vision story of kodou
<kodou> は、2019年9月22日、熊本県阿蘇郡で生まれました。
一人ひとりの鼓動と連動して光る、光の球体作品。
この作品では、光ファイバーを用いることで、一人ひとりの鼓動が光の線となります。これを球体にすることで、地球のようにも見えます。
以下のストーリーは、この <kodou> が生まれてから数カ月後、Founder の僕がふと思いついた、いつか <kodou> で実現したい景色です。架空の人物での物語となっています。
ご覧ください。
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「この体験をなんと表現したらいいのだろうか。どんな言葉を紡ごうとしても言葉にならない。言葉にしようとした瞬間、何か自分に嘘をついているような、そんな感覚に襲われた。」
これが、ジャーナリストとしての私が体験したことだ。今まで、世界中の美しいと呼ばれる場所、秘境と呼ばれる場所、また有名な芸術と呼ばれる場所を訪れてきた。しかし、あの体験は何だったのだろうか。
ふと、仕事で疲れ切ってしまい、YOUTUBEで格闘技の動画でも見ようと思った時。いつもなら無視しているはずのインターネット広告を見つけた。そこには、「神秘と出会う時間」と書いてあった。気になってクリックしてみたところ、一枚の写真が出てきた。その写真は、暗闇の中、光が集まっていた。星空のようにも見えるし、ホタルのようにも見える光だった。普通にきれいだなぁと思ったのだが、そこにはこんな文章が書かれていた。
「もし、この世界に存在するいのちが、すべて光になってしまったら。
大人も子供も。好きな人も嫌いな人も。黒人も白人も。人間も動物も。植物も生物も。波も風も。このファンタジーに思える現象に、あなたは現実世界で出会う。
人の鼓動が、動物の鼓動が、植物の鼓動が、海の鼓動が、大気の鼓動が、すべて光になる世界に。場所は、静寂と神秘の湖、北海道洞爺湖。その中心に浮かぶ無人島で、この現実に出会える。」
正直、何のことをいっているのだろうと思ったが、直感的に気になってしまった。仕事人間で家庭を顧みなかった私を妻がとうとう見捨て、10年続いた結婚生活は終りを迎えた直後の出来事だった。精神的にも不安定な中、仕事でもミスを連発。長年伴走してきたクライアントからも猛烈なクレームを受け続け、とうとう仕事をすべて切られた。家庭も、仕事も、お金も、信頼も、すべてを失ってしまっていた。
そんな時期に、私はこの世界に生きることに疲れ切っていたのかもしれない。鉄道に乗る瞬間、何度電車に轢かれてしまったら楽になるのに…と思ってしまったことか。そんな中、現実世界から逃がれることができるかもしれないという淡い期待を抱いて、北海道洞爺湖に向かったのだと思う。
千歳空港から車で1時間半、海の近くを気持ちよくドライブした後、トンネルを15分ほど抜けると、洞爺湖が目の前に現れた。あまりの静寂さに驚いた。時間が止まってしまっているような錯覚に陥った。
所定の集合場所に到着すると、小さな船に10人ほどで乗ることになった。地元の家族連れから、西欧人らしい人、年齢も子供から高齢者まで様々だった。そして無人島に到着。
まず、時計とスマートフォンを没収された。今は午後2時頃だが、この土地に数時間かけて慣れた上で、テントを使って一晩その無人島に滞在するのだという。そんなサバイバル…と思ったが、怖い動物や生き物はいないらしいし、火は起こしてくれて、食事も準備してくれているという。
ゆっくりと過ごしていたら、日が落ちてきた。夕日が湖に反射し、湖全体が空を反射する鏡のようになっていた。美しかった。イベントが開始された。今回の主催者らしい人が、参加者に対して語り始めた。参加者は、合計50人位だろうか。意外に少ない。
「今回、北海道の洞爺湖までお越しくださって有難うございます。私たちは、地球の鼓動を光にして世界に届ける作品を作っています。
