見出し画像

スイカ割り-同化モデルと共生モデル。

これは、私が大学1年の時に経験したエピソード。

ある県の難聴児を持つ親の会の1泊夏季研修会にボランティアスタッフとして参加した。そこで、同化モデルと共生モデルの違いについて深く考えさせられた出来事があった。

夏といえば、スイカ割り。聴こえない子どもも聴こえる子どもも参加していた。スイカ割りは、目隠しをした子どもに周囲がスイカのある場所まで案内し、子どもはその案内を手がかりにドキドキワクワクしながらスイカのあるところへ歩を進めていく。

スイカ割りでは、早くスイカを割りたくてたまらない子どもたちが、年齢の幼い順に並んだ。最初の子どもは、小学校低学年の聴こえない子どもだった。子どもは、目隠しをすると、前へ歩を進める。すると、子どものご両親や周囲の大人は、笑顔で「右だよ」「左だよ」と大きな声で案内した。しかし子どもは、音声の聴き取りはまだ難しく、音声の内容や方向にかかわらず、たどたどしいながらも、スイカがあると思われる場所に立ち止まり、棒を大きく振りかぶって叩いてみる。残念、外れた。当の子どもは、微かに苦笑しながらも、残念で悔しそうな表情を浮かべていた。

その後に続く聴こえない子どもたちに対しても、大人はみな大きな声で案内した。スイカのあるところに辿り着くことができたのは、聴こえる子どもと、目隠しをさせられてもなんとか聴覚活用ができるような子どもだった。

しかし、そのなかにデフ・ファミリーが1組おり、ろうのご両親は、我が子の右肩あるいは左肩を叩いて案内した。叩く回数で歩をどれ位進めたらよいかを考えさせる。叩いた直後に手を離さずにすることでスイカが射程圏内にあることを伝えた。とても自然な流れで進めていた。棒はスイカにあてることができたけど、残念ながら割れず。

この何気ないデフ・ファミリーの所作は、あまりにも自然だったからなのか、周囲の大人は、その所作の意味に気づかないまま音声で案内することを続ける。

スイカ割りが終わり、子どもたちが寝た後、大人たちで恒例の懇親会がはじまる。最初に一人ひとり自己紹介をする。我が子のことも紹介しながら。そのなかでろうのご両親が、自己紹介の後で、スイカ割りのエピソードを語った。周りの大人はハッとした表情を浮かべていた。

それから翌年以降は、1泊夏季研修会でスイカ割りをする時、当時は音声で案内していた大人たちはみな、前述のろうのご両親が実践したのと同じ方法で子どもたちを案内するようになった。また、研修会のあらゆる場面に、文字通訳や手話通訳など情報保障がつくようになった。

子どもたちは、自分の親も含む大人たちの変化について「変わったね」「どうして?」と語ったり尋ねたりしたのだろうか。当時の私はそこまで確認することはできなかった。

子どもたちは、「聴くこと/聴こえること」にまだ同化させられたままなのだろうか。それとも、共生の可能性におそるおそる気づいたのだろうか。

子どもたちはどのような存在であり、どのように生きるのか。私たちは、どのような存在として、子どもたちと係わっていくのか。

スイカ割りには、私たちの哲学や認識が凝縮されている。