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ある意味対局線にある場所と関わってみて思うこと






日々宿の仕事を通じて関わるお客様へのおもてなし、飲食店で少しの時間関わるお客様へのおもてなしについて考える。

いま関わっているのが、
ひとつは高級旅館に対して、もうひとつは地元民向けの飲食店。


高級旅館は、あって当たり前のものが無いとマイナス。
期待してたことが無いとマイナス。
基本減点方式で期待を上回ることってなかなか難しい。
それだけの価値を期待してる人が多く
ある程度のレベルを求められる。
ハード面でその価格に見合ってるか、微妙な部分を個人的に感じてて()
それを上回る付加価値を私たち"人"が作れるかどうかが勝負になると思ってるから
そこがプレッシャーになってるなと。



対して、地元民向けの飲食店。
設備や建物などのハード面の古さがあるが
逆に良い味を醸し出している。
昔から変わらない、愛のこもった料理を食べに来るためだけに船で島を渡ってくる人もいるほど。
人の優しさ、温かさが、
料理からも感じられるため
確実にそこがハード面をカバーしていると思う。
価格帯も、全く観光地価格ではないため
その時点で期待を上回りまくってるから
"人"で付加価値をつけないといけない!という
プレッシャーが無い。
だが、そうはいっても作る時間はお待たせしてしまうことはあるから、そこはおもてなしする"人"の存在が重要になる。



どんな時でも、嘘偽りない自分でいられることが、
とても健全な状態。
秘めた気持ちは、必ず人に伝わるなと思うので。



NHKドラマの「正直不動産」が最終回で
ちょっとロス気味な私なのだけど、
あのドラマは働くことの、"本質"に気付かせてくれるような内容だったなって思う。
自分にも人にも、正直でありたいよね。
一生幸せに生きたいよね。



だから、多分本当に好きな場所じゃないと
私は心からのおもてなしができない。
でも、それって裏を返せば
どんな場所でも、そこを好きにさえなってしまえば
心からのおもてなしができる、ということだ。
そんな場所が増えたらまじで最高だ。


宿泊の仕事をするときに
やたらプレッシャーを感じるのはなぜか?

"寝る"という行為に特別を感じていると最近気づいた。
寝ることで、また新しい自分に再生できる場所が宿だから。
お風呂も、禊的な感じで、リラックスして寝るための導入剤になる。
お客様と関わる時間が多いのはもちろんだか、
この"寝る"という行為に自分が重きを置いてるのは、自分自身が"寝る"という行為を通じて
切り替えてることが多いという気づきから。

ただの飲食店だと話せないような話しも
宿だとできる可能性がある。
それは、人生の転機になるかもしれない。
きっかけを作りやすいのは、
宿なのかなー

どんな宿が良いか。
どんな場を作りたいかな。


人生について考えてるようで
考えてない風人間な、あさだるまの


新しいチャレンジは、まだまだだ続く