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日本手話の「言い直し」にみる「学習言語」

あるろう幼児がろう学校幼稚部年長児クラスで語ったエピソードの話。

日本手話と日本語の両方を身につける教育環境におり、日本語は単語(主に事物の名称)を指文字で適切に表せるようになりました。

ある日、ろう幼児が日本手話で自分がバッタのお店ごっこについて遊んだ過去経験を語りました。以下の内容は、ろう幼児が3分間報告した内容の一部。お客さん役の子どもがバッタのお店に来たので、バッタを売る担当の自分が希望は何?と聞いたら、小さくて茶色いバッタをくださいとのことだったので、そのように対応した、というものです。

…省略… 客 客が待っている場−来る−自分(お店の人) から[右手ホ手型]…① から[両手メ手型]② rsお店の人/何?/  rs客/バッタ 小さい 茶色 1つ ください/ rsお店の人/わかる/+ …省略…

太字の箇所に注目してください。これはろう幼児が自分で「言い直し」をしたところです。①の表現は、時間的起点を表わす文法表現として使われることが多いものです。①を表現しはじめたろう幼児は、その表現の途中ではっと気づいたように小さく首を素早く振り、すぐ②の表現に切り替えました。②の表現は、理由・原因・根拠を表わす文法表現として使われることが多いものです。

なぜそのように「言い直し」をしたのでしょう。①でも文法的に間違っていないので、そのまま使ってもよいわけです。しかしろう幼児は、それは違うと判断した。単に客が来たから対応したという時系列に「事実の語り」をしたかっただけではない。おそらく、その事実に加えて、自分は店の役割やルールをそのように理解し、実際に対応できていたよ、という「認識の語り」もしたかったのではないかと思います。

ろう幼児は、いかに複数の出来事をどのように関連付けて物語(Narrative)を生成していくのかといった構造性や、その時々に語りたいと考えているテーマとの結束性との関係で考えれば、①よりも②のほうが表現上適していると判断したわけです。

言い方を変えれば、ろう幼児は、過去に経験した1つのエピソードに含まれる複数の出来事をある程度先まで見通しながら配列させて1つの物語として構築することができ、しかも、その時々に使う表現1つひとつも物語る内容やその目的に照らして適切なものなのかを確認したり間違っていたら修正する、ということを自分一人でやっていたわけです。

本当につい見落としてしまいそうな、1秒にも満たない瞬間にここまで考えて「語り」を修正したのだから「すごい」の一言です。ろう幼児がバッタのお店ごっこを通して「どのような立ち位置として世界を捉えて自己を語るのか」といった主体的実践の一端が垣間見られるものではないでしょうか。

ところで、こうした「言い直し」からは、ろう幼児の日本手話が「生活言語(Conversational Language Proficiency)」としての能力だけでなく「学習言語(Academic Language Proficiency)」としての能力をも備えつつある、といえると思います。

「学習言語」とは、幼稚園後半から学校生活で身につけることばであり、「言語」の側面だけでなく「認知」の側面にも注意を向けた概念です。上記の手話発話の例でいえば、「言語」的側面では、語るために必要な語彙・文法を取り出し、これらを1つのテーマに関連付けて一貫した物語(談話)を作るために配列することができるということです。「認知」的側面では、どのような物語構造があるのかを知っており(例えば、導入→展開→終結といった手続き的知識)、そのために語彙や文法の使い方が適しているか確認したり修正することができる(言語について知り、考えるといったメタ言語知識)ということです。

誕生から幼稚園前半までの子どもたちは、まだそのようなことばを使うのは難しいのです。最初は「生活言語」ということばを使います。短めで簡単な構造で話したり、表現の適切さよりも親のように親しい相手と内容を共有するために会話という方法で進める能力です。言語だけでなく、実物を指さしたり、表情、音声、身振りなど様々な手段も使って話します。幼稚園に入園してからは、先生や他児との適切な係わり合いを通して、次第に「学習言語」としてのことばを身につけていくわけです。

こうした「生活言語」や「学習言語」は、日本手話だけでなく日本語や英語などにも見られるものです。ただ、日本手話における「生活言語」や「学習言語」については知られていないことがまだまだたくさんあります。

今回の「言い直し」は、たった一人のろう幼児の表現の小さな”一例”(しかも瞬時の)に過ぎないのですが、日本手話における「生活言語」から「学習言語」への移行を示しうる1つの現象として捉えることができると思います。もちろん「学習言語」への移行を示す現象はそれだけではありません(代表例というわけではありません)。他にもさまざまな表現から確認できますし、学校に入学してからは「学習言語」をより高めていくことになります。

このように日本手話の瞬時の表現から、子どものその時々の「生きる姿」に気づき、感嘆することは教育学的に重要なことだと思います。もちろん日本手話に限らず、日本語などあらゆる表現からも。その上で、その子どもに対してどのような教育実践をしたらよいのかより具体的なイメージを持って考えることもできるのではないでしょうか。