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2回生麦de事件まつりまで後42日

【生麦事件メモ6・7 薩英戦争】

今日ご紹介する生麦メモは、薩英戦争について。

幕府は賠償金を払いましたが、薩摩藩はプライドがあるので、断固拒否を続けます。「生麦事件の犯人引き渡し」という話が、「イギリスが島津久光の首を差し出せと要求している」と誤って伝わってしまっていた事もあり、なんともこじれてしまいました。

薩摩藩は実行犯に架空の人物をでっち上げて時間稼ぎをしたり、鹿児島湾に交渉しに来たイギリス艦隊に、すいか売りのふりをして奇襲をかける「スイカ売り決死隊」作戦(イギリスがスイカを食べないので怪しまれて中止)を実行してみたり……、世界最強とも言われてきたイギリスも、さすがにこんな相手は初めてだったのではないでしょうか。

しびれを切らしたイギリスは、薩摩藩の船に乗り込んで、三隻の船を強奪。中にいた人たちを捕虜にしてしまいます。(その中には朝ドラでも人気だった五代友厚もいたそうです)

薩摩藩は激怒して、イギリス艦隊への砲撃を命じます。

これが薩英戦争の始まりです。

誰もがイギリスに薩摩が勝てるわけないと思っていたのですが、なんと薩摩藩はイギリス艦隊の撃退に成功します。

イギリスの死傷者は約60名軍艦一隻は大破。対する薩摩藩は死傷者10名。ですが鹿児島の街に大きな被害が出てしまいました。戦争の結果としては痛み分けですね。

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【どうして薩摩は負けなかったのか】

これにはイギリスが薩摩を甘く見ていたとか、桜島の奇襲作戦がうまくいったとか、色々あるようですが、なんと、イギリスは弾薬庫前に、幕府から受け取ったドル箱を積んでしまっていて、砲撃がすぐに開始できなかったのです。

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そう、幕府が面子を気にして夜中にお相撲さんに運ばせた重ーいドル箱。慌ててどかそうとしてもなかなか動かなかったとかなんとか……。さらに台風で海もあれたりと、イギリス軍涙目。

とにもかくも、明らかに力の差があるのに、負けなかった薩摩。様子を見ていた他の国もこの結果は衝撃的だったようです。

生麦事件がきっかけで戦争は起きてしまいましたが、このような結果。この後、イギリスはどう出るか、薩摩はこの戦争の結果から何を学んだか。

さあ、ここから日本が大きく動いていきますよ!


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