第2回生麦de事件まつりまで後37日
薩摩がイギリスに贈った物はみ……
と答え合わせをしたいところですが、昨年作成した生麦事件メモの順番では、先に他の豆知識がありましたので、今日はこちらのご紹介になります。
【生麦事件メモ14・15 生麦事件当時の日本人口】
生麦事件があった1862年の日本の人口は3330万人と推計されています。この人口はフランス3800万人、イギリス3400万人に匹敵し、日本は既に大きな国であったといえます。
また、江戸の都市人口は69万4000人。
北京90万人に次ぐ世界第2の都市だったとのこと。
開国当時の日本は小さなイメージだったかもしれませんが、そんなに人が多かったんですね。これでも驚きですが、これは参勤交代緩和で減った人数のようで、それより前、江戸時代中期頃には参勤交代で大名がで江戸にも屋敷を持ったり、その妻・家臣も江戸に住む必要があったため、江戸は100万人を超える世界最大都市だったと言われています。
今でこそ日本には100万を超える都市がいくつもあり、東京は約970万、横浜も約380万人の人口ですが、これは2階建て以上の家屋がたくさんあり、タワーマンションのようなものまであって成り立っているものですよね。
当時はほとんどが平屋だったので、人口密度はかなり高かったことでしょう。江戸の町でソーシャルディスタンスなんて、とても難しかったかもしれません。
というわけでお預けになってしまいましたが、次の生麦事件メモは、薩摩藩がイギリスにプレゼントした「あるもの」の話になります!
ヒントは「床屋さん」です。
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