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自己を物語ることで様々な「私」が繋がる。

自分が心理的あるいは精神的に脅かされるような課題に対峙した時、様々な「私」が埋没化し、その課題にもっとも強く関連する「私」のみが前景化あるいは表面化してしまうことが少なくありません。

オランダの心理学者H・ハーマンスは、M・バフチンの「多声性(ポリフォニー)」をもとに概念化した「対話的自己」で、次のように述べています。

「私(I)」は状況と時間の変化に応じて、あるポジション(自己の世界にいるさまざな私や他者)から他のポジションへと空間のなかを移動することが可能である。「私」はさまざまな、そしてときには相反するポジションの間を行ったり来たりする。「私」は、想像のうえでは各ポジションに声を授ける力を有している。結果、両ポジション間に対話的な関係が生まれる。声は物語における登場人物とやり取りするかのように機能する。…これら登場人物は、さまざまな声でそれぞれの「私(me)」や世界についての意見を交換する。結果、そこには複雑な語りによって構造化された自己の世界ができあがる。

ある課題に直面してどのように自己を調整したらよいかわからないというのは、自己の世界で「あるポジションから他のポジションへと空間のなかを移動」できなくなり、「両ポジション間に対話的な関係」が生まれにくくなった状態ということもできます。その課題を打破できない間は、まるでなかなか開放してもらえず、塞ぎ込みたくなることも。

そのような課題に直面している他者と対話する場面では、私は「その課題を打破する」ための技術やアイデアを拙速に伝えることはせず、その事態ゆえに他者の自己世界で埋没化された「さまざまな私」を引き出し、それぞれの「私」にポジショニングして課題の主役となっている「私」との対話的関係を築けていけるようになる糸口を他者と探ることから始めてみるようにしています。

もちろんこうしたアプローチは、あくまでもその他者が自分の母語で「さまざまな私」をある程度変換でき、かつお互いにじっくり対話してもいいかなという信頼関係が築かれていることが前提条件でしょう。

しかし、どちらかといえば「経済的効率性」が重視され、支援者から「その課題を打破する」ための技術やアイデアを拙速に伝える(伝えられる)ことが多いようです。もちろんどう打破するのかを大切なことではあると思うのですが、その検討作業を支援者が先取りしてしまうと、逆に本人は埋没化された「さまざまな私」との対話的な関係を自力で「回復」することができない状態のままにさせられてしまうこともあるでしょう。

「回復とは回復し続けること」と「ダルク女性ハウス」の上岡陽江さんが言っているように、「物語るとは自己物語を更新し続けること」といえると思います。

自己を物語ることで様々な「私」が繋がることは、課題に対峙する自己を立て直すことであり、課題を解決する上での拠り所を再構成するという意味でもあるのだろうと思います。