初めは、人間の鼓動を光にする作品から始まり、動物、植物、風、波と、光にできる幅を広げてきました。人間の鼓動であれば脈拍、動物であれば赤外線センサー、植物であれば電気センサーなど、すべて物理的な現象として、センサーを活用し、その鼓動をリアルタイムで光に変換する作品を手掛けてきました。
今回は、まったくの新しい試みで、正直、どうなるか、私達自身も全くわかりません。ただ願いとしてあるのは、なにか美しい景色に触れ、体験できたら嬉しいなということです。
今日は、新月です。この島には街灯もありませんし、あるのは、夜空の星の光だけです。ここでゆっくり、みなさんの鼓動の光、自然の鼓動の光、地球の鼓動の光を味わっていただけたらと思います。」
短い挨拶だった。けれど、その言葉は、真ん中の火を囲みながら、一言一言を噛みしめるように、ゆっくりと語っていた。
そして、とうとう始まった。
初め、ひとつのデバイスを渡された。鼓動デバイスという名前だそうで、右手の親指に指輪のようにそっと、脈拍センサーを取り付けた。そこから光ファイバーを通して鼓動が光になっていた。「鼓動が光に」と書いてあったが、文字通りの意味だったのだ。メタファーか誇張した表現かと思っていたが違ったようだ。
私の心臓が、ドク、ドク、ドク、となるごとに、それが光になっている。心臓が鼓動し、血液を身体中に送り届け、それが私の右指まで届いたとき、その血液を脈拍センサーが検出し、そのまま光にしているようだ。
その光ファイバーは線だったのだが、それを丸めて、障子紙のようなもので包んだ。右手のこぶし大位の大きさの球が光っている。中心には緑色の光があり、なにか、自分の心臓が外部化されたというか、自分の命が外に投げ出された気がする。
大きなホタルを見ている感覚になるが、これが自分の鼓動といわれると、意味がわからなく思考が停止してしまう。周りの人たちも同じ感覚を持っているようだ。みな不思議な感覚を持っているのか、お互い顔を見合わせている。そして、今この瞬間に見えている、明滅を繰り返している球たちが、全員のいのちなのだといわれると不思議な気持ちになる。何か、触れてはいけないものに触れている、見てはいけないものを見ているような感覚になってしまう。
この球を手のひらの上に持ちながら、夜の間、無人島の中を自由に散策してほしいとのこと。一分間隔で、ひとりずつ、参加者が森の中に消えていった。
私の出番が来た。正直、怖い。夜の森という時点で怖いし、手のひらの上に自分のいのちがあると、自分の命を何かに差し出しているようで、自然に殺されてしまいそうな怖さもある。それでも一歩ずつ、一歩ずつ歩いた。遠くに光が見えるのが幸いだった。先に森に入っていった人たちの光だろう。弱い光も、強い光もあった。
少し、ゆっくり明滅している光があった。あれは何だろうと思って近づいていった。驚いた。人間だと思ったら、木だったのだ…。木が光っている…。これはどういうことなのだろう。私は木のいのちに触れ、木は私のいのちを見ている。怖さもある一方で、どこか、安心感があった。
更に森の中を進んでいくと、たくさんの光があることに気がついた。しかも、人間以外の。激しく明滅したり、逆に光が止まったりするのは、風の動きだった。草にセンサーがついていて、風でその草が揺れると光るようになっていたのだ。
森の奥に行き着いたとき、光が集まっている場所があることに気がついた。一本の、大きな、大きな木があった。その周りにはスペースもあった。そこにたくさんの光があった。動いている光もある。ホタルのようだ。きっとあれは、歩いている人なんだろう。
風、木、水、人間、すべてのものが、光になっていた。ふと、音楽がなり始めた。この音楽はなんだろう。この地域の民族音楽だろうか。目を閉じたくなってしまう。体を揺らしながら。音楽に身を委ねたくなる。急に激しく動き始めた光がいる。上下に、左右に。きっとあの光の持ち主が、踊り始めたんだろうなと思う。その動き始める光が、ひとつ、またひとつと増えていった。気づいたら、私もその動く光のひとつになっていた。
