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「エンパワメント」につながる聴覚障害学生セルフヘルプ活動とは?

宮城教育大学大学院修士課程に入学した私が1999年度から取り組んだ聴覚障害学生セルフヘルプ活動の話です。

同年度に、2つの学生団体を設立しました。1つは、障害学生支援になかなか着手しない宮城教育大学を変革することを目的とした「情報保障の会」。もう1つは、宮城県内の聴覚障害のある高校生・大学生のエンパワメント実践を目的とした「宮城県聴覚障害学生の会」です。

当時の聴覚障害学生は、長年の口話法主義によって親との信頼関係への“諦観”、教育機関や公共機関等の情報にアクセスできないことへの“当然視”、集団コミュニケーションや人間関係の深まりの経験不足による“無力感”、聴者への“依存”など様々な抑圧状況に直面していました。

私は大学で「教育」を学んでいましたが、このように苦しみ、もがき、滞っている聴覚障害学生が目の前にいるのに何もせずに卒業してしまうことは、「教育」に関わる者として許されないことではないかと考えていました。たとえそのまま教員免許状を取得したとしても、人間としては失格だということになるわけです。そのため、エンパワメントのような視点を持って、自分や社会(環境)を変えるべく、宮城県内の聴覚障害学生を集めて「宮城県聴覚障害学生の会」を設立したのでした。

さて、エンパワメントというのは、ブラジルの教育学者パウロ・フレイレ(1979)が提唱したものです。その意味は「抑圧されてきた人々自身が、支援者の助けを借りながら、対話と学習を通して自身がおかれている状況を客観化し、自覚し、主体的に変革していく過程」というものです。

また、セルフヘルプグループの研究をしている三原(1999)は、エンパワメントにつながるセルフヘルプ活動には4つの特徴があるといっています。

1.態度・価値・信念
 スティグマの対象となり、否定的な評価を受けてパワーが脆弱化・無力  化・欠如した状態を脱却し、自分たちのために何ができるのかを考える。2.共同的体験の確認
 お互いに体験話をしたり、必要な生活技術を学んだり、メンバーの感情を 受容したりして共同意識や集団意識を持ち、問題を断ち切ろうとする。
3.批判的思考のための知識と技能
 自分たちが抱えている問題の内面的側面と外面的側面について批判的に 
   考え、必要な生活技術を身につける。
4.行為(アクション)
 新たな行動を起こす。

この4つとの関連で自分自身の経験も踏まえて、「宮城県聴覚障害学生の会」を作る時、以下のことを心がけていました。

1つ目は「運動団体」にしないことです。いわゆる社会運動は、特定の目的を達成するためにそれ相応の人材が最優先的に選ばれます。そうすると、運動ができる人が優位に立ちやすく同じ障害当事者の間に力関係や差別を生み出すことになりかねません。すでに傷負いている聴覚障害学生にそのような仕打ちをすることは問題です。それは私の望むことではありません。   

2つ目は、「交流団体」にしないことです。私たちはどのような人になっていくのか共通の目的について考えずに飲んだり遊んだりするのも1つの形でしょう。しかし高等教育を充分に受けることができず困っている私たちは、そうした形だけではより深いところでの解消にはつながりにくいと思います。交流を1つのプロセスとして、最終的に私たちはどのような人になりたいのか共通となる目的を作ることが大事だろうと考えたわけです。

3つ目は、「人を分ける団体」にしないことです。手話・口話、聾学校・地域校、親が聴覚障害者か聴者か、そういう属性で人を見ないこと。人それぞれに固有の物語(正の体験物語、負の体験物語)があって、その中で「人」が形成されるわけです。そのような見方を共有して相互理解を丁寧に図っていくことです。

4つ目は、そのために団体の活動や運営の端々で1~3つ目のことを皆で意識し、共有できるようにリーダーとしてやるべきことはやること。

その上で「エンパワメント」につながるセルフヘルプ活動を実践していくのなら、フレイレのいうように当事者が「自身の置かれている状況を客観化し、自覚し、主体的に変革」していく経験ができることが大事になります。特に「情報保障」は、当時、教育を受ける聴覚障害学生にとって変革しなければならない喫緊的課題でした。しかも高校や大学を変革するレベルの課題なので、聴覚障害学生にどのような「対話と学習」を提供したらよいのか熟慮する必要がありました。

最終的に、設立当初から「宮城県聴覚障害学生の会」で取り組んだ「対話と学習」の方略(ストラテジー)は、次のようになりました。

・自分自身の正の体験だけでなく負の体験も日常的に語り合える関係を築く とともに、意思疎通に用いる言語や手段、聴覚障害の種類など属性では  なく、個々の物語によって人を受容することの大切さを経験する。もし  難しい場合は、様子を見て1対1で対話する。
・社会的に経験を制限されてきたといってもよい集団活動や対人的相互交渉
 の実践を学生の会の運営や企画で経験する。そこで起きた苦労や対処を皆
 で共に考える。健聴学生も参加して立場の異なる者の視点から深く考えて いけるようにする。
・聴覚障害をめぐる事柄は他者に任せるのではなくあえて当事者として担っ
 てみる(当事者が行うこととして取り戻すという言い方もあります)。
 例えば、会議や行事の情報保障。聴覚障害学生も自ら通訳を経験すること
 で、「情報保障」をめぐる内面的側面(発言できる者がつい抑圧者になっ
てしまうなど)や外面的側面(発話の重なり合いが情報保障を妨げる
など)に気づく。
・聴覚障害をめぐる問題に対してソーシャル・アクションを起こす時、その
 問題を感情的あるいは感覚的に捉えさせないようにする。例えば、「情報
 保障」に関してであれば、地域の情報保障はどうなっているのか問題や
 その背景を探る調査研究をしてもらう。その研究の過程で、手話通訳や 
 要約筆記の制度的問題や支援体制に詳しい社会人の協力も得ることで、
 見識も深めていく。

「情報保障」に関する調査研究は2000年度に行いました(下の画像)。宮城県内の高等教育機関の支援状況、宮城県内の手話通訳要約筆記派遣事業の実施状況や背景などについて実態調査したものです。その結果は当時調査に関わっていた聴覚障害のある高校生・大学生にとって大変厳しい状況が起きているということがよくわかるもので、非常にインパクトがありました。それで高校や大学を後方から支援する団体を一刻も早く発足させよう!と決起。団体運営を担える聴覚障害学生が当時は何名もいたおかげで一気に準備を進めることができ、2003年に「宮城県・仙台市聴覚障害学生情報保障支援センター(現在:みやぎDSC)」が誕生しました。「宮城県聴覚障害学生の会」が設立してから5年も経たないうちに実現できたわけです。

当時は、例えば、情報保障学生ボランティア団体のある4年制大学が13校のうち2校しかなかったのが、みやぎDSCの活動によって先の2校も含めて9校が大学として支援体制を整備するようになりました。現在でいう「コミュニティ心理学」的な視点で聴覚障害学生の「エンパワメント」につながるセルフヘルプ活動に取り組んだことで、宮城県の聴覚障害学生支援が飛躍的に向上したわけです。

個人の次元にいる「私」が自分自身の問題と向かい合い、様々な他者との対話を通して変わっていく。そして、組織・コミュニティの次元にいる「私たち」のアクションによって「社会」も変わっていく。

聴覚障害学生セルフヘルプ活動の「意義」は、エンパワメントの視点から見てこのように変わる経験ができるかどうかということと大きく係わり合っているのではないか…と思っています。