20200815 渋谷らくご 橘家文太、春風亭百栄、桂春蝶「ニライカナイで逢いましょう」@渋谷ユーロライブ

昨年一昨年は通常の渋谷らくごの枠でなく特別枠で「ニライカナイで逢いましょうを聞く会」として開催されていたのだが、今年は通常の渋谷らくごの枠の1つ、ただし本来は2時間で4人出演する(1人当たり30分)というルールなのだが、これに関しては前半の二人が30分ずつ、そして「ニライカナイ」75分をかけるというスタイルに。
このスタイルにしたのは、勝手な想像だけど。まず1つは桂春蝶の身体の負担を減らすため。75分だと、渋谷らくごで言う「ふたりらくご」枠が近いのだが、それだと木戸銭は渋谷らくごのルールだと1200円という破格のものになってしまう。だが、この「ニライカナイ」という話は、今年のを聴いている分にはかなり力の抜き方が上手くなってきたと思うが、それでも異例の長講ネタ、しかも演者の緊張がものすごいネタなので(去年のトークでも、上演すると力を抜くところが少ないので身体が途中で痛くなるといっていた)。正直、割が合わなさすぎる。事実、今日神戸でも独演会として上演されるが、おそらく短いネタもやるだろうけど、それで予約で3000円。これでも他のエンタメライブを考えると破格の安さなのだが、やはりそれくらいでないと釣り合わない。
そしてもう1つは、「ニライカナイ」だけの独立した会での集客力の弱さ。去年の入場者数制限のないときでも30人台。今年は配信があるとは言え、リアルの集客で人を集めるのが困難な状況で、果たして、せめて赤字にならないだけの集客が出来るのか。毎年8月にこの会を開いているのは、キュレーターのサンキュータツオの使命感でもあると思うのだが、同時に渋谷らくご全体を預かる立場として、そのために神田松之丞(現伯山)が抜け、COVID-19で苦しくなっている動員をどうやって維持するか。その結果が今回のスタイルだと思う。
桂春蝶の名誉のために書き添えておくけど、彼の独演会の動員はこんなものではない。COVID-19前の内幸町ホールやらくごカフェ2日くらいは余裕で満員にしてきている。なんというか、やはり「ニライカナイ」というのは、聴く側にもある種の「覚悟」を要求するネタなのだという側面がある。決して堅苦しいだけじゃない、笑いもちりばめられた「落語」なんだけどね。

そして、春蝶以外のふたりの演者は大変だったと思う。いわゆる定席の様に流れを作っていくのも難しいし。嫌がって前を務めるのを遠慮する人がいてもおかしくないと思う。その中で、前半を務めた二人に最大限の賞賛を。
トップバッターを務めた橘家文太は、まだ今年二つ目に上がったばかりで、活動拠点を故郷の北九州に移したばかりという若手。なのだが、その経歴が信じられないくらいの堂々とした腕前。立川かしめといい彼といい、あるいは三遊亭遊七といい、今年二つ目になった人たちって、けっこう豊作なんじゃないだろうか。「転失気」って、前座話として軽く演じようと思えば出来る(というかそうやって演じる人の方が多い)のだが、それを30分の枠でしっかりしたネタとして演じられるのは、やっぱり力量あってだろうからなぁ。
そして、春風亭百栄。いつものひょうひょうとした雰囲気とそこに隠れた毒とで会場を笑いに巻き込んでいく。この後の「ニライカナイ」に向けて客席をいいあんばいに暖めていく。うん、この会は当たり前なんだけど落語会だし、笑ってもいい、いや、笑いに来ているんだ。それを改めて思い出させる、見事な30分。

そして、「ニライカナイ」。
「ニライカナイ」の会だと、その前に春蝶当人がもう1ネタしたり事前の説明トークがあったりで、演じるときにはいきなりネタに入ることが多いのだが、今日は枕で、百栄の作った空気を壊さないように観客の暖まった空気を壊さないように、でもそのまま「ニライカナイ」に自然と持っていく。桂ざこばと桂枝雀、そして自分の父親の2代目桂春蝶のエピソードトーク。笑わせるおかしなエピソードなんだけど、生きづらい、生きていくのがしんどい、そして2代目春蝶が語る「爾等は長生きできひん」という一言。それは芸人が河原乞食だとか言う話とはまた別の、なにか人とは違う思考回路であったり意識であったり、「世の中を生きづらい」要素を持ってしまったが故に芸人になった、あるいはならざるを得なかった人たち。
そして、そこからの「ニライカナイ」本編。ここに出てくる登場人物は、ごく普通の、もちろんそれぞれにはいろいろあるにしても、世の中を生きていくことには難しさはさほどない市井の人たち。違っていたのは、時代の方が狂っていて、そのせいで生きづらくなってしまった、あるいは生きられなかった人たち。