そして、どのくらいの時間、踊っていただろうか。気づいたら、音楽は終りを迎えていた。光も、ひとつ、またひとつと動きを止めていた。ただ、光の明滅が激しい。みんな、運動したから鼓動が早くなっているのだろう。光がみな、地面に近づいていった。寝そべっているのだろうか。私も寝そべることにした。今日は温かい。地面がひんやりしていて気持ちいい。
空を見上げた。空にも大量の光があった。星空だ。星空が、自分に襲いかかってくる気がする。天が近い。と思ったら、流れ星だ。笑ってしまった。さっきの鼓動の光が光っているのと同じように見えたからだ。
またどれだけの時間、ゆっくり過ごしてしまっていたのだろう。自分が寝てしまっていたことに気が付いた。目を開けたときに手元に光があった。なんだろうと思ったとき、その光が改めて自分の鼓動だと思い返して不思議な気持ちになった。そして、周りを見渡した。なんだろう。この安心感は。ゆっくり時間が流れている気がする。自然の音を聞きながら。みんなも寝ているようだ。
ここで気が付いた…。なにか不思議な気持ちになると思ったら…、たくさんの光が同期しているように見えるのだ。もちろん、ペースが早いもの、遅いものはある。しかし、ある一定時間を経て、すべてがひとつになっているようにみえるのだ。その瞬間、この感覚は何なのだろう、何か知っているがした。昔、大昔、に経験しているような…。しかし、具体的なエピソードが思い出せない。
また目を閉じると、自然の中で寝っ転がっていたときのことを思い出した。しかし、これはいつの出来事なんだろう。思い出せない。でも、私はこの景色を知っているという感覚があった。景色というよりも、この感覚といったほうがいいかもしれない。そして、すべてに包まれているような、すべてに愛されているような、身体中がその光に照らされ、温められているような感覚を感じて、また眠気がきて眠りについてしまった。
気づいたら、朝になっていた。
これが、私が体験したことのすべてだ。読者は、これを見て何を語っているのかと思ったかもしれない。けれど、これ以上何かを語ることをはばかられるのだ。何か見てはいけないものを見てしまった気もするし、一方であまりにも身近な光景に触れたような気もする。
最後に、一番最初に集まった場所に、全員が集合した。主催者が一言だけ言葉を残してこの場は終わりになった。
「みなさんは、何を体験されましたか?
この時間の意味は、私たちにはわからないし、皆さんの中にしか真実はありません。自分の感性を信じ、湧いてくる感情と直感に身体を委ねてあげてください。」
帰りの船で、他の参加者に、どうでしたか?と聞いてみた。みな、一言目に、「うーん…、気づいたら終わっちゃったという感じでした」という言葉とともに、無人島での時間を思い出しているようだ。口火を切ったのは、4〜5歳に見える女の子だった。
「ママ、私ね、お母さんのお腹の中にいたときのこと思い出したよ。あの時もね、いろんな光があったんだよ。ママのお腹の中で、包まれて、とっても安心できて。あの時のことを思い出したよ。すっごく気持ちいい時間だったよ!」
母親は驚いているようだった。いわゆる胎内記憶と呼ばれるものだが、今までそんなことをその女の子が話したことはなかったらしい。この女の子に続いて、他の参加者も感想を紡ぎ始めた。
「最初は、純粋に光ってきれいだなぁと思っていたんですが、途中から、記憶があんまりない気がするんです。いつ踊っていたのか、いつ寝ていたのか、いつ意識があったのか。すべてが夢の中の出来事だったような気もするし…。でも、明確には覚えていないんですが、ある時無性に涙が止まらなくなって。その涙が、嬉し涙だったのか、悲し涙だったのかもわからないのですが。ただ、涙が流れ続けていたんです。それだけは覚えています。(30代女性)」
