20200920 三遊亭遊かり独演会Vol.4 もしくは「小桜のこと」、更にもしくは「Killer Tune Kills Me」

まずは。
この会の前にご本人が今回ネタ出ししていた「小桜」についてをBlogに書いていて、それを読んで、アオリという名目でくだくだとTwitterに連ツイで割と長めの文章をあげた。それをまずは以下にコピペする。連ツイでなくまとまった文章にするなら多分違う言い回しにしたり、勢いで書いたので直したいところもあるけど、あえてそのままに。
そして、今日聞いてきた感想の半分は、ほぼここに書き尽くしていたりもするので。
ちなみに、この後何回か出てくる「キラーチューン」は、ほぼKIRNJIの「Killer Tune Kills Me」を意識して使ってます。歌詞はこちら。 https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kirinji/killer-tune-kills-me-feat-yonyon/ 弓木ちゃんのVo.曲だから、あたしの音域や下げた男声だといまいちなんだよなー(,,゚Д゚)

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『「小桜」のこと~独演会迄後6日!!』
https://ameblo.jp/yuukarisanyutei824565/entry-12624975258.html

ちと長めの文章で、連ツイで「アオリ」みたいなものを。

例えば、この間地上波でやった「マッドマックス 怒りのデスロード」(以下、MMFR)。
あれを簡単に説明をすれば「カーアクション映画」だし、思いっきり簡単にあらすじを書くと、「一本道を行って帰ってくる話」くらいになってしまう。で、MMFRのすごいのは、それだけの要素だけでも傑作映画だと言うこと。
でも、見ている人、特に地上波用にカットされていない劇場版を見た人だと、そんなシンプルな映画ではないことを知っているはず。フュリオサがこの地位まで登り詰めて、さらに裏切ってワイブズを逃がすところ、そのワイブズの夫たる王国の主イモータン・ジョーの存在、そこで育てられたウォーボーイズのニュークスの変わる心、他にもいろいろある登場人物を結びつけるマックスという存在。
単なる善悪でもなく(それはそれで面白いんだけどね)、それぞれのキャラクターや設定がものすごく細かく作り込まれていて、さらに一見荒唐無稽な様々なものに説得力を与えていて、掘っても掘っても、いや、掘れば掘るほど荒唐無稽さがリアリティで満たされていたことがわかってくる。で、それはこの映画に、一言では言えない様々な側面を与えて、単純なジャンル分けを許さない。かつて、インド映画ブームがあったときに「マサラムービー」の名が与えられた。スパイスの名前の比喩でもあるけど、インド映画が単純な側面だけで作られてなくて、マサラスパイスのように複雑な味わいになっていることの比喩でもあった。

って、映画の話がしたいんじゃなくてw
このネタ出しがされている「小桜」、先入観与えないようにしなきゃいけないだろうからできるだけ情報をないように書くんだけど、やはり単純にジャンル分けできる噺じゃない。花魁の幽霊が出てくるんだけど、廓噺バレ噺かというとちょっと違う。かといって色恋の話が出ないかというとそんなこともない。でも「偽りの色恋を売る花魁」の話ではない。現代の噺らしく、男と女(幽霊だけどw)の噺だけど、目線の高さに違いはない。もちろん、滑稽な笑いもあるし、泣かせるところもある。落語だから「マサラ」というのはおかしいんだけど、でも様々な要素で作られた噺。
この噺を最初(でただ一度)聴いた後。打ち上げの時に、まー失礼千万だったけどこう言ったんだよね、あたし確か(酔ってたからうろ覚えだけど)。
「この噺、真打ち披露でやりなよ。それだけのいい噺だから」
噺としては「文七元結」とか「紺屋高尾」に近い(あ、先入観与えそうだな、あくまで「近い」ね)んだけど、この辺りの噺は、いろんな人が長講一席でやっている。もちろんその上で工夫して自分のものにしてやるのもいいんだろうけど、常に誰かと比較をされてしまう。
でも「小桜」は、今のところ当代夢丸しかやってないようだし、更に手を入れられる、というか、手を入れるところから始めた噺、しかも現代を舞台にした新作のようなどこか油断をすれば時代が変わってズレてしまう(とり・みき言うところの「時事ネタは腐るぞ」に通じるもの)と違って、古典もののような雰囲気と噺の構造の面白さを持っている。カバーでもこんなキラーチューン、めったに手に入らない。他の誰のものでもない唯一無二の噺。
で。例え手を入れるにしても骨格は変わらないわけで。

