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聴覚障害や手話などの概念を組み換える。

素朴概念は、人が自身の日常経験にもとづいて得る概念のことです。日常生活の中で自分なりに考えて得ていくものなのですが、科学的に十分ではなかったり誤りを含んだ状態で概念を形成していることが多いのです。

例えば、「聴覚障害」。大学の講義で受講生に「聴覚障害のある人はどのようにきこえていると思うか」と試しにアンケートをとってみると、「小さくきこえる」との回答がいつも圧倒的に多いのです。これも素朴概念の1つです。おそらく耳が遠くなった祖父母と会話する時に大きな声で話せば聞こえるといった日常経験にもとづいて「聴覚障害とはこういうものだ」と誤った、あるいは偏った状態で形成しているのでしょう。だから大人になっても、聴覚障害のある人に対して大きな声で対応しようとしたりする様子を散見できるのでしょう。

「手話」に関してもそうです。日常生活の中で直観的に身振りやジェスチャーと類似するものとして捉えたり、それゆえになんとなく手話に独自の文法体系があるとは思わなかったり、世界共通のものなのだろうとみなしたりするのです。

しかも厄介なことに、これら素朴概念は、子どもだけではなく、高校生や大学生、大人までもが保持しているのです。科学的概念を扱う大学教員もしかり。まだ子どもであれば素朴概念を持ち出されても、うん確かにそう思ってしまうよねぇと見ていられるでしょう。しかし、大人であれば素朴概念に基づいた行動は、時に聴覚障害のある当事者に対する「抑圧」となってしまう可能性があります。行政、医療、福祉、教育、労働など様々な分野でも。

そこで、彼らの素朴概念を意図的に修正し、科学的概念に組み換える教育が必要になります。科学的概念は、一貫性を持っており、個々の仮説検証によって構成されたものです。「聴覚障害」が起こる生理学的機序や「手話」の言語学的構造が科学的概念です。そこで私は、講義や講演で、教育心理学者の細谷純(2001)が提案する「ドヒャー型ストラテジー」と「ジワジワ型ストラテジー」を用いて科学的概念への組み換えを図っています。

ところで実は、聴覚障害のある当事者、例えば学生や大人でさえ自身の「聴覚障害」や「手話」などについて科学的概念にまだ組み換えていないことがまだ見られます。

聾学校や大学等でそうした「教育」を受ける機会の制約が現在も続いているということなのかもしれません。

素朴概念から科学的概念に組み換えることで、セルフ・アドヴォカシーをより発揮したり、身近な人々や地域への発信力を高めたりすることにつながると思うので、聴覚障害のある当事者には特にそうした教育の実践を広めていかないといけないでしょう。