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「使命感」と対峙する。

これは私の体験ですが、大学1年の時に、今でいう「合理的配慮」の提供を大学にお願いしたら、「それはできない、一般入試で合格したのだから自己努力で卒業しなさい」と言われ、覚書まで書かせられました。高校の時にお願いした時も、担任からは「君は聞こえなくても一人で勉強できる、君より勉強できない聞こえる友達のことを考えなさい」と。

小学生の時から児童心理学者の父が持っていた教育関係の文献を読みあさったり、両親が心理学者アドラーや戦後の幼児教育を担ってきた平井信義先生の影響で私の育て方を方針変更したことで、子どもなりに「教育」とは何かという思想をおぼろげながら形成していました。

そして、私への教育の放棄をはっきりと宣言したともいえる学校側の対応に不信感や疑念を抱いたことで、障害のあるお子さんが受ける「教育」を変革しなければといった「使命感」を持つことにつながったわけです。「使命感」は、時に反社会的な行動や攻撃的な感情などを引き起こすことがあるようですが、そこまで至りませんでした。

学部と大学院の6年間は「使命感」から、手話コミュニケーションと情報保障が実現できる教育環境を自分なりに整備し、その4年後には大学側がようやく全学的な障害学生支援体制を構築してくれました。しかし「使命感」はおさまらず、大学院博士課程に進学したり複数の団体を設立したりと色々。その「使命感」には、「誰もやらないなら自分がやらねばならない。たとえ前例やロールモデルがなくても。」とか「目前の問題から逃げたら、次世代の子どもたちを苦しませるし、何より教育に関わる資格が自分にはない」という自己への語りを内包していました。

当初は若さから「勢い」で進められたのですが、しかし皆さんを巻き込んでいることの「責任」を疎かにしないよう厳しく自己制御したり、大学院進学や団体設立等で聴覚障害当事者団体から強い反対や非難を受けたり、周囲から「変革」のために様々な依頼に応じることが増えたりして、いつしか孤独感や空虚感が増大。「使命感」を苦痛にも感じるように。いつまで実体のない「使命感」に縛られて生きなければならないのかと自問自答することも。

「使命感」って何だろうと哲学的に考えてもなかなかわからず。

そんな時に精神科医の神谷恵美子さんの名著「生きがいについて」との出会い。「使命感」について書かれていました。

「もし生きがい感というものが以上のようなものであるとすれば、どういうひとが一ばん生きがいを感じる人種であろうか。自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いている人-いいかえれば使命感に生きるひとではないであろうか。」
この文章には目から鱗が落ちる思い。それほど「生きがい」は感じられず、逆にいつも何かに追われているようで憔悴していましたから。しかし次の文章で、自己内対話の新たな糸口を見いだせた思いです。

「生きがい感はただよろこび(≒幸福感)だけからできているのではない」「ほんとうに生きている、という感じを持つためには、…生の流れに多少の抵抗感が必要」と。つまり、幸福感とは異なり、生きがい感の方が「自我の中心にせまっている」ので、自我の存在を脅かすような出来事や経験が多少は必要になると。続けて、「使命感を持つひとには必ずあることを課せられているという意識がある。当然そこでは課するものが前提とされるわけである」とも。

となると、「使命感」とは、「自分が生きる意味を確信したい心」が形として現れたもの、というふうに考えることができそうです。そして、自己の内にいる「生きる意味を探すように課する私」と「そのように課せられている私」との対話をどうするのかを考えればよいかもしれない。「課する私」を後押しする「課する周囲の人々」との対話も然り。

思えば「課せられている私」がいつも前面に現れていましたから、いつも何かに追われているような「慢性的な精神的憔悴」というのを覚えていたのかもしれません。ひとまずこれで「使命感」と対峙することにより踏み出していけるかなと思います。