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本番当日、システムが動かない。痛すぎる失敗から学んだこと。

9月15日、健康経営をテーマとした、働き方・生き方フェスというイベントが開催され、光栄にも、そのクロージングセッションを<いのちを光にする> kodou の営みに、任せて頂けました。

かなり挑戦的な内容で、主催者の方からのリクエストもあり、新しいアプリとシステムを構築し、それをベースにした新しい芸術体験に挑みました。限られた期間の中、kodou チーム一同、全力で準備をしました。

結論からいうと、"大失敗"でした。

芸術家として生きる、と決めてから、もうすぐ3年ですが、実際のところ、今まで大事な場はすべてうまくいっていました。本番数日前まで作品すら決まっていなかったり、前日にエラーが頻発しようと、最後の最後には、なぜかすべてがうまくいっていました。

様々なリスクが常に存在する中、針の穴を何個も通り抜け、毎回、奇跡的な場が成り立っていました。神の手を感じてしまうような、そんな瞬間の連続でした。

しかし、今回、"大失敗"しました。芸術体験のコアであったシステムが不具合を起こしてしまい、最終的に意図した芸術体験を提供できない、という状況に陥ったのです。

最後の一瞬まで諦めずに試みたものの。不具合を起こし始めたシステムを復旧することが出来ませんでした。その場に参加して下っていた参加者の皆さん、そして信頼して任せて下さった主催者の皆さんの期待に応えられなかったこと、ただただ申し訳ない気持ちが募りました。

期待された成果を出すことが出来なかったという意味で、プロフェッショナルとしては失格でしょう。正直、本当に落ち込みました。それでも仲間たちと話し、明確になったことがあります。

第一に、言い訳の一切できない「失敗」であったこと。けれど、今のメンバーで限られた時間の中、事前に考えうる手はすべて打ち切っていて、最善は尽くしていたこと。だから、「一切の後悔」はないこと。逆に言うと、紙一重ですべてがうまくいく可能性もあった現場でした。

あまりに挑戦的な内容に何度も諦めかけるタイミングがあったにも関わらず、最後までだれひとりあきらめずにここまでこれたことは、本当に誇らしいことです。誰がなんと言おうと、kodou のメンバーは最高でした。当日までに、一体何度、ひとりひとりの奇跡に助けられたことか分かりません。

ただ、最後、僕に運が足りませんでした。失敗は失敗。その後、会場にいた関係者の皆様に声をかけていただきました。

「あそこで、泣く準備していたんだ。コンセプト聞いた時から本当に素晴らしいと思っていて、でも泣けなかったよ。」

本当に、申し訳ないとしかいいようがありません。一方で、ご一緒した場をホールドしてくださった方からは、終わった直後、

「すぐに、リベンジしましょう。日程いつにしますか。」

とその場で日程を打診頂き、更に会場の管理者の方の提案で、別日程で、同じ会場を、同じような配信環境で、リベンジの機会を与えて頂き、その開催をサポート頂けることになりました。主催者の方からも、これは「失敗じゃないよ。次に活かそう。」という暖かすぎるコメントを頂きました。

涙が出そうなほど、有り難かったです。大切な場を任せていただいて、その責任を果たすことができなかった中、お叱りを受けるべきところで、また次の挑戦の機会をいただける…、始まる前以上にたくさんの方が応援して下さる、こんなに有り難いことはありません。

この痛すぎる一連のプロセスを通じて、自分自身、とても大きな学びがありました。

僕は、やっぱり<いのちの眼>で地球を眺めてみたいんだ。

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なぜ僕が凹んでいたのか。

それは、他の皆様への期待に応えられなかったことはもちろんですが、僕自身が見たかった、<いのちの光>が見ることが叶わなかったこと。そのことに大きな悲しみがありました。

打ちひしがれ、悲しむ自分を見て、改めて、いかに僕はその景色を見たがっていたのか。<いのちの眼>で地球を眺めたいと願っていたのか、そのことを思い知りました。

元々僕が恋い焦がれていたのは、宇宙空間から眺める地球の姿。写真で見ても美しいけれども、そのリアルな姿は、きっと想像もできないほどに美しいのでしょう。

そしてそれを人類が達成した今、僕は、人類には、<いのち>のメガネで地球を見る体験が必要なのでは考えているのです。いや、嘘をつきました。人類云々は関係ありません。僕が、ただ、その姿を見たいのです。

その実現への大事な一歩としての景色、それを見れなかったことへの悲しみがありました。しかし、逆に、その悲しみの大きさから、自分自身の願いがいかに強いものだったのかを知りました。

大失敗でありながらも、大成功であったんだ。

不思議な現象が起こりました。

それは、当日芸術体験を完遂できなかったにも関わらず、むしろ、たくさんの人が応援してくださることになったことです。セッションに参加し、<全体のいのち>としての光の鼓動を見ることができなかった方が、次こそはその映像を見たい、と仰ってくださったり。

そこで、あることに気が付きました。

「セッションの瞬間に芸術体験を提供する」という観点からは、失敗でした。しかし、上で書いたような、「<いのち>の眼で地球を眺める」「生きとし生けるものたちの、<いのち>の光で地球を見ることができるようにする」という究極の目的に向けては、むしろ、同じ景色を追い求めていく、仲間が増えた、成功だったのかもしれません。

元々ビジョンが壮大過ぎて、僕たちだけではどうにもできません。だから、仲間が必要で、その意味で、失敗したことで、応援して下さる方々と、ひとり、またひとりと出会う体験になっていたことに、気づきました。

尊敬するアーティストの友人が下記動画を教えてくれました。直線的に最短の道をいくことが最短じゃないよねって。あぁ、そうだなって。

だから今回の体験は、大失敗でありながらも、大成功でもありました。失敗したからこそ、得れたつながり、学びがあります。ビジョンには、むしろ近づくくことが出来たのだと感じています。

失敗は怖い。それでも挑戦し続ける自分でいたい。

とはいえ、失敗は失敗。怖いものです。

期待された役割を果たすことができない、自分は駄目なんじゃないか、そんな危ないことばっかりやらずに、できる範囲のことをやれよ、そんな声が、自分の内側から聞こえてきます。

今回、失敗をし、それでも舞台に立ち続けるという経験をしました。本当に、痛い経験でした。挑戦するということは、それが失敗したとしても、何があろうとも、その場の責任を果たしきるという覚悟を持つということでもあります。

それは、本当に、本当に、怖い。それでもなお、景色をどうしても見たいから、勇気を持って一歩、また一歩と踏み出し続けたい。挑戦し続けたい。舞台に立ち続けたい。傷ついたとしても、前を向き続けたい。

そう、今は考えています。

そして、一緒に景色を見たいといってくれる方々のためにも、何よりも僕自身のために、次の場こそは、場を成功させたいと願っています。そこから、その営みが世界に広がっていく、そんな願いを持ちながら。

誠実に、誠心誠意、一歩ずつ前に進み続ける。挑み続ける。それが、今回場を任せてくださり、次の機会をくださった皆様への僕ができる唯一のことだと思います。

最後に。こんな挑戦を一緒にしてくださっている仲間たちは、本当に最高です。今回は紙一重でうまくいかなかったけれど、次回は笑って終えましょうね。そして、数カ月後、数年後、あれがあったから、ここまでこれたね、そんな会話を仲間たちとするために、これからも見たい景色をただ見るために進み続けます。

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