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「困りごと」を返す。

困りごと。

ある状況に直面して自分が生きにくい状態になる、つまり「困りごと」が起こった時に、その「困りごと」をどうするかを考えます。

その時に考えたいのは、「困りごと」は誰のものなのだろうか。つまり、本人が「困りごと」をどうするのかを研究するのか、それとも、そうでない者(いわゆる代理人)が研究するのか、ということです。

このことについて深く考えさせられるようなひとつの出来事がありました。

その出来事は、以前にある企画で人工内耳を装用している子どもたちとの対話で起こったことです。子どもたちは小学校2~4年。彼らは、1~3歳代の時に小児人工内耳手術を受けていました。

ちなみに、人工内耳とは、補聴器による補聴効果が一定期間見られない場合に医療的アプローチで行う人工聴覚器のことです。現在の小児人工内耳適応基準(一般社団法人日本耳鼻咽喉科学会)では原則1歳以上となっています。つまり、小児人工内耳の手術は、まだ子どもがそのように決めることが難しい年齢に行われるわけです。

そのため、親御さんは、子どもの「代わりに」小児人工内耳手術を決めるという非常に難しい決定を迫られる出来事を経験します。手術すると決めて手術が終わった後も、「代わりに」決めて良かったのだろうかと迷い続けていらっしゃる方々もいます。

本題に戻ります。そうして人工内耳を装用した子どもたちにとって「困りごと」が起こった時に、その「困りごと」をどうするか。親御さんは「代わりに」研究することをやめることを考えられるのだろうか。言い方を変えれば、子どもに「困りごと」を返すことができるか、ということにもなります。

私と対話した子どもたちは「自分の使っている人工内耳」について当事者としてどのように感じ、思っているのかを語ってくれました。率直に自分のことばで。下の表は、子どもたちの語りを私が整理したものです。

「きこえている状態(人工内耳装用ありの状態)」と「きこえていない状態(人工内耳装用なしの状態)」が、子ども自身にとってどのように「生きやすい状況(便利な状況)」と「生きにくい状況(不便な状況)」につながっているのかを示しています。

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この表から、子どもたちは、人工内耳を装用することで音声で話すことができ、完全ではなくともそれなりの装用効果を感じつつも、まだ生きにくい(不便)状況が起こっていることを認識していることがわかります。

さて、プールやお風呂に入る時は外部装置を外すため家族や友達とはあまり話をしないと子どもたちが語っており、それはまさに「困りごと」です。

しかし、その「困りごと」を研究するところまではまだ踏み出していなく、その手前の地点で逡巡していたのです。私からは、その「困りごと」をぜひお父さん、お母さんと話してみたらどうかな、その方がお父さん、お母さんも君たちの気持ちがよりわかって、一緒に考えてくれるんじゃないかな、と話しました。その場にいた親御さんにも、「困りごと」は起きては困るのではなくて、むしろ起こってくれた方がお子さんがどのように生きていくかを一緒に考えたり対話するきっかけになれるので肯定的に受け止めていきましょう、と伝えました。

このことを、別のところで講演したら、人工内耳を装用したお子さんを持つ親御さんから、次のようなことばをいただきました。「防水機能があるものを使うといいでしょう」と。その親御さんは一生懸命にお子さんを育てていらっしゃって、今回のことばも「困りごと」を抱えている子どもたちのためにできることは何かを率直に語ってくれたのだろうと思います。少しでも生きやすくしてあげたい、そういう親心からの提案でしょう。

確かに、プールや風呂で、防水機能を使って話せるようになったら、子どもたちも喜ぶでしょう。子どもたちは皆とつながりたい、話したいのですから。しかし、子どもたちが自分の親や友人とつながれるために使える方法が「人工内耳」のみであることに変わりがないので、もし防水機能を備えていても人工内耳が使えなくなったら、また同じような「困りごと」が起こると思うのです。そうしたら、また「代わりに」研究するのか、それとも子どもたちに返して研究してもらうか。

「困りごと」を語っている子どもたちは、すでに「当事者」として今ここに登場しています。そのようなまなざしを先の親御さんだけでなく教員や支援者など様々な立場で子どもたちと係わる私たちも持てるかどうかが問われていると思います。

もし私たちが「困りごと」を返さないで「代わりに」研究したとしましょう。「困りごと」がこれ以上起きないように先に解決方法を考えたり解決してあげたりする。それは子どもたちにとって「自分で生きること」を先延ばしさせられることになるかもしれません。

つまり、「困りごと」を返すことは、同時に「自分で生きること」を返すことでもあるということになるのではないでしょうか。

もし、子どもたちに「困りごと」を返すほどの心の余裕がないとしたら。
そうであれば、少しでも余裕がある時でよいので、試しに子どもたちに思い切って「困りごと」を返してみる。もちろん放任のようにすべて任せてしまうのではなくて、その「困りごと」はどのようにして起こっているのか、どのように対処していくかについて子どもが主役になって行動できるように一緒に対話したり、対処してみた結果を一緒に振り返って次はどうしたらいいんだろうねと作戦を立てたりしてみる。

そうして、子どもたちに「困りごと」を返し、「困りごと」は何か、「自分で生きること」はどういうことかを一緒に研究していける関係になれたらと思います。