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武藤先生のなみだ

おばさん先生

小学2年生の2学期、担任だったO先生が産休でいなくなり、代わりに武藤先生というおばさん先生が赴任してきた。O先生は若くてキビキビとした人気の先生だったし、小学生の僕らにとって新しい先生の赴任は特別だったので、年輩でのんびりした雰囲気の武藤先生が赴任してきたのはちょっと残念な気もした。

それでも僕らは武藤先生の優しさに惹かれていった。
先生はいつもにこにこしていて決して僕らを怒ることはしなかった。僕らがいけないことしたり、悪ふざけが過ぎても「ダメですよ」と言うだけで、きつく注意することもなかった。僕らの話をにこにこしながらうんうんと聞いている武藤先生の雰囲気が僕らは好きだった。

萌ちゃん

萌ちゃんという同級生がいた。萌ちゃんは生まれつき顔に赤い痣があって、声もくぐもっていた。そのためか萌ちゃんはいつも髪で顔を隠し、下を向いて黙っている暗い感じの子だった。そんな萌ちゃんを僕らはいない者として扱うか、同じ係だったりしてどうしても話さなければならないときは、周りの目を気にしながら話していた。

萌ちゃんは僕の家のすぐ近くにある平屋団地に住んでいてた。お姉さんと妹、お母さんの4人家族で、萌ちゃんのお母さんは歩くのもやっとというほど足が不自由だった。おそらく働くことはできなかっただろうと思う。お父さんが何故いなかったのかは知らないけど、団地には訳ありの家族がたくさんいたし、それが当たり前となっていたので気にもしなかった。一般的な父親がいない家庭がそうであるよう、萌ちゃんの家もとても余裕のある感じには見えなかった。

僕の住んでいたところは、学校まで歩いて30分ほどかかる校区では一番遠い地域だった。通学班は違ったけど、萌ちゃんも同じように時間をかけて登校していた。

できごと

2学期から始まった新しい環境にも慣れ、本格的な秋がやってこようとしている頃だったと思う。昼放課(愛知県の多くの地域では休憩を放課と呼ぶ)で運動場に出ていた僕は、教室に戻ってくると悪ふざけ仲間の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。どうしたのか尋ねると親分格の徹がニヤニヤしながら萌ちゃんの筆記用具をわざと落として面白がっていた。調子乗りの将也も続き、負けじと僕も加わった。
萌ちゃんは何も言わずに拾い続けていたけど、僕らの行為が止むことがないと分かると拾うのをやめ、代わり萌ちゃんは机の一点を見つめ続けていた。萌ちゃんの反応がなくなると面白くなくなったのか、徹と将也はつまらなそうに自分の席に戻っていった。

僕は萌ちゃんの隣の席だったから、しばらく萌ちゃんの様子を伺っていた。萌ちゃんは自分の筆記用具を拾い直すと、前と同じように机の一点を見つめていた。萌ちゃんは窓際の席で僕からは逆光でよく見えなかったけど、萌ちゃんの頬には確かに涙が伝っていた。

次の日の朝、萌ちゃんは学校に来なかった。

卑劣な感情

萌ちゃんの家には電話がなかった。だから何故萌ちゃんが学校に来ていないのか先生には直接の連絡はなかった。通学班の班長に事情を聴いても要領を得ないようだった。

でも僕たちには、少なくとも僕には分かっていた。昨日の萌ちゃんの涙を知っていたから。だから僕は1時間目が終わった後、徹と将也にそのことを伝えた。神妙な顔になった徹は

「まずいことになったな。先生に何か言われたらあいつが先にやってきた、そう言おう。何もしていないに笑ってきたから仕返しをした。これなら俺らは悪くない。分かったな」

僕も将也も頷いて席に戻った。もしことが大きくなってもこれで逃れられるかもしれない。あるいは萌ちゃんの方が悪いことになるかもしれない。こっちは3人なんだ。そう思うと少しだけ気が楽になった。今にして思うとずいぶんと卑劣な考えだと思うけど、小学2年生の僕には自分のことしか考えられなかった。

2時間目が始まってすぐ、萌ちゃんがお母さんに引きずられながら教室に入ってきた。足の不自由なお母さんは萌ちゃんの抵抗に少しだけ手を焼いていたけど、武藤先生が話しかけると観念したように萌ちゃんは大人しくなった。お母さんの必死な形相と萌ちゃんの抵抗、それを見た僕は血の気が引いたように顔が真っ青になっていたと思う。

