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変わらない軸と、振り子を振り切ることと。

「変わらない軸は何ですか。」

そんな問いを向けられることがある。この問いは不思議なもので、人生には何らかの変わらないものがある、という前提にたっている。多くの場合、それは、"原体験" と呼ばれるもので構築されると考えられている。

この問いが興味深いのは、この "変わらない軸" なるものがあるとして、質問者としては、自分の人生を一本の筋に通したいと思っていて、そのためには意思決定の基準としての何らかの軸が必要だと考えていることにある。言い換えると、過去からの一本軸として、未来が決まる、という考え方なのだ。

一方で、自分の人生を振り返ると、そのような軸なるものは、人生の意思決定には存在していないことに気がつく。にも関わらず、無意識的に、瞬間瞬間に意思決定してきた道、そこに出来てきた道を振り返ると、たしかに"軸" なるものの存在が見えてきてしまう。

これは興味深くて、"軸" と一般的に呼ばれるものとは、過去からの延長として未来を規定するものではなくて、瞬間的に生きてきた道を振り返ると、その後ろに出来てしまっているもの、ということである。

僕は、実際、人生とはそういうものなのだと思う。どんな振れ幅で何をしようとも、"自分"という個人ができることにはそもそも制約があるのだ。それは、意識しようがしまいが、"人間"として、"地球"に生まれ育ち、今この瞬間まで生きてきた "過去" が "自分" という存在を規定してしまうためだ。

もっというと、DNA には、先祖代々、人生のもっと前の、原子の生命体のときからの記憶が刻まれている。自分の中にある。身体のすべての臓器、部位、細胞には、その形にたどり着いた歴史がある。

つまり、"軸" など考えなくとも、過去の延長から自分という存在が生まれてしまっているという圧倒的な事実がある限り、この人生で生まれてきた"過去"に捕らわれて、"軸" なるものをわざわざ言語化し、自分の未来を決めなくて良いと思うのだ。

小さい制約にとらわれず、もっともっと自由にしたらいい。振り子は振り切ったらいい。振り子は、振り切れば振り切るほど、反対側に勢いを持って振れ、強いエネルギーを伴って戻ってくる。そう、振り子は戻ってくる存在なのだ。そして、中心点と振り子を結ぶ糸はそんなに弱くない。だって、僕たち生命は、何十億年と生きてきているのだから。

もっと "自分いう存在" がこの瞬間に存在していることを信頼して、"自分" を信頼して、振り子を振り切ってほしい。ビビらずに。全力で。どうせ戻ってくるし、最初に書いたとおり、"軸" なるものは、全体の振り子の軌跡として見えてきてしまうのだから。安心したらいい。

だから全力で、振り子を振り切ろうよ。

それが一番今見えていない景色をみるのに、近道だと思うから。そして実は、逆説的に聞こえるかもしれないが、振り子を全力で振り切って、今とは違う場所にいくことが、"軸" を最も強く認識してしまう方法でもある。あんなに違うことしてしまったはずなのに、でもそこには、大事な何か = 軸、が存在してしまっていることに気付うから。

その瞬間は、本当に楽しいし、ドキドキする瞬間でもある。あぁ、私ってこうだったんだ、って気付かざるを得ない。そのとき、原体験も、軸も意味をなす。

もう一度繰り返すけれど、原体験も、軸も、自身の未来を規定するために使わないほうがいい。自分の人生を振り返ったときに、その原体験と軸を発見することを楽しみにしていたらいい。

軸を持ちたい、と思っている人ほど、遠くにいくといい。軸から離れるといい。振り子を振り切るといい。それが、今この瞬間、僕からあなたに伝えたいこと。

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