真空パックは鮮度が命

喋るのが楽しい、話を聞くのが楽しい、一緒に考えるのが楽しい、なんか空気が楽しい
楽しいって一言でいっても言葉になる物ならないものがあって、その場を共有していない人にどう楽しかったのかを伝えるのは難しい。
でも私はデザイナーだから、楽しい、好き、気持ちいいまたはその反対に「なんで?」を繰り返さないといけない。でも実はそれがすごくいやだったりする。

同僚と飲みに行って楽しかったんです
本当に楽しいの?
楽しいですよ。
どう楽しいの?
楽しいことに理由必要ですか?
必要でしょ
昨晩のわたしと上司の会話。
きっと上司は、それって本当に楽しいのか?と自分は楽しいと思うかどうか、軽い気持ちでわたしに質問をしたのだと思う。
でも私の中に上がってきたのはその質問への回答ではなく、純粋な嫌悪だった。この人はわたしの「楽しい」に優劣をつけようとしている。評価しようとしている。すごくすごくすごく気持ち悪い。
そのあとは曖昧に笑って何も答えなかった。

あの瞬間に楽しいと思ったこと、そしてそれを楽しい時間だったと記憶していること、私にとってはそれがすべてできれいな真空パックになった一つの思い出なのだ。それをもう一度開封して検証したいと言われた。恐らくあの妙に勘のいい上司には見えたのだ。それを開いて一個ずつ並べて「なんだ楽しくないじゃん」とがっかりする様が。同時に私もそれを見た。だから開くことはしなかった。

「冷水を浴びせる」上司の必殺技だ。もちろん一番浴びてるのはわたしだと思う。だからある程度耐性がついた。まずは体温を低く保つこと。落差を少しでも小さくするためだ。あとはむやみに浮上しない事。期待や希望は少ない方が良い。事実だけ見つめる。常に想定は最悪の事態。息は細く長く吐く。
自分が大事にしたいものを見せてはいけない。彼はそれを解体して検証したいのだ。見たことないものが見たい、知らないものが知りたい。純粋すぎるのだ。だからそれが冷たい冷たいと、ケラケラしながら人に冷水を浴びせているのだ。海ではしゃぐカップルか。

自分にとってのガラクタが人にとっては宝物だったりする。踏み荒らしてしまわないだろうかと、人の心に踏み込めない。間違えたら正せばいいと人は言うけれど、ちょっと踏んづけてしまっただけと自分は思っていても、その人にとっては致命的な傷だったら?考えただけでぞっとする。「ごめんね気を付けるね!」を投げて返ってくる言葉は、その言葉そのままの意味か否か。

みんなどうやってるのかな。すごく疲れるね。
今日も滝行のごとく冷水を浴びています。

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