「はじめ光を見ているとき、これが僕のいのちかぁって思い、凄い感動しました。でも、だんだん時間が経過し、光が集まっているところで身を過ごす中で、ぼくのいのちっていう感覚が薄れていって。あなたと私、私とあなた。私と自然、自然と私。自分とのすべての境界が曖昧になったような…。すべての光が自分の鼓動のような…、そんな感覚が湧いていた気がします。一体何だったんでしょうね、この時間は(20代男性)」
参加者にとっても、この時間が何だったのか、分からなかったようだ。
私はその後東京に戻り、日常業務に戻っていた。でも不思議なもので、それまでの絶望的な気持ちが消えていたのだ。仕事も順調になり、クライアントからも、「あれだけ、ボロボロだったのに、一体何があったんですか。こんなに急に変わって。私も妻と喧嘩ばかりで疲れきっているので、秘訣を教えてほしいです笑。」と笑われてしまった。私にもわからない。でも、生きることが楽になったことだけは確かだ。
当日のことを忘れ始めた2週間後、主催者から一つの映像が送られてきた。皆が集まっていた場所での光の推移を映像で撮影したものだ。それを見て衝撃を受けた。明らかに、様々な光が同期してしまっているのだ。
これは記事にすべきだと直感した。ただ、どう書けばいいか分からず、信頼できる人たちにこの映像を送った上で、私の体験を語った。こんな感想が返ってきた。
宗教学者は、「これは、すごいですね…。キリスト教で聖書はまさに、『光あれ』から始まりますが、万物のいのちがひかりとなり、すべての違いがなくなっています。特にリズムがあいだしたとき、自と他の境界がなくなり、調和、ワンネス、恍惚状態、そういった神秘体験をしているように見えます」と語っていた。
また、数学者は、「これは、科学の世界では、同期現象と呼ばれる現象です。でも、同期現象は、ホタルの同期といったものでは目撃されますが、人間同士、更には人間と自然界のリズムの同期を実際に研究した人はいないし、いたとしても研究室での理想状態に過ぎません。現実世界においての同期現象が起きたようにも見えます。一体何がここでは起きていたのか、教えてほしいです。」と語った。
また、妻にも感想を求めてみた。「単純に美しいね。この映像が鼓動だなんて、見るだけで涙が出てきそうになるわ。なんか、娘がまだお腹の中にいて、私の中に彼女の鼓動があったときのことを思い出すわね。同時に、私がお母さんのお腹の中にいたときのことも。最近娘とも喧嘩してばっかりだけど、その時のことを思い出させてもらった気がするわ。母と娘はつながっているんだものね…。」
私は上司に掛け合い、これを特集番組として取り上げることにした。大反響があったとはいえないが、SNS 上では、一部の人達に熱狂的な反応があったそうだ。だが、それよりも、驚いたのは、後日ある人から届いた一通の直筆の手紙だった。
送り主は、ダライ・ラマだった。彼の側近が、ちょうどこの番組を見たらしく、その内容をダライ・ラマに伝え、番組を見てくれたらしい。その手紙にはこう書かれていた。
「素晴らしい映像をありがとう。この感覚、すべては繋がってしまっているんだという感覚を人類がみな体験し、思い出したら、この世界は思いやりに満ち、平和になり、愛であふれる世界になるはずです。私が願い続けてきたことが実現されている体験だとお見受けしました。作者に、ぜひこの体験を世界中に届けたほしいと連絡をしてあげてください。もちろん、チベットでも。人類の未来のためになるからと、お伝え下さい。」
いたずら手紙か、本人なのか未だに分からない。そして、私にとっても、結局あの時間が何だったのか分からない。ただ、この文章を読んで、興味を持つ人達がいたら、ぜひこの体験をしてみてほしい。
宇宙飛行士が、いくら地球の美しさを語っても、実際に見ていない人には伝えきれないと語るように、どう語っても語りきれる内容ではなかったのだから。