定年の日


さだまさしの曲だと「退職の日」だけれど、退職はとっくにしているので、ちょっともじりでw

えーと、「まさか」ですが、55歳になりました。
「まさか」には幾つか意味があって。

まず、この歳まで生きているとは思ってなかった。あたしたちの年代は大体子どもの頃に流行った「ノストラダムスの大予言」が心のどこかに残っていて、「世界は1999年で終わるんだ」「そこからはもう未来なんてないんだ」というのを刷り込まれていて、正直、1999年に34歳になる、そこから先の未来像なんて全く描けなかった。せいぜいサザエさんとかであったように結婚して子どもをもうけて家を建てて歳を取る。そんな辺りまでを朧気にしか想像できなくて、現実にどうやって歳を重ねるかなんてことを想像するのは、車が空を飛ぶ未来像よりも難しかった。
それと。あたしは未熟児で生まれて、偏食が激しく、ぜんそくがちですぐに風邪を引き、当時は遺伝性があると思われていた癌の家系で祖父も父親も早くに癌で亡くし、中学で腎盂炎まで患い医者から「もう一生ラーメンとかは食べられないね」と宣告されていた。おそらくもう10年前に生まれていたら、本当に55歳を迎えることはできていなかったはず。でも、子どもの頃には認識されていなかった(とはいえ、精神科医に連れて行かれたことはあった)ADHDもちゃんと認識されそれ用の投薬もあり糖尿病でインシュリン打ったりもしながら、でも日常生活にはほぼ何の支障もないまま、55歳を迎えられた。あたしよりも持病で苦しんだりしてる同年代なんていっぱいいるはず。
そして。阪神大震災は大阪に異動する1ヶ月半前に発生した。地下鉄サリン事件は大阪に異動して1ヶ月も経たないときに起こった。詳細は省くが家庭の人間関係の問題で心を病んで「死んでもいいや」と夜中の環七を信号無視して渡ったこともあるけどはねてくれる車は幸か不幸か来なかった。どこかでちょっと歯車が狂っていたら、ここにはいないはずだ。
そんなこんなを考えると、「まさか」55歳になるとは、本当に思わなかった。

なもんで、痛いのや苦しいのはいやだけど、長生きしたいとか言う欲望はない。家庭とか親族とかは事実上ないので、変な話だけど、今日眠りについて明日目覚めないとかなら、個人的にはそれでも別に後悔とかはない。

でも。

でも。55年も生きてしまったから、知ってしまった。多分、いずれ忘れられるにしても、そうやってあたしが死んでしまったら、誰かの心の片隅に傷を付けてしまうだろうと言うことを。
あたしに真っ正面から「死んじゃダメです。逃げてもいいけど、それなら帰ってきて下さい」と言ってくれた人が、自分で命を絶ったことで、あたしの心の片隅には、今も小さな傷が残っている。まだ、彼女のことを忘れてはいない。あたしより年上なのになぜかあたしのことを「兄様」と呼んでくれた、大切な人。その傷に苦しめられることはもうないけど、でもまだ残っている傷。あたしが、誰かにとっての彼女と同じくらいの存在であることはないと思うけど、それでも。

痛いのや苦しいのはいやだけど、楽に人生を終わらせることは割と容易い。極端な話、毎日打っているインシュリンを手持ちの分だけいっぺんに打ってしまえば、低血糖で意識を失う。一人暮らしだし、ふだん連絡を取り合っている人もリアルではいないし、おそらくはお話でよくある睡眠薬の大量服用よりは楽に事切れるだろう。
でも、そうやって人生を終わらせることは、たぶんあたしの心の中の傷よりは小さいだろうけど、でも、おそらくは傷を残してしまう。そういう傷を残してしまうことが、耐えられないようになってしまった。
とはいえ、あたしだって不死身じゃないし、例えどんな形であれ人生を終わるときに、誰かの心に何かを残すことにはなるだろう。というか、大げさに言うと、そういうものを心に抱えていくことが、「歳を重ねる」ということなんだろうなぁ、ということに、ようやく気づき始めた。

1999年7の月に死ねなかったあたしは、その時から「余生」を生きている。
そして、彼女(と言うと交際相手と誤解を招くから、友達と書いた方がいいのか)を失った時から、あたしは死ねない「呪い」にかかった。その「呪い」を振り切ってしまうには、あまりにも多くの人と関係を持ってしまった。「余生」なんだからそういう人を作らないように、いつこの世から消えても問題ないように、というつもりだったのに。

「まさか」55歳になるとは、思ってもいなかった。

で、今時の55歳なんてまだまだ若いし、ハローワークとかに行けばまだシルバー人材みたいな募集とかもあるけど、幸い、障害年金を幾ばくかは頂けるので、まぁ、基本的には「隠居」しようかなぁ、と思っている。このまま今の家でなのか、前々に言ってたようにバンコク辺りに移り住むのかはまだ考えるけど。たぶん、IT系の多少の知識を使った小遣い稼ぎの話を頂いた時くらい以外は、懸命には、働かない、というよりはもう働けない、かなぁ。
で、そうやって社会に養ってもらっている以上、そのお足を実需だけでなく、娯楽とかに投じて経済を回すのは「義務」だと思ってる。

てなわけで。
もう少し生きるつもりです。そして、人間、案外簡単には死ねないように、世の中いろいろとできてるみたいですし、誰かの心に簡単に傷を作りたくはないです、あたしの心の片隅にある傷のようには。
まだ、猫も養わなきゃいけないしね(笑)

2020年4月5日 55歳の「定年の日」に。

20200405_猫_トリミング


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?