SFでよく言われるのは「2番目にタイムマシンものを書いた作家が時間もののジャンルを作った」というやつで、誰かがカバーをしないと、その曲はスタンダードにならない。先代夢丸から当代夢丸と一門だけでは、それはスタンダードナンバーじゃない。そう、誰かが「タイムマシン」に似たような物語を紡ぎ出さなければ、「夏への扉」も「たんぽぽ娘」も「まどマギ」も生まれなかった。
後継者がそのまま継ぐのではなく、違う因子を持つものが新たな要素を吹き込み「多様性」を与える。それでこそそれは「スタンダード」になる。例えば、カーペンターズの「Close To You」。あれだけカーペンターズの代表曲だと思われている曲が、実はオリジナルでないカバー曲だというのは、意外と知られていない。歌詞の性別も逆転。そういう曲は結構あって、オリジナルを生み出すのも尊いんだけど、カバーをして歌い継ぐのもやはり尊いのよ♪

という訳で、「小桜」。
内容にほとんど触れないからなに言ってんだおめ-な内容しかないけど、そういう意味ではものすごくレアな噺でもあります。ほとんど誰もやらないんだからw その上、今回は上方と違ってあまり江戸落語では入らない鳴り物も入るし。そういう意味では、ちょっと歌舞伎にも近いのか落語で、歌舞伎で、笑わせて、泣かせて、喜ばせて。江戸を思わせる噺でもあり、現代の価値観を反映させた噺でもあり。様々な要素を混ぜ合わせた「フェイク」(あえてフィクションと言わない)な物語を高座の上でひとり芝居で作り上げる。
なーんだ、ただの、今の三遊亭遊かりの「集大成」じゃないかw

って感じで、今度の日曜の昼、両国。
そんな噺を聞けるのがこれ。

『「小桜」のこと~独演会迄後6日!!』
https://ameblo.jp/yuukarisanyutei824565/entry-12624975258.html

予約がメールか留守電しかないのはあたしみたいなコミュ障に思い当たる人にはハードル高いかもしれないけど、ま、とって食われたりしないし、勝手に預金も抜かれないw
フライヤーに書いてないけど録画配信もあって、そちらもメール申込。次の火曜から1週間限定で2000円。

ま、ゲストの柳亭小痴楽だけでもチケットや配信料金の元は取れるから、後はくすりとだけでも笑ったら、得しかないww

てな感じ。
どうだ、プロの物書きには書けないぞこんな内容のないアオリ文章ww

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で、ここからはこの噺のネタバレありで。いや、ネタバレでもこの噺の面白さは変わらないんだけど一応。

なぜあたしがアオリの中で「フィクション」と書かずにあえて「フェイク」と書いたか。まずこの「小桜」という噺が古典落語のふりをした「新作」なのもある。だから、小桜のキャラクターって、わりと現代女性なんですよね。アオリの中にも書いたように、小桜の目線の高さは若旦那と同じだし、途中の「身投げ助け屋」とでも言うような感じの時には、パートナーというか「バディもの」のような展開になっている。うん、男女の差、人間と幽霊の差はあっても、どちらかが主導権を持ってるわけではなく、相棒というような関係になっている。

