「くらしのアナキズム⑦」

「だれかが決めた規則や理念に無批判に従うことと、大きな仕組みや制度に自分たちの生活をゆだねて他人まかせにしてしまうことはつながっている。アナキズムは、そこで立ち止まって考えることを求める。自分たちの暮らしをみつめなおし、内なる声とその外側にある多様な声に耳を傾けてみようとうながす。その対話が身近な人を巻きこんでいく。「私たちそんなことやるために生きているわけじゃないよね?」と。ぼくらはときに真面目であるべき対象をとり違えてしまう。大切な暮らしを守るために、日々の生活でいやなことにはちゃんと不真面目になる。ルールや「正しさ」や国家のために一人ひとりの暮らしが犠牲にされる。それこそがぼくらの生活を脅かしてきた倒錯だ。」
『くらしのアナキズム』松村圭一郎 ミシマ社 P227、228

ルールを守ることが目的になる。建物の足場を建物と取り違える(ゲーテ)
「そもそも・・・」と考える癖をつける・・・。そもそも税金を取り過ぎる。種類が多過ぎる。そもそも日本銀行で刷れるのに税金を取る必要があるのか?とか。米じゃあるまいし。米の生産工場が霞ヶ関にあるわけではないだろう。つまり、物理的な限界があるわけではない。家計や会社経営とは違う。(MMTだな)
(勿論、刷るにも程度の問題)

『反穀物の人類史』でもあったように「税を取る」のが国家の原基的な性質なのはわかる。搾取機構だということも。そこに国民国家という概念を上塗りしただけなのも。難しいなあ。


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