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賢くなることと、失ってしまうもの。

ひとつのことを追い求めていくと、それまでバラバラに見えていた事象が、構造的に捉えられるようになってくる。話を聞いている人からすると、新しい物語を聞いている感じがするし、脳が刺激された感覚が芽生える。

しかし、である。構造的に捉え、すべてを説明可能にしていけばいくほど、失っていくものが増えていく気がする。もし、創造という観点にのみ焦点をあてるとすると、実は何も説明できていなかった時に創造されていたもののほうが、人の心を捉えてしまっていたりする。

元々言葉にならないはずのものを、試行錯誤し、構造化し、言葉にする。結果、逆転現象が起きる。真実は、言葉にならなかったはずの「現象」にしかないのに、その「言葉」に真実が宿っているような気がしてしまうのだ。

実際、言葉のほうが流通速度は早い。言葉だけで流通可能だし、分かった気になってしまう危険性がある。言葉がいい悪いではなく、言葉はそういった特性を持っている。でも、本当にそれを自分は追い求めていたのかというと、多分違う。

僕は言葉を使うし、言葉が好き。構造的に物事を捉えることも癖のように好きだ。だからこういった文章も書いてしまうのだが、言葉に酔わず、その奥にある現実に目を向け続けることこそを、大事にしていきたい。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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