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「誰かと相談してはどうか?」

8年前の今日に別府で約20年ぶりに再会できた中学校時代の恩師。

小・中・高校時代を生きた中で、私に「誰かと相談してはどうか?」と冒頭の言葉をかけてくれた唯一の教師です。12年間、学校教育を受けていながら現在でいう「合理的配慮」がなかったために教師全員のことばを知ることができませんでしたが、冒頭のことばは、私に語ってくれた数少ないことばの1つであり、今でも鮮明に覚えています。

中学校時代は自殺を何度も考えており、思い詰めていた私の表情に気づいてくださったのか、昼休みだったか放課後だったか記憶はありませんが、教室にただ一人座っていた私にそう話しかけてくれました。小学3年の時に聴覚障害との関係で起こる「生きづらさ」は誰にも相談せず自分一人で考え抜いて生きていこうと決めて生きてきたので、先生にそう言われたときは、相談?そんなことができるのだろうか、第一自分にはそんな人なんていない、と思いつつ、「そうですね」と力なく応じるだけだったように記憶しています。そもそも相談って何だろうかということすら忘れてしまったほどです。

高校に進学してからは少しずつ「相談」できる相手が現れてきて、自らも友人たちのためにたくさん「相談」にのるようになりました。

「誰かと相談してはどうか?」。当時は、中学校時代の恩師は相談相手になることは残念ながらなかったのですが、私に「生きづらさ」が起こっていることに気づき、そのことを直接私に伝えてくれたことは大変良かったとつくづく思います。何度も当時を振り返るたびに。

当時、恩師に話しかけられたあの静かな教室は、私にとって「相談」という方法があると考えるきっかけになった原風景です。

ちなみに小学校・中学校の9年間、担任の先生方とのやりとりではっきりと覚えているのは、この言葉だけでした。