ただ、いつもの会と違って、今年は不思議な気持ちで聞いていた。
いつもの会なら、平和な現代から、その「狂った時代」を生きていく人たちを思いながら聞いている。だが、少なくとも今年は、おかしな、いやもうちょっと踏み込んで書くと「戦時」である現代から「戦時」である沖縄戦の話を聞いているという、不思議な感覚。
戦時。もちろん日本ではCOVID-19で、それだけでも4-5月の緊急事態宣言の頃を乗り切った。にもかかわらず、そこで、客観的に見れば賞賛されて然るべき「専門家会議」やその提言をきっちり実施した政権、それに従って自制した国民の大半は、どちらかというと低い評価しか与えられず、最前線で戦った医療関係者は、金銭的利益も名誉もあまりない(後追いで多少は与えられているが)。そして、テレビではまともなことを言う医療関係者はすっかり減り根拠のあやしい「対策」ばかりを提言するものだけがコメンテータとして生き残っている。そして、市民は、「コロナ疲れ」「自粛疲れ」といいながら、緊急事態宣言の頃には考えられなかったような、COVID-19感染に繋がるような行動を平気でしている。渋谷らくごの会場のユーロライブ周辺に飯屋や飲み屋、カフェもラブホ街に混じっていっぱいあるのだが、表から見える店では、みんなマスクを外して近距離で対面して楽しげに語らっている。なのに、数だけは春頃よりも増えた感染者数(ベースにある検査数がその頃より圧倒的に増えてるんだからそりゃ増えるんだけどね)だけを聞いて怯え、尾身先生とかがちゃんと「感染させないようにする生活様式を守れば旅行とかしても大丈夫」と説明しているのに、混乱して「旅行していいの悪いの、決めて?」と、自分で考えることも、自分で責任を持って行動することも出来なくなってしまっている。
比較的被害の少ない、COVID-19とそれに伴う景気低迷(とはいえ対策は世界の中でもトップクラスで行われている)くらいしかない日本でさえこれで、さらに諸外国を見れば、あきらかに行きすぎておかしいBLMやAntifaが依然として暴れまくっている(常態になりすぎてニュースにならないけどずっと続いているんだよ)アメリカ、国家安全法で明らかに一国二制度が崩壊した香港、UKは未だにCOVID-19制圧に苦しみGDPが年率60%マイナスというとんでもない景気後退、EUもやはりCOVID-19と景気後退対応のバランスに苦しみ、制圧したはずのオーストラリアもニュージーランドも再度ロックダウンに追い込まれている。ロシアもベラルーシも反政府デモが起き、政治経済的混乱の果てにベイルートで首都の半分の住居を失わせる大爆発事故まで起きたレバノンは、この後の中東・アフリカの情勢混乱のドミノ倒しの起点になっている(イスラエルとUAEの国交正常化は、この文脈と「反イラン」提携で見るのが適切そう)。

去年、平和な時代から過去の狂った時代の話を聞いていたはずなのに、今年は、現代の狂った時代から過去の狂った時代の話を聞いている気分になっていた。特攻という明らかにおかしい作戦(それが果たした役割などは決しておかしいでは片付かないのだが、やはり作戦そものもはおかしいよね)を強いる話中の悪役などでさえ、ある意味合理的で、彼らなりの正しさで動いていた、真っ当な世の中だったと勘違いしそうなくらいな感じ。

今年はほんの少し、台詞回しの変わっている(細部は切りがないけど)ところで印象的だったところがある。(もちろんメモとか取ってないのでうろ覚えだけど)
「特攻に効果が全くないことがわかれば、日本は変わらざるを得ない。これ以上戦争を続けることは出来ない。この戦争で失うものはあまりにも大きいけれど、そのことで、日本は立ち直ることが出来る」

COVID-19の最初の流行期の時に、尾身茂、押谷仁、西浦博を初めとした世界に誇れる「専門家会議」を持つことの出来た奇跡と、その提言をちゃんと受け止めて、法で許される範囲で政策反映を行った政権(安倍晋三嫌いが真っ先にある人には理解してもらえないかもしれないけど、COVID-19に関してはトランプも十分に理解していないし、ボリス・ジョンソンも当初は集団免疫を目指して失敗してるし、ブラジルのボルソナーロに至ってはもうね(,,゚Д゚)。山中伸弥も「今の政権は科学的知見を理解している」と評価していたし、WHOシニアアドバイザーも「WHO内では「ジャパニーズ・ミラクル」と言われている」と証言していた)。
決して国民全員ではないし、今の状況では全く以て油断ならない、いや、結局ワクチンが安定供給されるまでは続くのだが、それでも、あれから75年経って、日本は、ほんの少しは変われたのか。立ち直ることが出来たのか。そして、それは今後も続けていけるのか。

あたしは、思想家だとか哲学者だとか、それが如何に高く評価されている人であろうと、今の段階で語る「アフターコロナ」「ウィズコロナ」なんて聞くに値しないと思っている。有効なワクチンが開発されれば、反ワクチンとかの不安要素はあるがそれでも比較的元の生活は取り戻せるし、今のような多目的の薬の転用でない特効薬(特にサイトカインストームの発生の抑制回復に有効な治療法)が開発されればCOVID-19も一般的な病の1つになるんだから、HIVでさえ、まだ「不治の病」ではあるけど「死に至る病」ではなくなり、継続した治療と服薬を続ければ寛解が可能で、通常程度の寿命は得られる。80年代とかにあれほど「アフターAIDS」だの「人類滅亡の可能性」だのいわれていたの、多分30代以下は知らないんじゃないかなー。無論、そういうものが出てこず、常にCOVID-19を意識してなきゃいけない可能性は否定できないだろうけど。
それでもそれで変わるのは、HIVの後に「夫婦や恋人との間でSTDを感染させないように、子作りするとき以外にセックスするときにはコンドームをつけましょう」程度の変化じゃないかなぁ

来年になるか再来年になるか。
また「平和な今の時代から、かつての時代の話を聞く」ように戻れたらいいなぁ。かつての米朝の地獄八景同様、このネタもこの先、何度も聴けるものじゃないから、ねぇ(,,゚Д゚)

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