていた。
 この事は、作者自身のインタビューでも明言されている。

伊藤 主人公のキャラ造形は最初から決まっていました。しかし、「文法」のアイデアは途中で浮かんだんです。(中略)「一人称で戦争を描く、主人公は成熟していない、成熟が不可能なテクノロジーがあるからである」というのは最初から決めていました。ある種のテクノロジーによって、戦場という、それこそ身も蓋もない圧倒的な現実のさなかに在ってもなお成熟することが封じられ、それをナイーブな一人称で描く、というコンセプトです。(中略)テクノロジーによって幾つかの身体情報から切断された結果出現する、(我々にとって)ユニークなパーソナリティというのがあるだろう、と。

著者インタビュー:伊藤計劃先生/http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/071101.shtml

 テクノロジーにより成熟を阻まれた、青二才のキャラクター。
 では、このキャラクター造形はどこから来たのか?
 殺し屋として仕事をこなし、ある時は内省しある時は欺瞞する。
 そんなユニークなキャラクターは、果たして。

 改めて、振り返ろう。『虐殺器官』とはどんな小説か。
 表面上は無論、「近未来、特殊部隊を舞台にしたスパイミステリー」である。特殊部隊の潜入作戦はもちろん、ゲーム『メタルギア』シリーズの影響を思わせる。
 一方で、作家・伊藤計劃に従軍経験はない。ましてや、アメリカ人だったことも。自伝や体験の反映などと述べる余地は、およそ無さそうに見える。

 ここで留意すべきは濃淡の存在だ。何かしら体験の反映があったとして、それが作品の全てとは限らない。誰が見ても分かる事もあれば、部分的にとどまる事もある。

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