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読唇×聴覚障害当事者研究。

読唇とは、専門家によれば、「口唇運動パタンを読み取り、発話内容を推測すること」であるという。

口唇運動パタンは、日本語の場合、母音の開き具合と、発音時の口形の変化の組み合わせで、下図のように15パタンがあることを示すことができる。

例えば、3音節で構成される単語の口唇運動パタンの組み合わせが、⑥-⑪-③であれば、「たーまーご」、「たーばーこ」、「なーまーこ」のように同形異義語が何通りが出てくるわけである。

組み合わせによっては、10通り以上ものの同形異義語が出てくることがある。例えば、⑤-⑨ならば、いす(椅子)、いつ(何時)、いぬ(犬)、いる(居る、要る、射る、炒る、鋳る…)、きす(接吻、魚名)、きぬ(絹、衣)、きる(切る、着る、キル)、ひつ(櫃)、ひゆ(比喩)、ひる(昼、蛭、蒜)。最大で60通り近くになる組み合わせもある。

それゆえに口唇運動パタンのみで正確に発話内容を把握するのは困難であり、実際はそれ以外の情報(例えば、前後の文脈)と関連付けさせることで、確からしい候補(最適な候補)を推測することになる。

以上のことは、モニター上に表示されている人物(20-30代、女性)の顔と、正面から、決められた距離で向かい合い、何度も検討を重ねて作成された単語および短文リストによって話されている口唇運動パタンを読み取る場面で調査することでわかってきたことである。

これが、読唇の難しさであると語られてきた。しかし、日常を生きる聴覚障害当事者にとって読唇の苦労はそれだけではないように思う。実際は、当事者自身も気づかないほど苦労しながら読唇しているのかもしれない。

ここで、実際に読唇をする場面で当事者の側にどのようなことが起きているのか、当事者研究の視点で観察してみた。仮説として、以下のように苦労のパターンが考えられるのではと思う。(聴覚活用は難しいという前提で)

1.聴者との会話を始める直前の段階(最初の苦労)

少しでも読唇作業の効率をあげるために、「予備的過集中」のモードに入る。つまり、聴者(身分、地位、服装、性格、嗜好性、⾏動パタンなど)や、その場⾯や文脈の特徴(場所、話題、会話をする背景、その聴者との関係性など)に関連性の⾼いレジスター(特定の場面で使われることば)や会話の流れは何かを計算処理して、脳内辞書データから引き出しておく。

2.聴者が話し始める段階(2番目の苦労)

聴者の口唇運動パタンを収集・分析・推測するために、「第1次過集中」のモードに入る。具体的には次のような作業工程が行われていると思う。①その聴者なりの母音形(ア、イ、ウ、エ、オ)を同定する。②子音形を15パタン(上スライド参照)で分類したり、⾆先の動き(タ・ナ・ラ)、⻭の接触(サ・タ・ザ・ダ)などの様々な運動属性も加えて多角的に分析する。③そうして分類できた口唇運動パタンを、脳内辞書データと照らし合わせて、最適な候補の文あるいは文節に変換する。④変換不可能な候補は一時的に保持し、適宜さかのぼり、前後の文脈との関連で、最適な候補の文あるいは文節に変換できるか試みる。わからない場合はモヤモヤになる。そうして聴者が話し終わるまで、①~④を延々と無限ループのように続ける。

3.聴者が話し終わる段階(3番目の苦労)

1と2の各種情報を統合して、聴者が何を話していたのかを総合的に判断・推測する(発語行為に対する推測)。最適な候補に絞りながら、聴者は何を伝えたいのか、意図を考える(発語内行為に対する推測)。それが「第2次過集中」のモード。本当に推測できるのかといった非常に緊迫した空気がある。

4.こちらの話す内容を考えて話す段階(4番目の苦労)

聴者が話した内容についてある程度最適な候補を取り出せたら、こちらから何を話すか内容を考えることはできる。しかしこれまでずっと聴者の話す内容を推測することに過集中の状態が続き、自分は何を話すのかまで十分に集中して考えることが難しくなるため、また「第3次過集中」のモードに入らねばならない。だとしても、結局考えられず、手短な、あるいは浅い内容で話してしまって終わり、ということも少なくない。もし最適な候補を取り出せなかった場合は、相手に応じてどのように確認したらよいのかも考えねばならなくなる。

5.会話が終わった段階(5番目の苦労)

これまでの度重なる過集中のモードで疲れて「低集中」のモードに入りたくなる。これは、次にやってくる読唇の場面に向けて「予備的過集中」のモードに入れるように備えておく意味もある。そのために、何かに集中しなくてよい場所へ移動してぼーっとしたり目を休めたりする。移動できない場合は、抜け出して顔を洗ったり、別の作業ができる状況を作ったり、いろいろ工夫する。それも他者に気づかれないように。

おおまかな記述ではあるが、このように聴覚障害当事者は、個人差こそあれ、以上のようなパターンで苦労しながら読唇をしているのかもしれない。そこまで集中しなければならないほどだから、読唇は、一般的にリラックスして意思疎通を細部まで図ることができる手段であるとはいえなさそうだ。