当然のように2時間目は自習となった。
武藤先生と萌ちゃん、萌ちゃんのお母さんはどこかに行ってしまった。
僕は徹と将也ともう一度口裏を合わせ、なるべく堂々としていようと話し合った。僕たちは悪くない、悪いのは何もしていないのに笑ってきた萌ちゃんだ。僕は必死にそう思い込もうとしていた。

2時間目が終わり、長放課が終わっても武藤先生と萌ちゃんは教室に戻って来なかった。

先生のなみだ

3時間目も終わろうとする頃、武藤先生と萌ちゃんが教室に戻って来た。萌ちゃんのお母さんの姿はなくなっていて、萌ちゃんと入れ替わるように僕ら3人は別の教室に呼ばれた。

武藤先生は椅子に座ったまま何も言わなかった。
何とか助かりたいと思っていた僕はどう言い繕うか考えていた。徹と将也がどう思っていたのか分からないけど、きっと同じことを考えていただろうと思う。

どれだけ時間が経っただろうか、武藤先生がぽつりぽつりと僕らが萌ちゃんにした卑劣な行為を話し始めた。僕はそれを武藤先生の口から聞くのが何だかとても情けないような気がして、今まで考えていた言い訳も情けなくなってきた。

「本当にやってしまったんですね?」
「はい」

白状すると武藤先生は唇を震わせてまた押し黙ってしまった。しばらくする武藤先生は涙声で

「もうやりませんよね?萌さんに謝ってきてくださいね」

と言って涙を拭いました。そこで僕たちは自分たちの行いが本当に愚かだったと思い知った。自分は何ということをしてしまったのだろうと。僕たちは萌ちゃんに謝りもう二度としないと誓った。

もし武藤先生がその場で怒るだけの先生なら、たぶん僕は心に響くことはなかったかもしれない。だけど小学2年生の僕にとって、大の大人中の大人である武藤先生の涙は大きな衝撃だったし、僕の心の中に深く刻み込まれた。

僕はこれ以降、気が付かないうちに誰かを傷つけたことはあるだろうけど、意図して誰かを傷つけたりいじめに加担したことはない。それは武藤先生の涙のおかげで、武藤先生の涙を裏切るわけにはいかないと思っているから。

また歩くのもやっとだった萌ちゃんのお母さんが、嫌がる娘を引きづって30分以上歩き続けたという事実に背を向けるわけにはいかないと感じるから。

武藤先生は僕たち2年生を受け持った後、違う学校に赴任して行った。お別れの全校朝礼のとき、武藤先生は去り際に僕の両手を取って無言で涙を流した。僕は武藤先生にとっていい生徒ではなかったので、後ろめたい気持ちで一杯だったけど、もし叶うなら3年生も武藤先生と迎えたかった。だけど僕はまだ小学2年生で、自分の気持ちを理解し言葉にするには幼すぎた。だから武藤先生が握った両手を握り返すことしかできなかった。

もし今、武藤先生に逢えるなら僕はきっとこう言うだろう。

僕はあなたが大好きでした。その優しさ、その誠実さは僕の太陽でした。できればもっともっと武藤先生とご一緒したかった。

と。もう37年も前の話で、武藤先生が当時何歳だったかは知らないけど、現在はかなりのご高齢だと思う。まだご存命でいつか逢うことができればいいのだけど。

萌ちゃんのその後

この話には後日談がある。

萌ちゃんとは中学卒業まで一緒だったけど、その後しばらく会うことはなかった。ただ萌ちゃんは相変わらず僕の家の近くに住んでいて、タイミングさえ合えばばったり会う可能性があった。

そんなタイミングが実はあった。
大学生の時、下宿先から帰ってきた僕は萌ちゃんにばったり出会った。
以前通りの萌ちゃんだったら、僕は何も言わずに通り過ぎていたかもしれない。だけどその時の萌ちゃんは髪で顔を隠していなくて堂々としていた。そして何よりお腹が大きかった。

「お腹が大きいね、いつ生まれるの?」
「来月生まれるんだよ」
「そうなんだ。おめでとう、無事に生まれるといいね」

そのときの萌ちゃんの笑顔はとっても輝いていて幸せそうだった。きっといい人にめぐり会ってたくさん愛されているんだろうなと思った。そんな萌ちゃんを見て何だか僕も幸せな気分になった。

それから僕は萌ちゃんに会うことはなかったけど、きっと幸せな人生を送っているんだろうなと時々思い出すことがある。もしそうじゃなかったら・・・いや、これは僕の後ろめたさの表れなのかもしれない。だけど、僕は萌ちゃんの幸せを願って止まない。

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