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空白期間の特定 『ハーモニー』読解(2)/伊藤計劃研究

 前回 は『ハーモニー』作中の空白期間、「大欠如」の存在を立証した。
 今回は「大欠如」の具体的な存在箇所と傍証、および創作技術上の効果を取り上げる。

   ・

 作中に「大欠如」が存在しているのは分かった。では本来の「大欠如」は、一体どこに位置しているのだろう。
 可能性が高いのはバグダッド編の直後、文庫ページではp282の後だ。この箇所からは本来、二度目の日本編が始まるはずだったのである。

 実際はどうか。8pに及ぶ回想、混乱の現状を振り返り機上での会議に移り、最終目的地チェチェンへと向かう。一見、章と章とがつながっているようにも思える。
 記述としては存在していない、けれどもチェチェン編の前、日本に戻った=実家にある名刺を取りに戻っていたのは事実。ゆえに「大欠如」は、バグダッド編とチェチェン編の間に存在せざるを得ない

 そして一度「大欠如」に気付くと、その存在が幾度となく示唆されているのも分かる
 チェチェン編冒頭。霧慧トァンが回想から戻り、PassengerBird機上から会議参加したシーン。人物調査を主張する霧慧トァンと、上司オスカー・シュタウフェンベルクとのやり取りがそれだ。

「ガブリエル・エーディンがいます。彼女は例の秘密結社のメンバーだったはずです」
「殺された。三時間前に」
「え」
 わたしは驚いて思わず声を上げてしまう。

文庫版『ハーモニー』p300

「――ところであなたは、どこにいるの
「PassengerBirdです。機上ですよ」
「どこへ」
「チェチェンへ」

文庫版『ハーモニー』p301

 何気ないやり取りだが、「大欠如」を知った上では別の側面が浮かぶ。
 この2箇所からは、以下の情報が読み取れるのだ。

・少なくとも3時間前には、霧慧トァンは情報から隔絶されていた。

B1・上司シュタウフェンベルクは霧慧トァンの行方を知らなかった。
B2・霧慧トァンが機上から会議参加した今も、居場所を掴めていない。

 端的に言えば、霧慧トァンは行方をくらませていたのである。
 何気ないようだが、この情報は極めて重要である。それはなぜか。個人の消息に対する感覚が、現代とは全く違うからだ。

 およそプライベートが存在しないのが、霧慧トァンの生きる世界である。「社会評価点」「医療記録を含む経歴情報」はもちろん、個人の居場所でさえネットワークに繋がり全世界へ公開されている。そんな世界の一員にとっては、行方をくらませる事が容易ではない。

 この点に関しては、以下のシーンも参考になるだろう。
 霧慧トァンが冴紀ケイタ教授の元を訪ね、疎遠だった父の居場所を確かめた直後の場面だ。回線経由、上司に現状を問い詰められた霧慧トァンは、そのしつこさに辟易しながら「バグダッドに向かいます」とだけ答える。

 答えたのはあくまで行き先だけである。なぜなら霧慧トァンの居場所は、ネットワーク上では自明の事実なのだから。直前のシーン、冴紀ケイタもこう述べている。父・霧慧ヌァザの居場所を知りたいなら「SearchYouのワールド版で検索したらよかろう」と。

 相手から居場所が詮索されることもなければ、自分の居場所を述べる必要もない。なぜなら、情報は常にネットワーク上へ開示されているのだから。そんな機微こそが、『ハーモニー』世界の常識なのである。

 以上の「常識」を前提にすると、霧慧トァンが行方不明だったのは重要な情報だ。
 同時に創作として、何気ない会話も繊細に作り込まれているのが分かる。
 作中の技術を丁寧に詰めていなければ、ともすれば手癖で書きかねない。およそ自明であるはずの居場所を問い詰める台詞を。あるいは、当人が居場所を申告するような台詞を。

『ハーモニー』作中で身を隠すとはすなわち、何らかの手段によるネットワークからの隔絶である。では仮に、ある個人がネットワークから隔絶されていたなら?
 第三者からは追跡不能であり、その期間の記述は欠如せざるを得ない
 つまり「大欠如」の存在は、作中の技術描写として必然性を持っているのである。

   ・

「大欠如」がバグダッド編の直後に存在し、作中世界の技術描写においては必然性を持っていると分かった。
 それではなぜ、ストーリー上において「大欠如」は発生したのだろうか? (続く)

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