見出し画像

からっぽになってしまった時。振り子が振れてしまう時。

いま、燃え尽き気味である。コロナウイルスの影響が大きくなり、それから「いま、何が表現できるのだろうか。何が今しか表現できないのだろうか」、そんな問いに向き合い続け、実際に体験として届けるものも構想もあるけれど、今ボクの中から生まれ出るものを、多分出し切った。

文字通り、「すべて、出し切った。」といい切れるかもしれない。前回の記事にも書いたけれども、大きな方向性がほぼ見えた。また、実際に100人規模の体験を届けることも出来たし、パフォーマンスと連動した芸術表現も試みた。

でも、いかんせん、出し切ってしまった。本当に、空っぽになってしまった気がする。僕は昔から、周りから心配されるほどに、何かに過度に集中してしまう。それが終わると、ヘニャヘニャになる。今はそんな気分だ。

しかし興味深いのは、そんな、空っぽになってしまった時に湧き上がってきたのが、「人のビジョンを描きたい。」「人のサポートをしたい。」であったことだ。これはある意味で、空っぽな自分に対して、新しい栄養を摂取しようとする営みなのかもしれない。

表現されてしまうもの(自分起点)から、
人の役にたつもの(他者起点)へ。

具体的な見える存在(作品)から、
ふわふわとした見えない存在(ビジョン)へ。

結局僕は、芸術家として生きていきたいし、そう決めたからそうなるのだろうけれども、今あるものは出し切ったから。次の何かにたどり着いていくために、また振り子を反対に振ろうとする力学が自分の中で働き始めたらしい。

これでまた違う体験を積み重ねていくと、違う何かがまた現れてくるのかもしれない。この先に、また、想像の外にある何かと出会わせてくれるのだろうと思う。その瞬間が、僕は、楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?