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人の行動の機微に添うと新たな対話が開かれる。

ミカンが大好きな、ダウン症のろう女児Aちゃん。

お母さんにミカンの皮を剥いてもらって身を一房ずつ美味しそうに食べます。Aちゃんは、お母さんがミカンの皮を剥いている様子をじっと注意深く見ています。剥いてもらったミカンの身が目の前に来るのをただ待っているのではなさそうです。お母さんは笑顔でミカンの皮を剥いてはAちゃんに渡すということを続けます。

私は、お母さんに、Aちゃんは食べたいだけでなく剥きたいようだ、剥かれていないミカンをAちゃんに渡してはどうかと提案します。お母さんは快諾し、適度な大きさのミカンを選んでAちゃんに渡します。

Aちゃんは、喜んでお母さんからミカンをもらうや否や早速剥いてみます。しかし自身の手が小さいのか思うように皮を剥くことができません。行動が渋滞します。

そこで、Aちゃんがつまめることができるようほんの少しだけ皮を剥いたミカンを渡します。すると、その皮を出発点につまんでみたり引っ張ったりするなどAちゃんの活動が展開します。徐々に要領がわかってきたのか、両手でミカンを持ち、利き手の親指を剥くところに置く。そして、親指の先っぽに力を入れて剥くということがやっとできるようになりました。Aちゃんが私たちの剥き方を注意深く観察した賜物でしょう。

Aちゃんは、自分で剥けたミカンの身を満面の笑みを浮かべて美味しそうに食べます。そこで手話で/ミカン/美味しいね/と手話で伝えると、これまでミカンが欲しい時は指さしだけで伝えていたAちゃんが、初めて/ミカン/と言ってきました。その後ミカンがほしいときは、/ミカン/とお母さんに伝え、自分で皮を剥いて食べるようになりました。

Aちゃんは、ミカンの皮を剥いて、身をとって、食べて、その美味しさに感動しました。これでミカンというものに納得したから、自身の体験を足がかりに/みかん/という手話が初めてAちゃんの行動の系譜に加わった。

このようにAちゃんとの間で、ミカンに関する“何”を見ているのかといった注意の共有、ミカンに関して“何”をしたいのかといった活動の共有があって、そうした共有プロセスの先に「ことば」の共有があり、それを支えに新たな対話が始まる。

人の行動の機微に添うことで新たな対話が開かれる。そういうことではないかと思います。