さらに、この物語の終盤。小桜と若旦那は、それぞれ1つずつ、「嘘」をつくんだよね。
若旦那に「女房になってくれ」と言われた小桜。若旦那に執着して成仏できずに幽霊として戻ってきた小桜だから、それことこの上ない言葉だったはずだけど、同時にこの言葉は、自分の未練をなくして、満願成就というと変だけど、この世に「幽霊」として執着させていたものをなくしてしまう言葉でもある。つまり、小桜は悟ってしまっていたはず。「もう自分はこの世にはいられない、成仏しないといけないんだ」と。
ただ、それを若旦那に言うわけにはいかない。それを知ったら、おそらく若旦那は生涯、そのことを悔やんで生きることになるだろうし、もしかしたら自分の後を追ってくるかもしれない。今の若旦那(この時には15両を渡してしまって勘当が決まった状態だった)には、それをさせない、この世に引き留めるも野はもう何もないから。だから、小桜はあの時、身を隠さなければならなかったし、吉原で見つかったときにも「四十九日だから」と言わなければならなかった。ただ「四十九日」で幽霊が成仏するなら、世の中の幽霊噺のほとんどは成り立たないでしょ。「末代まで祟る」のがデファクトスタンダードなんだしww
そして、ただ成仏するのではなく、花魁道中であの世にいかなければならなかった。冴えない遊女だった小桜が、立派な花魁道中を仕立てられるようになったんだ、と、若旦那に見せてあげるために。元手は、若旦那からもらった、金などでは替えられないたった一言。これが小桜のついた「嘘」。
そして、若旦那も、その「花魁道中」をみたときには全てわかっていたと思うんだよね。小桜は決して自ら望んで天に昇るわけじゃない。そうなったのは自分が「女房になってくれ」という言葉であり、さらに勘当が解けてお店に戻ることができるようになったから尚更、幽霊ではない女房、おかみさんをもらわないといけないことになったはず。自分に執着してこの世に残っていた小桜が成仏するのは、小桜は納得ずくなのかもしれないけど決して自ら望んでではないだろうということ。それでも、小桜が成仏することを、喜んであげないといけない。それこそが小桜が望んだことなのだから。だから、あのサゲの一言になるし、これが若旦那のついた「嘘」。
2人が嘘をつく。本当は情で惚れ合ってずっと一緒にいたいだろうに、もはやそれを許されない2人。そういう意味ではこの噺って「悲恋もの」でもあるんだよね。だから、2人とも相手を思いやって「フェイク」な気持ちを創り出して、相手を思いやる。本当は、ただ互いに好きなだけ、ずっと一緒にいたいだけなのに。だから、この物語は「フェイク」な物語なんですよ。その奥に真実(とかいて「まごころ」とルビを振る)のある。

と、説明ずく、解説ずくで書くと辻褄もあってるし改めていい話だなと思うんだけど、これを実際に演じる(演劇に置き換えたり、小説に置き換えてもいいけど)のって、ものすごく難しいなーと言うのは、今日の「小桜」についてのもう一つの感想。今書いてきたようなことは、全部説明してしまったら、「フィクション」としては興ざめになってしまう。観客や読者を信じて、でもぎりぎり理解してもらえるようにな材料や演技は出さないといけない。そのさじ加減がものすごく難しいと思う。実演はほとんどしたことないあたしにはなんとなくでしかわからないけど。

でも、高座の上で「真打ち披露の高座にかける」と「予告」(予言(あるいは預言)じゃないよwww 予言は世の中や他人のことについてだし、預言は神からの言葉をあずかってるだけのイエスやマホメットとかのことだからwww あれは自分の有言実行のための「予告」)したことだし、少なくともあたしはその披露興行に行かないといけないのか。まー、普通だとあと7年くらいだし、何十年もかかったら、あたし多分そんなに持たないから、それなりに早めにねw
しかし、まったく、とんでもない「キラーチューン」を掘り起こしたもんだよ、この人はwww

あとは。
「千早振る」は、あの一言で崩れてしまってもおかしくないのによく最後まで持ちこたえたなー。ついうっかりヤジ入れたりはあたしもやってしまうんだけど、ほんと、気をつけないとなぁ(,,゚Д゚)
「試し酒」は、うん、禁酒が裏目に出たのかもね、酒飲んでるところがちょっと普段の感じと違っていた。この後打ち上げしているときの禁酒解禁した感じが高座で再現できれば、いつもの感じに戻ると思うけどwww


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